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黒い服ばかり


 姉は黒い服ばかり持っている。

 クローゼットもタンスの中身も、見事なまでに黒一色だ。


「いつ法事に呼ばれてもいいように、備えを欠かさないの」


 なんて、冗談めかして言うけれど、部屋の収納ほとんどすべてを衣装に使っておいて、黒以外の服を持たないのは常軌を逸している。

 喪服は五着。フォーマルな用事に着ていける黒いドレスが四着に、漆黒のスーツが同じだけ。そうでない普段着も、黒、あるいは遠目で黒に見える近い色と徹底している。

 単純に、黒が好きなのだろう。誰にだって好きな色くらいあるし、それが自分に似合うなら同じような服ばかり着てしまう。普通のことだ。――そう、納得しようとした時期が私にもあった。


「遠方の叔父様が亡くなったそうよ。お葬式に行ってくるわ」


 土曜の午前、電話を受けた姉は普段着の黒い服のまま、スーツケースに喪服を詰めて言った。嬉々として準備をしている。先週は亡き父の()()()の葬式だったから、あんまり長居のできる関係性ではなくて残念そうだった。先々週は大叔母様。疎遠で、親戚の集まりですら顔を見たことはない。それでも姉はしっかり正装で、家族葬に出向いていたけれど。

 ――姉が黒い服ばかり着るようになってからだ……。

 泊りがけの旅行にでも出かけるような、ウキウキとした足取りで遠ざかっていく姉の黒い日傘を玄関先で見送り、私は思う。

 自宅の和室には、両親の位牌が置いてある。六年前、姉が高校生の頃に、立て続けに病気と事故で亡くなった。以来、私たちは二人でこの家で暮らしている。

 姉が中学に上がった頃からだろうか。母に買い与えられた服でなく、自分で着る服を選ぶようになった。ショッピングモールに入った十代向けの服屋で、姉は魅入られたように黒い服ばかりを買った……。

 それから、親族に不幸が続くようになった。姉は中学の制服でなく、自分で買った喪服に袖を通して祖母の葬式に参列した。親戚の急死は連続して、両親は喪服のクリーニングに苦労したけれど、姉はいつでも万全に洗い替えを用意していた。


「高校を決めた理由? 制服に決まってるじゃない。上下が真っ黒のセーラー服は、ここしかなかったのよ……」


 真新しい制服を着て嬉しそうに笑った姉の姿を覚えている。毎日、姉は黒い制服を着て登校した。それから間もなく、今度はその制服を着たまま両親の葬式に出ることになった……。

 今では、近しい親類縁者はほとんど残っていない。みんな死んでしまった。親戚の法事に呼ばれることが少なくなった姉は、友人や知人、その家族の葬式にも積極的に顔を出すようになった。今どき珍しく、情に厚い、義理堅い女性だと周囲の評判はいい。

 私はまったく、そうは思わない。

 自宅の二階、服でいっぱいになった姉の部屋には近づかない。黒で埋め尽くされた、陰気極まる部屋なんて、見るのも不吉だ。私は隣の自室に入ると、ハチマキを締め、大学で所属している応援団の自主練をはじめる。


「フレー! フレー!」


 汗を飛ばし、大声を出す。生きる活力が体中にみなぎってくる。傍から見ても、今の私は生命力にあふれているだろう。

 私はもちろん、黒は着ない。白もまた着ない。爽やかさ、夏らしさを連想するかもしれないが、清潔感は病院着や白装束に通ずるところもある。黒と同じくらい不吉に思える。

 私が着るのは原色ばかりだ。オレンジや黄緑なんかの蛍光色……ショッキングピンクなんて最高だ。今身につけている下着もその色だった。

 ショッキングピンクのパンティーを穿いている女が、その日死ぬなんてことがあるか?

 ないだろう。死の準備からは最も遠い、場違いなほどだ。

 なにかに備えるということは、そのなにかは起きなければならない。銃があれば誰かが撃たれる。防災グッズがあれば災害は起きる。喪服を用意すれば誰かが死ぬ。黒い服ばかり着てあらかじめ喪に服していれば、周りで誰が死んでもおかしくない。

 数日して小旅行から帰ってきた姉に、私は大量の餃子を夕飯に作って出す。食卓にはにんにくの匂いが充満している。


「すごい量。今日はごちそうね」

「ごちそうなんかじゃないよ。全部冷食だよ。タイムセールだったし」

「そう……」


 庶民的であっても、精一杯のごちそうは最後の晩餐になりかねない。姉の喪服ににんにくの匂いを染み付かせてやろうと、私は次から次へと餃子を焼いていく。

 セール品の餃子を大量に食べて口臭のする女がその晩死ぬことがあるか?

 ないだろう。最後の日とはワインを開けて、クラッカーを食べるものだ。


「今日、保険会社の人がうちに来てたけど、追い返したよ」


 夕食の席で私は言う。姉は不思議そうな目を私に向けている。こんなに近しい距離にいるのに、私がまだ生きているのが不思議でならないのだ。


「火災保険くらいは、入ってもいいんじゃない?」

「断固として備えないわ。そんなの、火事になってくれって言うようなものじゃない。自動車保険も、健康保険も、生命保険も、絶対に入らない。備えなければ、なにも起きないんだもの」


 私は安心しきってテレビをつける。『いざというときのためのがん保険!』ちょうど保険のCMだ。『病気になってからでは、遅いんです……』因果関係が逆だというのに。保険に入ったりするから病気になるのだ。


「そろそろ宝くじが当たってもいいように、使い道を考えておくか……」


 私はにやりとする。当たるわけないじゃない、と姉が呆れる。姉のスマホに通知があり、箸を咥えたまま画面を確認する。嬉しそうに口元をほころばせる。


「同僚が一人、亡くなったみたい。こんなときのために、有給休暇を残しといてよかったわあ」

「キャリーオーバー2億だって。当選したら、まずこの家をリフォームしようと思うんだけど、どうかな」

「取らぬ狸の皮算用……」

「子供ができたら、もっと部屋数がいるわよね。庭も遊べるように広くして……」

「結婚相手も見つかってないのに、なに言ってるの?」


 失礼な。私は頬をふくらませる。喪服の似合う美人と評判の姉にはわからせてやらねばならない。大学に入ってはじめてできた彼氏の存在を教えてやろうとした瞬間、今度は私のスマホに着信。出ると友人からで、彼氏がバイクで事故って死んだという知らせだった。


「保険なんて入るからー!!」


 私が食卓に伏せてわっと泣き出すと、死の匂いに敏感な姉がすぐさま察して「葬儀はいつなの?」と浮足立った。




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