番外編 未婚の男女にまつわるすれ違い、または溺愛を描く短編集 鎧の姫③
カッツェ子爵令嬢ヘティは転生公爵令嬢イヴェットの言うところによるとモブ令嬢というものであった。
貴族としての身分も容姿も全て平凡。
当たり障りの無い、可もなく不可もなく、という存在であった。
だけど彼女には不思議な能力があった。
魔力のそれとは少し違う。
それは周囲の人間よりも異様に勘働きが利く、というものである。
ヘティはその“勘”を活かし、様々な事を上手く利用して来た。
そしてもちろん、彼女は魔力も持っている。
そんなに強い魔力ではないので大きな術は扱えないが、大抵の基本魔術は全て扱える。
その二つの能力のおかげで彼女は、平凡な生まれや育ちでありながら高魔力保持者や上位貴族や王族など“雲上の人”と呼ばれる存在の者たちと肩を並べて接する事が出来たのだ。
オリオル国の王子であるジオルドを巡って王族に次いで高貴な身分であるイヴェットや、国教会が定める聖女であるリリアンナと張り合えるのもそのおかげである。
本来ならヘティはその他大勢の生徒の中で、彼らの事を遠巻きに見るしか無いタイプの人間だ。
そうならなかったのはこのスキルのおかげだとヘティは考えていた。
――努力すれば子爵家の娘でありながら王子の妃に選ばれるかもしれない。
ヘティはそんな希望を持ちながら日々を過ごしていた。
そんな中、イコリス王国の末王女であるチェルシーが入学して来た。
全身鎧姿の珍妙な姫。
どう見ても不気味でワケありな存在なのにヘティの想い人であるジオルド殿下はその姫を最愛で唯一と呼ぶ。
何故かライバルである筈のチャザーレ公爵令嬢イヴェットまでチェルシーにご執心のようなのだ。
――あんな変な王女のどこがいいの?
というかアレでいいなら私でいいじゃないか、と思う。
聞けば生まれつき鎧が脱げない体質と聞く。
どんな体質だ。
それでは世継ぎなんて産めないのでは?
だからこそ自分にもチャンスがあると思えるのだ。
イヴェットは今や王子よりもチェルシーに夢中。
そして聖女は婚姻が認められていない。
清い体でないと聖女とは言えないらしいのだ。
それなのに妃の座を狙っているリリアンナが何を考えているのか分からないが、王家側がわざわざそんなややこしい聖女を選ぶとは思えない。
従って消去法でいけば今一番妃の座に近いのは学年主席の自分の筈だ。
――私の優秀さは次席であるジオルド殿下は身に染みて分かっておられると思うし。
問題はやはりあの王女だ。
あの王女が入学して以来、ジオルド殿下は授業以外は片時も離れずべったりである。
聖女が近付いてもヘティが近付いても当たり障りのない会話を返すだけで後はチェルシー姫にばかり構っている。
チェルシー姫を遠退けて、なんとかジオルド殿下のお隣をゲットしなければ……
ヘティは対策を考えた。
チェルシー姫の側で五感を研ぎ澄まして弱点や付け入る隙を探る。
そこで一つの考えに辿り着いた。
チェルシー姫の鎧から感じる数々の防御魔法。
チェルシー姫はこの防御魔法の施された鎧の中でないと生きられないのでは……?と。
この鎧があるからこうやって学園生活を送れている。
だからもし、その鎧が壊れるなり不備が生じた場合、こうして普通に過ごす事など無理なのではないだろうか。
モブ令嬢ヘティの心に邪な感情が湧き上がる。
考えている事、やろうとしている事はもはやモブではない。
立派な悪役令嬢だ。
――完全に壊してしまうのではなく、ちょっと修理なりメンテナンスを要するくらいに細工するだけよ……
ヘティはその自らの思いつきを行動に移す事にした。
教室の一番後ろにチェルシー姫の席はある。
巨体の為に他の生徒に迷惑をかけないようにと、チェルシー姫が後ろの隅の席を希望したのだ。
普通の生徒と同じ机と椅子に大きな体を押し込めて座る姿は如何にも滑稽で笑えるが。
それをもチェルシー姫は楽しそうにしているのがなんだか腹が立つのだ。
ヘティはチェルシー姫が座る椅子に仕掛けを施した。
椅子の隅に術式を紋様にした魔法陣を小さく書く。
後はチェルシーが座ればたちまちに術が発動されて鎧は一瞬で錆だらけになる仕組みにした。
魔術の錆だ。
同じ魔術を用いて漸く落ちる厄介な錆。
少なくとも一日や二日で元通りに出来るものではない。
その間チェルシー姫は学園に通う事は出来なくなる。
数日して再び登校したら、また別の方法で鎧に不具合が生じる魔術をかける。
そうしてチェルシー姫が学園に通う日を削っていくのだ。
その内に自分はジオルドと交流を深めて信頼関係を築いておく。
一度信頼関係さえ出来れば後はこちらのものである。
そしてチェルシー姫が今朝もジオルドにエスコートされながら教室に入って来た。
ヘティは平然を装いながらその様子を注視した。
「おはようございます!」
クラスメイトに元気よく挨拶をしながらチェルシー姫が椅子に座ろうとした瞬間、
姫の鎧全体に術式の文字が無数に浮かび上がり、鎧の上を細かな文字が流れるように刻まれてゆく。刻まれてゆくというよりも文字が走って行くと表現する方が正しいのかもしれない。
とにかく術式の文字がチェルシー姫の鎧全体を覆った。
その瞬間、ヘティが施した術式が弾かれた。
「!?」
――これは呪い返しっ!?おかしい、術式は呪いではないのだから呪い返しは発動出来ないはずなのにっ……!
ヘティは焦った。
呪い返しであるなら防御せねばヘティに術が跳ね返ってくる。
ヘティは防御魔法を展開させようとした。
しかし鎧に刻まれた術式の方が発動速度が格段に速かった。
――まずいっ、術に晒されるっ……!
ヘティが恐怖した瞬間、チェルシーが叫んだ。
「ダメよっ、鎮まって!!」
そしていきなり、何事もなかったように双方の術が霧散した。
ヘティの身も何事もなく無事であった。
鎧を一瞬にして錆びさせる術だ、人の身にどのような影響を及ぼすか計り知れない。
ヘティは既のところで命拾いしたのだ。
それも自らが陥れようとした相手に。
それにしても一瞬にして二つの術を相殺させてしまうとは……
ヘティは内心歯噛みした。
たった今起こった出来事に教室中が静まり返る。
ジオルドが静かな、しかし怒りを含んだ声でチェルシー姫に言った。
「大丈夫だったか?……チェルシー、何故呪い返しを封じた?」
「だって……悪意はあっても憎悪は感じませんでしたもの……」
もじもじと気まずそうに答えるチェルシーを見て、ジオルドは眉間にシワを寄せた。
「放っておけば犯人が特定出来たものを……キミは自分に害をなそうとした者を庇いだてするのか?」
「違いますわ。あまり大事にしたくないのです……もしお父様に知れたら、もう学園に通わせて貰えないかもしれないから……」
「チェルシー……」
「大切な日々なのです。小さなイタズラくらいで失いたくないですわ」
チェルシーのその言葉を聞き、ジオルドは大きく嘆息した。
そして教室にいる皆に告げた。
「これから告げる事を、誰に対して言っているのか、心当たりのある者は心して聞け。このイコリス王女の鎧には西方大陸最高峰の魔術師の術が施されていて、どのような強大な魔術も呪いの類も一切通用しない。それどころか今のように細やかな術でも“敵”と見做され呪い返しと同じように数倍になって術者に跳ね返って来るのだっ。今の話が理解出来るのであれば、今後一切、身を滅ぼすようなくだらない考えは起こさないように。分かったな?」
普段温厚なジオルドから発せられた温度のない硬質な声に、そこに居た者皆が気圧されていた。
そして各々静かに頷いたり小さく返事をした。
ヘティは自分の席の椅子にへたり込んだ。
良かった……!
犯人が自分だとバレなかった……!
お人好しの王女のおかげで難を逃れられてラッキーだった…とヘティは思った。
しかしヘティはこの時気付いていなかった。
呪いと見做された自分の術が跳ね返りそれを食らわずに済んだが、その時同時に自分の全魔力が奪われていた事を。
生命維持に関わらない程度には残されていたので何も感じなかったが、自宅に戻って魔術を使おうと思った時に漸く、ヘティは己が身に起きた異変に気付いたのだった。
魔術学園に魔力の無い者は通えない。
従ってヘティは自ずと自主退学となった。
当然目標としていた王子妃という夢も潰えたわけである。
ジオルドはチェルシーに術を仕掛けた犯人に、魔力を失うなどの何かしらの制裁が、鎧から与えられる事を知っていた。
だから敢えてあの時に深く犯人の追求をしなかったのだ。
チェルシーが穏やかな学園生活を望むならなんとしても叶える。
それがジオルドがチェルシーの為に出来る、細やかな事だった。
まだつづく




