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とある夫婦② 貴方を解放します(妻side)

ジリオナには10歳年上の夫がいる。


亡くなった父の亡くなった妹の末息子で、言わばジリオナのイトコにあたる人だった。


親戚という事もあり、幼い頃から年に数回は顔を合わせていたそのイトコが、婚約期間をすっ飛ばして夫になったのはジリオナの父である前ロートル子爵が事故で突然亡くなってしまった為であった。


この国では女性でも爵位は継げる。


父の遅くに出来た唯一の後継であったジリオナは当時まだ13歳ではあったが、当然襲爵せねばならなかった。


しかしたとえロートル子爵を継いだとして、たかが13歳の娘に領地や領民を守る事は容易ではない、というより無理な話だ。


そしてそれを利用して美味い汁を吸おうと、数多くの親族と称する輩が(たか)って来るのは目に見えていた。


ジリオナには彼女と並んで共に領地を守り、そして支えてくれる伴侶が必要であった。


まだ13歳であったにも関わらず。

いや、まだ13歳であったが故に……。


古くからロートル家に仕えてくれている家令のゴールデンと、当時まだ存命中だった叔母のレリーナはその伴侶に誰が相応しいかを懸命に考えた。


そしてジリオナのイトコであり、亡き父の妹で先々代ロートル子爵令嬢であったレリーナの末息子であるジルナールに白羽の矢が立ったのだった。


その時23歳で、長く留学していた隣国から帰ったばかりのジルナールはどう思ったのだろう。


留学中に学んだ事をこれから遺憾なく発揮して王都で文官として働こうとしていたのに、突然ロートルの領民と13歳の幼妻を押し付けられたのだ。


是が非にもと押し切られ、他に選択の余地も無くジリオナの夫になり、まだ未熟なジリオナの代わりに領地運営をするという事を余儀なくされた。


理不尽さに絶望したのかもしれない。


その当時のジリオナは幼いながらにもそう考え、ジルナールに申し訳ないと感じていた。


しかし結婚生活の蓋を開けてみれば、ジルナールは妻を大切にし、敬意を払い、甘やかしてもくれる、優秀で寛大な夫であった。


長く学んだだけの事はあり、博識で思慮深く、そしてここぞという時の決断力も持ち合わせている。

そうやってジルナールは新領主ジリオナ=ロートルの伴侶として申し分のない、いやそれ以上の務めを果たしてくれた。


ジリオナ自身もそんなジルナールと並び立っても遜色ないように懸命に学び、拙いながらも領主として己を研鑽してきた。


そうやってジリオナとジルナールは互いを認め合い、時には励まし合い、そして尊重し合いながら、夫婦として共に手を携えて来たのだ。


まぁさすがにまだ13歳では未成熟という事で初夜は迎えていない。


ジリオナが成人を迎える18歳にと、これは亡き叔母のレリーナが取り決めたのであった。

だからある意味では、ジリオナとジルナールはまだ正式な夫婦とは言えなかった。


でもそれも、もうすぐで完璧な夫婦となれる。


あと数週間でジリオナは18歳となり成人を迎え、とうとう(しとね)を共にするのだ。


その時晴れて、ジルナールの妻となれるのだ。


ジリオナにとってジルナールは初恋の相手であり、今もその想いは色褪せる事なく成長と共にその愛情も大切に育んできた。


ジルナールにとってジリオナは妻というよりも妹のように思われているのはよくわかっている。


それでも成人を迎えたら少しでも女性として見て貰えるように、ジリオナは頑張るつもりだ。


何をどう頑張れはいいのかはジリオナにはわからないが、服装とかお化粧とか、仕草とか、とりあえずはそこら辺から頑張ろう。

ジリオナはそう思っていた。



しかしどれだけ時間が経とうとも、

ジリオナがそうなれるよう頑張ろうと思っていても、

変えられないそして埋められないものがある……という事を、ジリオナは知ってしまった。


来週にはジリオナの生誕祭を控えたある夜の事だった。


今は社交シーズンで、ジリオナ夫婦も王都のタウンハウスに滞在していた。


いつものように夫婦で夜会に出席する。


最初のダンスはもちろん夫婦で踊るのだが、その後はすぐにジルナールは数多くの貴婦人や令嬢達に取り囲まれる。


背が高く端正な顔立ちのジルナールは女性達の人気が高い。


その女性たちに、歳若く小娘と呼べる妻などにどうして遠慮がいるものかと、ジリオナはいつも知らない内に壁の花へと追いやられてしまう。

しかもそれを男性達には気取られる事なくやってのけるのだから、女性達の手練手管にジリオナはいつも驚かされているのだった。


そして今日も今日とてジリオナはジルナールと引き離されてしまった。


自分がもう少し気が強かったら、そしてもう少し自分に自信があったのなら、あの女性達に負けずにジルナールの側を死守するのに……ジリオナはいつもそう思う。


でもまぁ沢山の人と交流するのが社交の目的なので、夫をひとり占めするわけにもいかないと諦めた。


ジルナールと離れている間は、ジリオナはいつもジルナールの実兄であるフォートナム伯爵夫妻と共にいる。

義姉にあたるメアリーとは義姉妹というより親友のような気安さがあるのだ。


この日もジリオナはメアリーと共に軽食を摘んでいた。


ダンスホールの方を見遣りながらメアリーが言った。


「お互い、モテモテの旦那様を持つと寂しい思いをするわよね」


メアリーが恨みがましく見つめる先にジリオナも目を向けると、そこには他の女性と踊る義兄とジルナールの姿があった。


「仕方ないわよ。その為の社交なんだし。彼女達を通してそのお父君やご夫君と懇意になるのでしょう?」


「それはそうだけど……貴女達夫婦はいいわね、いつも本当に仲がいいもの」


まぁ今はまだ夫婦というより兄妹に近いけど。


ジリオナにしてみれば、メアリー夫妻の方がよっぽど羨ましい。

だって、()()()()()()()()なのだから。

年齢も近く、きっと話も合うのだろう。

ジリオナも背伸びをして、ジルナールとの会話を頑張っているが、彼自身はどう思っているのだろう。


やはりつまらないと感じているのではないだろうか……。


その後も様々な会話を楽しみながらしばしの間、ジリオナはメアリーと過ごした。


すっかり会場の熱気にあてられて、のぼせて暑くなる。

外の空気を吸いに行きたくてジルナールの姿を探した。


いつもテラスや庭には一人で出てはいけないとジルナールに言われているのだ。


でもダンスホールにもその他の目に付く場所にも夫の姿はなかった。


ジリオナは他の場所を探してみようとホールを出て回廊の方へと出る。


その回廊にある噴水の所に一組の男女が並んで会話をしているのに気付いた。


その男性の方は、ジルナールだった。


『ジルナール?なぜこんな所に……?』


女性の方は誰だろう。


赤い豪奢なドレスを身に纏った妖艶な女性だった。

年の頃はジルナールと同じくらいだろうか。


大人の女性の匂い立つ色香がここまで漂ってくるようだった。


ジリオナの位置から二人の姿はよく見えるが、

向こうからジリオナは丁度死角にいるようだ。

そして風下という事もあり、その会話はよく聞こえた。


「こうして向かい合って直接話をするのは久しぶりですわねジルナール様。もうかれこれ5年になるのかしら?私の結婚前にお会いして、それ以来ですわよね」


「そうですねボードワール伯爵夫人。シガールームへ行こうとした私にお声を掛けて頂いて驚きましたよ」


『……!』


ボードワール伯爵夫人……!

たしか数々の浮名を流している恋多きご婦人と聞く。


その日の夜会で必ず()()()()()()を見つけて火遊びを楽しまれると、メアリーが言っていたが……


『まさか今夜のお相手にジルをっ……?』


ジリオナの鼓動が早くなる。


「いやですわジルナール様。昔のようにエブリーヌとお呼び下さいませ。貴方はいつも沢山の女性に囲まれているか、お若い奥様とご一緒でなかなかお声を掛けられなくて歯痒い思いをしておりましたのよ」


「それは失礼。後日正式な謝罪の場を設けた方がよろしいのでしょうか」


「まぁ憎たらしい」


そう言って二人は軽く笑い合う。


『……オトナの会話だわっ……!』


それだけでもなんだかジリオナは敗北感を感じるのに、更に追い討ちを掛けられるような会話が聞こえてきた。


「ふふ、とっても可愛らしい奥方様でよろしいですわね。子守をしているような気分になるのではなくて?」


「今はもう、それほどでもないですよ」


『え?今はもう……?』


それでは以前はそう思っていたという事なのか。


「男盛りでしょうに、退屈でつまらないのではありませんこと?刺激的な夜が欲しいのではありませんこと……?」


「彼女は本当に子どもでしたし……それに私は彼女にそういう事を求めているわけではありませんからね」


『……!』


「まぁ子どもの成長を見守るような日々を過ごして来られたのなら、そうなるでしょうねぇ」


“子どもの成長”


侮蔑の色を含んだ伯爵夫人のその言葉に、ジリオナは逃げ出した。


それに対してのジルナールの返事なんて聞きたくなかったから。


“わたしは彼女にそういう事を求めているわけではない”


つまりはジルナールはジリオナを妻として、そして女としては見ていないという事か。


例え来週に成人を迎えたとしても、

もはやジルナールにはジリオナを年の離れたイトコという感情しか抱けないのだろう。


どれだけ月日が流れても、埋められないものがあるのだ。


ジルナールとジリオナの10歳という年の差は、

その差をありありと感じながら過ごした10年の溝は簡単には埋められない。


ではそれならこれからの10年、同じ時間を掛けて本当の妻と見られるように努力すればいいのか……。

その差が埋まるまで、追いかけ続ければよいのか。


それは嫌だと思った。


それではジルナールの人生が犠牲になり続けるという事だ。


妹分のイトコという10歳も年下の妻を押し付けられ続ける人生になるのだ。


きっとジルナールだって本当は自ら見初めた人と人生を共にしたいと思っている筈だ。


そこまで考えてジリオナの足が自然と止まる。


苦しい。

息が苦しくて堪らなかった。


運動神経の鈍いジリオナが小走りで走った為に苦しいのではない。


これを胸苦しさと呼ぶのだろう。


彼を解放せねば。


ジリオナはそう思った。


この5年、ジルナールが頑張ってくれたおかげで領地運営は安定している。


今では領主としてジリオナも仕事をこなせるようになってきた。

まだまだ未熟だが家令のゴールデンや皆んなの力を借りて、なんとかやって行けるだろう。


後取りは……遠縁の子でも養子に貰えばいい。

もしかしたらこんなジリオナでも女性として魅力を感じてくれる殊勝な人もいるかもしれないし。


ホールに戻ったジリオナはとりあえずそこに置いてある飲み物を取り、テラスに出た。


冷たい飲み物で喉を潤して考えを纏めよう。


来週には生誕祭が迫っているが、それまでにジルナールに告げよう。


「貴方を解放します」と。


ジリオナはテラスに置いてあるベンチに座り、グイッとグラスを傾けた。


淡いピンク色をした微発砲の飲み物が喉を滑ってゆく。


沈んだ心を慰めてくれるような心地よさだった。


飲んだ途端に体の内からホワホワとしてくる。


『あら?これってもしかしてお酒だったのかし……ら……』


と思った時にはもう、ジリオナはふわふわとした不思議な感覚に身を委ねていた。


瞼がとろんと熱を帯び、とても目を開けていられない。


『ここは何処だったかしら……寝てもいい場所だったかしら……大丈夫、寝ない、寝ないわ。少しだけ目を閉じて休憩するだけよ……』


大きなショックを受け精神的に疲労した体に始めてのアルコールはダイレクトに効いたようだ。



ジリオナはそのまま、ベンチの肘置きにもたれるようにして眠ってしまった。




次にジリオナが目を覚ましたのは、自室のベッドの上だった。


まだぼーっとする頭をゆっくりと(もた)げ、辺りをキョロキョロと見回す。


「あら……?確か昨日は夜会に出て……いつの間に帰って来たのかしら……?」


少しずつだがジリオナの頭に思考するゆとりが帰ってくる。


昨日、ジルナールとボードワール伯爵夫人の会話がショックで逃げ出した。


そしてこれからのジルナールとの人生に希望を見出せなくなって、彼を解放すると決めたのだ。


その後に冷たい飲み物を飲んで……。


ダメだ。そこからが思い出せない、わからない。


あれからどうやって帰って来たのだろう。


『どこかの親切な誰かが送って下さったのかしら……』


ジルナールは……あれからどうしたのだろう。

まさかあのままボードワール伯爵夫人の“今夜のお相手”を務めたのだろうか……。


同じ女のジリオナから見ても、妖艶で美しい人だった……。

いつもこんな幼稚なジリオナと接しているジルナールがついフラッとしても仕方ない……。


『胸の大きさだけならあの夫人には負けてない……はず』

なんてそう考えたジリオナは余計に惨めになるだけだった。


どう頑張って張り合ったって、勝てる要素など何も無い。


ジリオナはベッドの上に蹲った。


本当なら不誠実だと夫を責めるべきなのかもしれない。


でもジリオナはジルナールを解放すると決めたのだ、今はまだ書面の上だけは夫婦だが、余計な干渉はしない方がいいだろう。


今日はジルナールには会いたくない……。


別々のベッドルームで良かった。


実はもう、来週のジリオナの誕生日に合わせて夫婦の寝室の改装を終わらせているのだが、使う事なくお別れになりそうだ。


ジリオナはますます身を縮めて蹲った。


その時、部屋のドアをノックする音が聞こえた。


メイドのサラだと思い、返事をする。


「はい。起きてるわ……」


すると部屋に入って来たのはモーニングティーを携えたジルナールだった。


「ジ……ジルっ……?」


狼狽えるジリオナを尻目に、ジルナールはベッドに腰を降ろしてジリオナにお茶を手渡した。


ジリオナは「あ、ありがとう……」と消え入るような声で礼を告げお茶を受け取る。


しばらく何かを確認するかのようにジリオナを見つめた後、ジルナールは口を開いた。


「ジジ」


「な、なあに?」


「どうして昨日、約束を破って一人でテラスに出たんだ?しかもお酒を呑むなんて」


「え?あの飲み物はやっぱりお酒だったの?」


どうりで飲んだ事のない味だと思った。


ジルナールが目をすがめて言う。


「ジジ」


「だって……暑くて仕方なくて、ジルを探したんだけど…その……姿が見当たらなくて、でももうわたしも子どもじゃないし、一人でテラスに出ても問題ないと思ったのよ……」


ジルナールとボードワール伯爵夫人が一緒に居るところを見た、とは言いたくなかった。


「もう子どもじゃないからテラスに一人で出てはいけないというのに……それがわからないようじゃ、キミはまだまだ本当に子どもだな。しかもお酒と果実水の区別もつかないとは……」


その言葉を聞き、ジリオナの心が急に酷く波打った。


夫にとって自分が子どもと見做されている事を知った直後に本人の口から直接聞くのは辛すぎる。


ジリオナは知らず声を荒げていた。


「何よっ……!子ども子どもってうるさいわっ!どうせいつまでも子守をさせられて、うんざりしているんでしょうっ?悪かったわねっ……もうわたしの面倒なんて見なくても結構よっ!」


ついムキになって言ってしまう。

そんな態度こそが子どもだと自分でもわかっているけれど、今のぐちゃぐちゃの心境のジリオナには止められなかった。


情けなさに涙が出てくる。


でも言わなければ。

ジリオナは泣き声になりながらも、ジルナールに告げた。


「ジルナール、貴方を解放します。今まで縛り付けて本当にごめんなさい。どうかこれからは自由に、貴方らしく生きてください」


生誕祭の前で良かった。

初夜を迎える前で良かった。


今なら、一時は便宜上の為に夫婦という形をとって協力したイトコ同士、という関係で終われるから。


知らず俯いていた。

落とした目線の先に小さく震える自分の手が見える。


ジリオナはその震える手を胸に引き寄せて押さえ付けた。


部屋の中に重苦しい沈黙が広がる。


ジルナールは今、どんな顔をしているのだろう。


でもジリオナには顔を上げてそれを確かめる勇気がなかった。


『何か言ってよジルナール……!』


どうして何も言ってくれないのだろう。


この沈黙が居た堪れなくなり、もう一度ジルナールに告げようと思ったその時、

ふいにすぐ近くに見知った香りが鼻腔を掠めた。



そして気が付けば、


ジルナールの腕の中に閉じ込められていた。





       つづく






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