とある夫婦⑨ プロの雇用妻(1)
クラリサ(28)はプロの妻だ。
毎月きちんと給金が支払われている雇われの妻なのだ。
その給金とはもちろん夫から渡された生活費の類いのものではない。
夫という名の雇用主から“妻”という役職に対して支払われる正当な報酬だ。
今から10年前に、クラリサはアルバーノ子爵テオドア=ワトソン(28)と雇用契約を結んだ。
契約の話を持ちかけたのはクラリサからだ。
当時父親の事業が失敗して多額の負債を抱えた生家の借金を丸ごと肩代わりしてもらう条件として、雇用妻となったのだ。
テオドアと学友であったクラリサは彼の窮状を知っていた。
彼は使用人の娘と恋仲であった。
当然、子爵家の嫡男と下男の娘の結婚など許されるはずもなく。
しかしなんとか彼女との結婚を認めて貰おうと、テオドアはあらゆる方法を模索した。
だけどテオドアの恋人であったその使用人の娘はテオドアが結果を出す前に、
準男爵家と家格は低いものの富豪と有名な五十も年の離れた男の後妻となる道を選んだのだ。
失意のテオドアに彼の父親である前アルバーノ子爵は言った。
「これで目が覚めただろう。現実を見て、自身に釣り合う女性を妻に迎えて堅実に生きろ」と。
子爵の言う事は至極当然である。
しかし若輩者であったテオドアは無駄な反発心を芽生えさせてしまった。
父親のお眼鏡に適う、父親好みの従順で大人しいお飾りのような女性とは決して結婚しないぞ!と。
なんというか反発といっても細やかだなおい…と
ツッコミたくなるが、当時のクラリサにとっては渡りに船であったのだ。
何故ならクラリサは従順で大人しい、大凡の貴族令嬢には当てはまらない性格であったからだ。
良く言えば先鋭的、悪く言えば気が強くて言いたい事を我慢しない型破りな令嬢、といった一癖も二癖もある性格だったのだ。
こんな性格の為に学友や身近な男性からは敬遠され、クラリサは教師や女官などの生涯一人でも身を立てて行けるような職を得て独身を貫くつもりだった。
しかしそれらの資格取得試験の前に父親が破産をし、計画は台無しになってしまった。
そんな時に友人として様々な相談を受けていたテオドアの第三次反抗期宣言。
これはきっと互いの利になると考え、クラリサはテオドアに雇用妻の話を持ち掛けたのだ。
この雇用結婚は、テオドアにとっては父親の理想とは真逆の嫁を取り(家格は問題なくとも生家の没落という不名誉付き)、尚且つ結婚して妻を迎えろという親族からの圧力からも解放される。
中でも一番の利点はテオドアが望めば直ぐに雇用契約を解除して離縁出来るというものであった。
そしてクラリサにとっては父親の借金を肩代わりして貰い、家族の窮状を救えるという最大の利点がある。
もちろんその他にも、雇用妻として雇って貰える為にクラリサはテオドアにとって悪くないというかこれ以上ないという程の契約内容を提示した。
妻として家政を取り仕切り、夫の身の回りの世話と後継を産み、愛情をもって育てる事。
そして必要となれば離縁に応じ、後継である子どもを残して屋敷を出る事、だ。
子どもを産み育てる……という事はもちろん、契約内容に体の関係も含まれるわけで。
正直一瞬躊躇したが、
当時借金の為に娼館に身売りをさせられる寸前のクラリサと病気を患い高額な薬が必要だった母を救うにはこれしか道はなかったのである。
それに曲がりなりにも学友として過ごした日々の中でテオドアという人間の為人を知り、彼とならそういった契約の元で共に暮らしてゆくのも悪くないと思ったのだ。
この雇用妻計画を提案した後、テオドアはしばらく答えを出せなかった。
それはそうだろう、あまりに自分にとって都合が良すぎる契約だ。
いくら家族の為とはいえ、クラリサが自分の人生を切り売りするような事に加担してもよいものかと、迷いに迷ったそうだ。
それでも妻として雇って貰わねば娼館に行くしかないというクラリサの状況を鑑みて、雇用結婚に同意してくれたのだった。
その時、テオドアはこう言った。
「本当に後悔しないんだな?俺の親や親族の当たりがキツいかもしれないぞ?それに……お、俺に純潔を捧げる事になって…その……孕まされる事にもなるという事なんだぞ?それでいいのか?お前は好きでもない男に体を開いて平気なのか?」
「でもこのままでは私は娼婦として不特定多数の男性に体を明け渡さなくてはならなくなるわ。それよりは余程マシだと思うの」
「マシ……か……」
「それに、私の性格は知っているでしょ?当たりがキツいのなら実力や理詰めで黙らせるわよ。そして、もし、貴方の愛したあの恋人が未亡人となった時にさっさと私という雇用妻を解雇して再婚出来るというメリットがあるわ」
「そんな事はあり得ない」
「あり得なくはないわ。準男爵は60代でしょう?もしかしたら数年後には、元準男爵夫人となった彼女と、今度は身分の壁という障害なく結ばれる事が出来るかもよ。私が産んだ後継がいれば確実に認められるわ」
「いやあり得ないとはそういう意味じゃなくてだな……「とにかく!」
クラリサは畳み掛けるように、テオドアに告げた。
「貴方は自分ばかりが得をするとかそういう考えを持たなくていいの。支度金として借金を返済して貰える訳だし……むしろ妻として雇う事で、魅惑の娼婦クラリサ爆誕という悲劇から私を救えるのよ?見ず知らずの男たちに毎夜いいようにされるくらいなら、一人でも二人でも立派な後継を産んで育ててみせるわ!」
「相変わらず歯に衣着せぬもの言いだな……わかった。俺とて女性とはいえ親友になったリサが魅惑の娼婦に身をやつすのはなんとしても食い止めたい。でもそれなら、雇用妻や雇用主では無く本当の夫婦になろう。ちゃんと結婚しよう、リサ」
「それはお断り」
「へ?なんで?」
まさか断られるとは思っていなかったテオドアが素っ頓狂な声を出す。
それもその筈、テオドアは結構美男子で女性からは好意を寄せられて当たり前然としたところがあるのだ。
この万年モテ男めぇ……と心の中で思いながらクラリサは答えた。
「だって、報酬の支払われるプロの妻だからこそ、親族との軋轢や貴族社会での柵も仕事として受け止められるもの。そうでなければ結婚してただ苦労する普通の嫁と同じだわ。私の性格からは絶対に耐えられない。癇癪を起こして完膚なきまでに打ち負かしてから家を飛び出す……というのがオチよ。それにね、どのみち離縁になったら子どもはワトソンの家に取られてしまうでしょう?それなら尚更最初からそういう契約だったという雇用妻の方が私の気持ちの置き所が違うのよ」
「どう違うんだ、結果は同じだろう?」
「これだから男親は……お腹を痛めて産んだ母親にしか決してわからない感情なのね、きっと。母親にとって子どもと別れなくてはならないという事がどれほど辛い事か……まぁまだ産んでないけれどね」
「そういうものなのか……」
「そういうものなのよ」
「そうか……」
「そうなのよ」
と、いう訳でクラリサとテオドアは内々に雇用契約を結んだ。
持参金もろくに出せず、
花嫁に渡す支度金を全て実家の借金返済に当てたこの婚姻……
さぞテオドアの両親は反対するだろうと思っていたが、実際には眉間に深いシワを刻んだだけで嫁としてしっかり努めてくれるなら……と承諾したのだ。
(ビックリ)
余程、使用人の娘との関係に頭を悩ませて来たのだろう。
零落したとはいえ同格の子爵家の娘で、母方の親戚筋には侯爵家に嫁ぎその後実子が王太子の側妃となった者がいる家門だ。
それに学生時代のクラリサの優秀さを風の噂で知っていたらしい。
気は強そうだがそれだけしっかりした令嬢が、後先考えずに突っ走るところのある息子の手綱をしっかり握ってくれるなら……
と、この婚姻を許したのだった。
もちろん親族の中にはいい顔をしない者も多かったが、当主夫妻が認めているものをあまりとやかくは言えなかったようだ。
なんとまぁビックリだ……とクラリサもテオドアも揃って思いながら、
二人は雇用契約に基づいて晴れて(?)夫婦となったのであった。
雇用結婚は実のところ大成功だったと言えよう。
クラリサはプロの雇用妻として完璧に仕事をこなした。
ワトソン邸の家政を取り仕切り、使用人達をまとめ上げる。
妻として夫の仕事をよく支え、時には領地運営の手伝いも行った。
加えて義父母や親族と良好な関係を築く努力も怠らない。
そして直ぐに次々代の当主となる嫡男を産み、その後男児女児と順調に妊娠出産を果たした。
後継を産み育てるという契約もきちんと履行出来たのだ。
一方テオドアは夫という名の雇用主としてクラリサに充分な報酬を支払い、またそれ以外にもクラリサという人間を尊重し、優しく大切にしてくれる。
それにクラリサの実家の面倒も申し分なく見てくれた。
一時クラリサに娼婦になる覚悟をさせた父親には思うところがあるのか若干冷たいが、病気の母を手厚く看護できるよう手配してくれ、妹の嫁ぎ先も良縁を繋いでくれた。
そしてもちろん、子ども達の父親としても申し分なく、雇用契約で結ばれた結婚だとついうっかり忘れてしまう事もしばしばある…そんな幸せな日々を賑やかに過ごしていく。
そしてあっという間に10年という歳月が流れた。
しかしある時から雇用主夫のテオドアの様子が日に日におかしくなっていった。
外出が増え、帰宅が遅くなり、心ここに在らずといった状態になる事が増えたのだ。
どうしたのかと聞いても、お茶を濁すようなあやふやな返事しかせず、追求を恐れてか明らかにクラリサを避け出したのだ。
『これは絶対に怪しい……一体何がどうしたというのか……』
と思っていたら、使用人達の噂話が耳に入る。
それはかつてのテオドアの恋人の夫となった準男爵が、闘病の末に亡くなっていたというものだった。
故人の遺言で、相続問題が解決して丁度喪が明ける一年後まで逝去の事実は伏せるように…との事だったそうだ。
多額の資産を有していたという準男爵。
離縁した先妻と後妻の他に数名の愛人、そしてその子ども達という、そのもの達による熾烈な遺産争いは想像を絶するものがあっただろう。
むしろ一年の喪中に全て解決したのが天晴れである。
『そうか……準男爵、亡くなっていたのね』
クラリサは気付いた。
テオドアの様子がおかしくなり出した時期と、
準男爵の喪が明けた時期とが重なっている事を。
そして理解する。
テオドアが、元準男爵夫人となったかつての恋人と再会していたのだと。
クラリサが雇用妻を解雇される日が、
近いのだという事を。
つづく
ごめんなさい、次の更新は14日となります。
よろしくお願いします!
誤字脱字報告、いつも本当にありがとうございます。
多くて申し訳ないです………




