お互い内緒にしたい事(ルディウス視点)
休日の今日はレアを誘ってある所に来ていた。
「ルディ!見て見て!早いでしょ!」
目の前には風を切って楽しそうに走るレアの姿。
忘れていた。レアは乗馬が出来る事を…。
実際に乗りこなしている姿を見ていなかった為、想像出来ていなかったが普通に走れている。
俺的には『高い!怖い!』とか言いながら抱きついて来てくれるのを期待していたのだが…。
目の前の逞しい奥さんに涙が出そうだ。
「ルディ!あそこまで競争しよう!」
レアが奥に見える一本の木を指差し走り出した。
レアを追いかけて俺も馬を走らせるも、先にたどり着いたのはレアの方だった。
「やった!ルディに勝った!」
喜んではしゃぐレアの姿にこういうのも悪くはないかと気持ちを切り替えた。
実際はレアの重心が時折不安定になり、気遣った馬が速度を落としてくれているので追い越そうと思えば簡単に追い越せるのだが…これ以上早くなられるといざという時に追いつけなくなるから、わざと負けた事は黙っておこう。
馬を休ませる為、レアと草原の上に座り持って来ていた昼食を取り出した。
「こういう風にご飯を食べるのも悪くないでしょ」
俺にパンを手渡しながらレアが笑った。
貴族の女性が地べたに座り食事をするなど有り得ない光景だ。
だが昔からレアは地べたに座る事も寝転がる事も平気でしていた。
そんな何事にも縛られない自由なレアを見ているのは気持ちが良かった。
自由なレアの姿を思い出し口元を緩めると、レアは俺の表情に満足したのかパンを頬張った。
「そういえばどうしてレアは乗馬を習い始めたのですか?」
令嬢に必要な技術より乗馬を優先させた理由が分からず尋ねただけだったのだが、レアはパンを飲み込んで咽だした。
「きゅ…急にどうしたの?」
「急も何も疑問に思っただけなのですが…」
「そ…そうよね…」
レアは何かを考え込んだあと、無難な回答を口にした。
「習っておいて損はないかと思って…」
レアがそれだけの理由で突然乗馬を習いたいなどと言い出すわけがない。
乗馬は体力も気力もいる。生半可な覚悟で走れるようになれるものではない。
飽き性のレアがここまで乗りこなせているのはひとえにレアの努力の賜物だが、ここまで乗馬にこだわった理由…。
「もしかして『来る終末の日のための準備』ですか?」
この話をする時のレアは鬼気迫る感じで俺もずっと気にはなっていた。
だが、今回はいつもと様子が違って動揺するように目を泳がせた。
「えっと…その終末の日はもう来ないかもしれない…」
終末の日が来ない?
あれだけレアが一生懸命準備をしていたのに、こんなにあっさりと来なくなるものなのか?
「終末の日は過ぎ去ったのですか?」
「過ぎ去った…というか…手玉に取った…というか…」
終末の日を手玉に取るとは…さすがレアだ。
俺の想像の斜め上をいっている。
だが終末の日が来ないのなら俺ももう剣術に力を入れなくてもいいのではないか?
…いや。これからもレアを守るために強くあることは悪いことではない。
不本意だが王宮には俺の相手になる奴もいることだし。平気でレアとの貴重な時間を潰してくるのだけは許せないが。
「ああでも、馬の上で剣とか振れるとカッコいいよね。練習しようかな」
「剣は重いのでまずは地上で振れないと話になりませんよ」
「そうだよね。剣術の先生でも付けようかな…」
そういえばレアは乗馬を誰に習ったのだろうか?
俺の知らない間に身に着けていたから外部からの講師ではないはず。
「乗馬は誰に習ったのですか?」
「え?ああ、公爵家の騎士の人にお願いしたの」
公爵家の騎士…レアが社交界に出るようになってから邪な想いを抱き始めた奴等の事を思い出した。
「最初の頃は怖くて先生にしがみついてばっかりでさ…」
何気なく思い出を話すレアの言葉に聞き捨てならない文言が聞こえてきた。
しがみついて…だと?
「高いし怖いしで一人で乗れるようになるまで時間がかかったよ」
「そう…ですか…」
自分が望んでいた事を公爵家の騎士がされたのだと思うと、思わず声音が下がった。
「その騎士はどんな騎士だったのですか?」
嫉妬心を剥き出しにすると俺が何かをしでかすことを心配してレアが答えてくれなくなるため、感情を押し殺して尋ねるもレアは興味が無いのか首を傾げた。
「乗馬覚えたくて必死だったからあまり覚えていないんだよね」
心の中で舌打ちをした。
どいつか分かるようなら地の果てまで追いかけて捕らえてやろうと思ったのだが…。
レアが覚えていない以上、公爵家の騎士達全員を片っ端から叩きのめしておけばよかった。
「騎士に指南を申し出る前にどうして俺に声をかけてくれなかったのですか?」
俺なら喜んで乗り方を教えてあげていただろう。
頼られた騎士に怒りも感じるが、頼られなかった自分には淋しさを感じた。
「えっと…ルディには知られたくなかったから…」
「どうしてですか?」
「どうしてって…驚かせたかったから?」
語尾が疑問形なのは気になるが、俺の事を考えながらこっそり練習してくれていたと思えば嬉しい気もする。
けれど頼られなかった事は事実だ。
「これからは何かを習いたければ俺を頼って下さい。レアの為なら時間を作りますから」
仕事を放り投げてでも…ということは心の中に留めておいた。
「ハンカチの刺繍を習いたいって言っても?」
「俺は器用ですから上手な刺繍の仕方くらいいくらでも教えてあげますよ」
レア的には淑女の嗜みも俺が指導するのかと言いたかったのだろうが、予想外の返答にレアが怪訝そうに俺を見上げた。
きっと『私は不器用って言いたいのか?』とでも思っているのだろう。
事実だから否定はしないが。
昼食後は再び馬に乗り周囲を散策していると、レアの馬の横から突然野良犬が飛び出してきた。
野良犬は馬に驚いたのか吠えるとレアの馬も驚き逃げるように走り出した。
俺の馬も動揺はしたが、すぐに落ち着かせ急いでレアの後を追った。
暴走した馬に追いつくもレアは振り落とされないように前傾姿勢になり必死で手綱を握りしめている。
「レア、落ち着いて手綱を緩めるんだ。何があっても絶対に俺が助けるから」
いつ落馬してもおかしくない状況に焦りながらも、レアが動揺しないよう冷静に呼びかけた。
するとレアは目を瞬いた後、クスリと笑った。
落ち着きを取り戻したレアはその後俺の指示通りに動き、無事馬を停止させた。
レアを馬から降ろすと俺の首にしがみついてきたレアがおかしそうに笑った。
「レア。笑い事ではありませんよ。一歩間違えれば大惨事になっていたのですから…」
心配する俺を余所にレアは「ごめんごめん」と謝りながらも笑いが止まらないようだ。
恐怖から解放されて情緒がおかしくなったのかと心配しているとレアが少し体を離して俺を見上げた。
「だって、焦るルディを初めて見たから」
確かに焦ってはいたがレアには分からないように努めたはずだ。
「ルディ、敬語じゃなくなってた」
レアがクスクスと笑った。
全く気付いていなかった…。冷静を装ったつもりが全然冷静になれていなかった。
レアに見破られた事が恥ずかしくて顔を覆うと、レアは眩しいくらいの笑顔を俺に向けた。
「ルディが私に敬語を使わないなんて初めて会話してくれた時以来だなって思って。凄く新鮮だった!」
確かにレアを好きになってからはレアに対しては敬語で話すようになっていた。
「夫婦なんだし敬語じゃなくてもいいんだよ」
「いえ。レアは俺にとってこの世で一番心服する相手ですから。敬語を使うのは当然です」
俺が敬語を使う相手は心服する相手と社会的に使わざるを得ない相手。
もちろん前者はレアだけで、後者に至っては表面上のみで全く中身はない。
レアは苦笑いを浮かべながら呆れたように俺の胸に顔を埋めた。
レアの温もりに無事で良かったと安堵していると、レアが俺の胸に顔を埋めながらポツリと呟いた。
「それにしてもルディ、乗馬上手いね。勝負の時は手加減されていたのかな?」
ドキリと心臓が跳ね上がった。やむを得なかったとはいえ、気付かれるのが早すぎる。
「私ももっと早く走れるように特訓しないと…」
レアには言えないが、レアを守るためにはレアより優れている必要がある。
…俺ももっと早く走れるように特訓しないと。
レアに負けないようこっそり乗馬に励もうと心の中で誓ったのだった。
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