平穏な日々の為に(侯爵家使用人視点)
ランドール侯爵家に仕えるようになって数ヶ月が経った。
「…あれ?ここにこんな絵画なんてあったっけ?」
奥様が目ざとく見つけたのは階段で隠れて陰になっている一角だ。
「ここにこんな大きな絵画って変じゃない?どうせ飾るなら暗い場所だし明るくなるような花の絵とかの方が気分も良くなりそう」
「左様でございますね。奥様、夜会に遅れるといけませんので支度に向かいましょう」
私は絵画の前で首を傾げている奥様を促すと「それもそうだね」と奥様の興味が絵画から逸れた。
危なかった…。
実はこの絵画の裏には奥様には知られてはいけない秘密がある。
この絵画の後ろには旦那様の怒りを買ったテネーブル様の人型に象られたナイフの跡があるからだ。
この跡がついたのは夜中だったため寝ていた奥様には見つからなかったが、奥様に知られると怒られることを恐れた旦那様は慌てて倉庫に眠っていた一番大きな絵画を飾ったというわけだ。
壁の修繕をしようにも奥様はほとんど外出されず業者を呼ぶことが出来ない。
業者を呼べば間違いなく奥様に気付かれるから。
支度が整うと旦那様が奥様を迎えに来られた。
「今日も綺麗ですよ、レア」
「ルディも今日は髪を上げてるからいつもとはまた違ってカッコいいね!」
ほのぼのと会話する二人にこの屋敷に仕えた当時の事を思い出した。
ランドール伯爵の使用人の指導として王妃陛下から命を下され伯爵家に仕える事になった私は期待に胸を膨らませていた。
なんせ仕える相手はあの王宮でも話題のルディウス・フォン・クラヴリーだからだ。
齢14歳にして王宮騎士となり、王太子殿下の覚えもめでたい。
しかもあの見目麗しい容姿。誰もが仕えたいと心の中で思っている相手だ。
しかしその期待は初日でもろくも崩れ去った。
馬車から降りてきた旦那様に頭を下げていた一同は恐怖した。
何!?この怖い空気は!!
睨まれたわけでもない。むしろこちらのことなど気にも留めていない。
注意されたわけでもない。むしろ執事長の話に返事もない。
それなのに少しでも頭を上げれば殺される!
そんな空気に全員の顔が青ざめた。私達、これからこの方に仕えるの?
不安でしかなかった。
そんな胃の痛くなる日々を過ごして数週間後。この屋敷に変化がもたらされた。
いつもは無駄な事は嫌いだと言わんばかりに馬車から下りてさっさと屋敷に入る旦那様が今日はなかなか馬車から降りようとされなかった。
私達は不安になり他の使用人達と顔を見合わせながら馬車の中の動向を見守っていると、ようやく降りてきた旦那様はいつもの殺伐とした空気ではなく、柔らかい空気を纏っている。
使用人一同は驚愕した。この短期間に一体何があったのだ!?と。
馬車の方に体を向けた旦那様が馬車から下ろしたモノ…え?女性??
旦那様以外の全員が固まった。どこかで誘拐してきたのだろうか…と。
その女性をまるで宝物を扱うように大切そうに運ぶ姿に我々は確信した。
旦那様の嫁候補だ!!
旦那様はそのまま女性を寝室に運ぶとそのまま寝室に籠ってしまった。
未婚の女性を未婚の男性の下で寝かせてもよいものか?などということは聞けるはずもなく、ただただその動向を見守るだけとなった。
その女性が旦那様の義理の姉で捕らえられたクラヴリー公爵夫人の娘だと知ったのはその直後だった。
とりあえず一晩様子を見ようと翌日、廊下で聞き耳を立てていた私達は驚くべき会話を耳にした。
『とにかく!もっと恋人同士の甘い時間をルディと過ごしたいの!!』
恋人同士!?やはりこの二人は…。
『では今日一日、俺と甘い時間を過ごしましょう』
旦那様の方が乗り気だった!!
この時察した。お嬢様より旦那様の愛の方が深い事を。
『今日って…仕事は!?』
この言葉に旦那様が押し黙った。仕事休む気なんですね。
『ルディ!仕事は休んじゃダメでしょ!』
『レア…しかし…』
『仕事はちゃんと行きなさーーーーーい!!』
ああ…なんだろう…旦那様が怒られているのにとても平和を感じる。
部屋から追い出されそうな勢いに私達はその場を離れた。
そして騎士服に身を包んだ旦那様は子犬のような眼差しをお嬢様に向けるもお嬢様は全く気付かず。
きっと長年この甘い空気の中にいたお嬢様は旦那様の怖い空気を知る私達とは違い、感覚が麻痺してしまっているのだろう。
この時ばかりは旦那様に同情した。
「ルディ、行ってらっしゃい!」
笑顔で見送るお嬢様に旦那様も諦めたようだ。
そして初めて旦那様が執事長に視線を向けた。
「レアが不自由ないように対応してくれ」
頼られた事が嬉しかったのか、初めてまともに会話出来たのが嬉しかったのか。
「お任せください!」
気合の入った返事を返すと溢れそうになる涙を堪えるため、執事長は目頭を押さえた。
その後行われた使用人達の集会では全員一致でお嬢様に旦那様の奥様になってもらうということで話がまとまったのだった。
あれ以来、この侯爵家の空気は変わった。
執事長も胃薬を飲まなくなり使用人達にも笑顔が増えた。
それもこれも全ては奥様のお陰である。
この方はこの侯爵家に必要な存在。
今後もこの平和を守るために私達は全力を尽くす。
「じゃあ、行ってきまーす!」
着飾った奥様は旦那様にエスコートされながら馬車の前で私達に元気に手を振って下さった。
何とも可愛らしいお姿に私達の心は癒された。
「では後のことは任せたぞ」
「お任せ下さい!」
気合の入った旦那様と執事長の会話に奥様が首を傾げた。
「どうして夜会に行くだけなのにそんなに気合が入っているの?」
一瞬押し黙った旦那様だったが奥様を真顔で見つめた。
「屋敷の主が二人もいなくなるのです。主として屋敷の心配をするのは当然です」
息を吐くように嘘を吐いた。
さすがに大袈裟過ぎでは…と思ったが。
「ルディ、素敵!侯爵っぽくなってきたね!」
奥様には通用するようだ。
しかも自分の株を上げる事を忘れない旦那様もさすがです。
奥様に褒められて上機嫌の旦那様と旦那様に惚れ直したであろう奥様の姿が見えなくなったのを確認し、執事長が額にタオルを巻いた。
「時間は2時間しかない!急いで取り掛かるぞ!」
『おぉ!!』
執事長の掛け声に合わせて使用人達が一致団結し取り掛かったのは…業者を招き入れた壁の修繕だった。
夜会から帰ってきた奥様は酔っているのか旦那様に寄りかかりながら馬車を降りてきた。
「たっだいまー!」
上機嫌の奥様の足取りはふらついており旦那様が倒れないようにしっかり支えていた。
「レア、飲み過ぎですよ」
「だってあのお酒美味しかったんだもん」
旦那様にもたれながら気分良さそうに笑うと奥様は旦那様に向けて両手を広げた。
「ルディ、抱っこして」
「もちろん。喜んで」
そう言うと旦那様は軽々と奥様を抱き上げた。
滅多に甘えない奥様に甘えられて旦那様からも嬉しそうな空気が漂っている。
抱っこしたまま階段を上ろうとしたところで奥様が首を傾げた。
「あれ?あの絵どこ行った?」
奥様の言うあの絵とは秘密を隠していた大きな絵画の事である。
私達は一瞬固まるも、旦那様は返答を用意していたのか間髪を容れずに返した。
「あの絵はここには合わないと思ったので外させました。あそこには明るい花の絵などの方が明るくなっていいでしょう」
その言葉…あの時聞いていたのですか!?
しかし奥様は全く疑う様子もなく。
「私もそう思っていたの!私達やっぱり似た者同士の良い夫婦よね!」
今回も自分の株を上げることを忘れない。さすが旦那様です。
そしてきっとこの後は執事長が花の絵を取り寄せるという残業を行うのだろう。
旦那様の周りに咲き誇る花を眺めながら私は思った。
今日も何事もなく終わって良かったと。
こうして使用人達の陰の努力によって侯爵家の平和は保たれているのだった。
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