傾きっぱなしの天秤(ルディウス視点)
結局母の墓も調べる事になったと報告を受けた翌日。
「伯爵になられたお祝いにこれを作ってきたのですが、お口に合うと嬉しいです」
差し出された籠に視線を落とした。
「ルディウス様がどういう物がお好きか分からなくてどうしようか迷ったのですが、私が得意なお菓子にしてみました」
この忙しい時にこの女の相手なんかしていられない。
「俺は使用人が作った物以外は食べられないのでお持ち帰り下さい。ご用件がお済みでしたらこれで…」
「どうしてですか!?」
話は済んだとばかりに立ち上がると女が声を荒げた。
その目には涙が浮かんでいる。
「私が何かルディウス様のご気分を害するようなことをしましたか?」
害するもなにも今のこの状況に気分が悪い。
「そうですね…不要だという物を何度も押し付けたり、伯爵になり忙しい俺の時間を取らせたりとご自分のなさっている行動が迷惑だと自覚されていないところでしょうか」
そのまま立ち去ろうと歩き出すと女が突然立ち上がった。
「私、昨夜見たのです!レリア様が他の男性と親しそうに歩いていらっしゃるところを!まるでお二人は恋人同士のようでした」
俺が立ち止まると女はここぞとばかりに詰め寄ってきた。
「私なら…私ならルディウス様を悲しませるようなことはしません!だって私はルディウス様を愛していますから…」
視線だけ女に向けると頬を赤らめながら恥じらうような仕草で瞳を潤ませている。
そういえば以前レアが言っていたな。
泣いている女を見ても興奮するなと。
その心配は無用ですよ。興奮するどころかこの女の演技に冷めましたから。
本当にこの女が俺を想っているのなら不確かな情報で相手を動揺させてその隙を突こうとはしない。
レアならきっと俺に伝える前に相手が本当に恋人同士なのかを確認するだろう…探偵の真似事でもしながら。
そして一人で追いかけてまた面倒ごとに巻き込まれる…大いに有り得る。
「あなたは忘れているようですが俺は伯爵です。ただの伯爵令嬢であるあなたが私的に会話出来るような立場ではないことくらいご存じですよね。それともあなたの養父はそんな基本的な礼儀も教えていないのですか?」
俺の指摘に女の顔は真っ赤に染まった。
「今日のことはセルトン伯爵に抗議させて頂きますので、今後このような行動は慎まれるように願います」
俺はそのまま部屋を出た。
…とはいえ、レアと恋人同士のような仲になった暗殺者には最大の仕打ちをする必要がありそうだな。
仕打ちを予定していた夜。
約束の時間になっても姿を見せない暗殺者に嫌な予感がした。
公爵に見つかったのか?
ローブを羽織り公爵邸へと向かった。
公爵邸は夜なのに騎士達が慌ただしく動き回っていることを考えても見つかったと考えるのが妥当だ。
なにが安全な抜け道だ。
当てにならない暗殺者に殺意が湧いた。
止む無く事情を聞くため公爵邸への侵入を試みた。
長年住んでいた家だ。忍び込むなど造作もない。
俺は軽々と屋敷の中に潜入し、牢へと向かった。
牢の前にいた見張りを静かに眠らせるとフードを外した。
「契約違反だぞ」
「報告に行ってたら殺してたくせに」
俺が来ていることに気付いていた暗殺者は驚きもせず返答してきた。
「当たり前だ。レアを見捨ててくるなど楽に死ねると思うなよ」
「だからこうやって大人しく捕まってるだろ」
こんな無駄話をしている暇はない。
事情を説明するように促すとここに来るまでの経緯を報告し始めた。
「ここに今回の事件をまとめたメモがある」
フィルマンという元新聞記者から手帳を受け取ると、続くように暗殺者が報告を追加した。
「嬢ちゃんは明日、王太子と婚約させられるそうだ」
「その心配はいらない」
「へ?」
「明日、レアが屋敷を出たらお前等はここから脱出しろ。それとフィルマンとか言ったか?この手帳の中身とお前の名前を使わせてもらう」
フィルマンはコクコクと頷いた。
「あと…脱出する機会を逃すと俺が騎士を連れて乗り込んでくるから気を付けろよ」
役に立たない暗殺者を捕らえてもいいのだが、レアが悲しみそうだから忠告はしておいてやろう。
自力でなんとかできる奴は放っておき、俺はベランダからレアの様子を窺うと、ちょうど公爵が部屋を出ていくところだった。
久しぶりに見たレアに笑顔はなく沈んだ表情をしている。
ここから助け出したい気持ちを抑えながら離れようとするとレアがポツリと呟いた。
「ルディに…会いたい…」
振り返っていますぐこの窓を突き破りレアを連れ出したい。
でも今ここから連れ出したらレアの努力が全て無駄になってしまう。
レア。必ず助けるから。だからもう少しだけ待っていてくれ…!
後ろ髪を引かれる思いで公爵邸を離れた俺が向かったのは新聞社だった。
「一人も逃がすな。全員集めろ」
俺の指示で伯爵家の騎士達が社内にいた全員を一ヶ所に集めた。
「ジェロームはどいつだ」
俺が尋ねると社員全員の視線が一人の男に集まった。
「そいつは虚偽の報道をした疑いがある。捕らえろ」
逃げようともがくジェロームを騎士が捕らえている間に俺は他の社員に目を向けた。
「この中で記事を書ける奴は?」
全員怯えているのか誰も手を挙げる奴がいない。
「ここにフィルマンって記者が調べた8年前の事件の真相が書かれている」
「フィルマンって…」
若い記者が何か思い当たることがあるのか呟いた。
「お前、フィルマンを知っているのか?」
暗殺者の話では8年前に公爵によって記者を続けられなくなったと聞いているが…。
「あ、いえ…この前社に来たクラヴリー公爵令嬢がフィルマンって人のことを探していたようでしたので…」
「…お前、フィルマンの名前で記事を書け」
「え゛!?」
「あとの奴等はこいつを手助けしろ」
何となくこいつならやってくれそうな気がする…レアを知っていたから。
ただそれだけの理由だが。
騎士に新聞社の監視を任せて俺は王太子の元に訪れていた。
「お前…時間考えろよ…。しかも寝室に忍び込むとか…暗殺者か」
「レアの命とあなたの睡眠を天秤にかけた結果です」
天秤に乗せるまでもないが。
俺は容赦なく眠そうに肘をついている王太子に報告し、今後の打ち合わせをした。
「だがもしレリア嬢が婚約の誓約書に署名をしたら、公爵に脅されていたとはいえ王族を謀った罪で問われることになるぞ?」
自分が処刑されるのを覚悟でこの事件を調べ尽くしたレアが罪だと分かるような悪事に加担するわけがない。
レアをずっと見てきた俺だから分かる。
レアが無垢な笑顔で俺を呼ぶ姿が目に浮かんだ。
「その心配はいりませんよ」
レアを想いながら返事をした俺に王太子は息をのんだのだった。
レアが公爵邸を出たのを確認して俺は王太子の命で公爵邸に乗り込んだ。
今頃新聞も大々的にばら撒かれている頃だろう。
「ルディウス!お前は父を殺すのか!!」
公爵邸に乗り込んできた俺に向かって杖に仕込まれた剣で攻撃してきた。
剣術大会優勝者の俺に老いぼれの剣技が通用するわけがない。
俺は軽々と公爵の剣を弾くと喉元に剣先を突き付けた。
「こんなことをしてただで済むと思っているのか、ルディウス!」
捕らえられた公爵を俺は無表情で見下ろした。
「何をするの!?私は公爵夫人なのよ!!」
縛られた状態で騎士に連れて来られた公爵夫人は相当暴れたのか髪が乱れている。
騎士が二人を俺の前に座らせた。
「王太子殿下の命により前クラヴリー公爵夫人殺害容疑でお二人を捕縛します」
「な…何を言っているの!?あれはただの衝突事…」
「何も喋るな!!」
公爵に怒鳴られた夫人はビクリと肩を震わせて俯いた。
「あれを衝突事故だと発言した時点であなたの有罪は確定です」
「お前は姉も死に追いやるつもりなのか?」
公爵にとってレアは最後の切り札だったのだろう。
俺が絶対に公爵家には手出ししないという。
「レアの事はご心配なく。貴方方はご自分の身を心配された方がいいですよ」
公爵の屈辱に満ちた顔を見ても何の感情も湧かない。
そうか。俺はもうずっとこの男を父として見ていなかったのか。
もしかしたら産まれた時から父ではなかったのかもしれない。
二人の事は騎士に任せて俺は王宮へと急いだ。
俺の心を唯一動かすことが出来る大事な人を迎えに行くために。
気絶したレアを支えながら薄っすらと赤く腫れた左頬に触れた。
処刑前にあいつらの顔を原型を留めないくらい殴り倒してやる。
俺の不穏な空気にさらされたレアはうなりながら眉を寄せた。
「しゅ…終末の日がぁ…」
うなされるレアの手を握った。
大丈夫だよ、レア。
何があってもレアだけは俺が守ってあげるから。
たとえ世界が俺達だけになったとしても…。
しかし俺の想いが届いていないのかレアの眉は益々寄るのだった。
予定通り次話から本編に戻ります。
読んで頂きありがとうございます。