それぞれの意志
公爵邸に戻ってきた私は自室の状態に愕然とした。
窓は全て木で打ち付けられ、入口は廊下側からしか施錠できないように作り変えられていた。
絶対に逃がさないという意志を感じる。
この状況に私が出掛けている間によく準備したなと逆に感心した。
部屋の状態に呆けているとドタドタと廊下から騒がしい足音が響き、姿を見せたのは鬼のような形相をした母だった。
母は現れた勢いのまま私に掴みかかってきた。
「なんてことをしてくれたのよ、あんたは!せっかく邪魔な奴等を消せたのにあんたまで私の邪魔をする気なの!?」
邪魔な奴等?
私の髪を掴もうとする母の間に割って入ったのは公爵だった。
しかもまた平手打ちをかましながら…。
「あ…あなた…その子を放っておくのですか?その子は私達の秘密を…!」
「黙れ!!」
秘密ってまさか!?
「…お母様も加担していたのですか?」
「…加担というよりはお前の母が首謀者だ。私はただお前の母の尻ぬぐいをしてやっただけだ」
じゃあ父の馬車が暴走したのも公爵夫人をあそこに呼び寄せたのも…母の仕業ってこと!?
「お前は部屋に戻っていなさい」
公爵に見下ろされた母は頬を押さえふらつく足取りで部屋を出て行った。
「全くあの女は浅はかで困る。少し甘い言葉を囁いて構ってやれば何でも言うことを聞く良い駒ではあるが」
「母を利用するために再婚したの?」
「私の必要な情報を手に入れられる女が必要だったからな。男の世界では聞けない情報を女達はよく漏らす。お陰で邪魔な奴等を黙らせるのに随分利用させてもらったよ」
母はこの男を愛しているが、この男は母に一切の愛情がない。
「娘もいるというし、王太子妃にでもさせれば私の地位は確固たるものになるはずだった。ルディウスがお前に興味を示さなければ」
苦々しそうに公爵の顔が歪んだ。
「あいつのあの私を監視するような目。いつも喉元に刃を突き付けられているようなあの感覚。あいつがいるだけで私はいつも生きた心地がしなかった」
エドワール侯爵によって崖に追い込まれた時、助けにきてくれたルディの事を思い出した。
確かにあの時は自分に向けられていないのに恐怖を感じた。
公爵にとってあの時のルディがずっと自分に向けられていたということなのかもしれない。
「だが、あいつから公爵家を出て行ってくれたのは好都合だった。私の保護下にいるお前を人質にとれば外に出たあいつは公爵家のことには手出しが出来ないからな」
だから跡継ぎであるルディが公爵家を出ても反対も何もしなかったのか。
監視を付けていたのももしかして私が人質であることをルディに伝えるため。
「あとはお前が王太子を誘惑すれば全ては私の思い通りだ」
公爵は私の顎を持ち上げて不敵に笑った。
「残念だけど王太子殿下は今回の件について全てご存じよ。あなたも間もなく捕まるわ」
テネーブルが王太子に報告しているなら今夜報告に来なければ不審に思うはず。
「残念なのはお前の方だ。殿下は何も存じ上げていない。むしろお前との婚約を喜んで下さっているくらいだ」
テネーブルが報告していたのは王太子じゃない?
それとも何か考えがあってのこと?
「明日は大人しく書類に署名をしてくるんだな。ついでにお前の母のように王太子に色目でも使ってきたらどうだ」
ゲスな笑みを浮かべる公爵に唾を吐きかけた。
無表情になった公爵は私を突き飛ばすと唾を綺麗な刺繍が施されたハンカチで拭った。
「お前の父親が持っていた無様な胸飾り。お前の母親を脅すために取っておいたがどうやら不要なようだ。お前の母が刺繍したこのハンカチのようにゴミとして処分しておいてやろう」
手放したハンカチが床にヒラヒラと落ちる寸前で公爵は足で踏み潰した。
その瞬間、無様な刺繍が施されたハンカチを価値あるものと評価してくれたルディの姿を思い出した。
「あなたとルディは似ていると思っていたけど、それは勘違いだったようね」
私は立ち上がると不敵に笑いながらハンカチを踏み潰している公爵を真っ直ぐ見据えた。
「ルディは人から貰った贈り物を無下に扱うような人じゃない!あなたは優秀過ぎるルディに嫉妬して怯えているだけの小者よ!!」
次の瞬間、頬に衝撃が走った。
「いい気になるなよ、小娘。人質を殺されたくなかったら大人しくしていることだな」
公爵は部屋の鍵を閉めて去って行った。
静かになった部屋でジンジンと痛む頬を押さえた。
『大丈夫ですか』
母にぶたれたのは私じゃないのに私を気遣ってくれた優しい声。
無表情なのにどこか温かくて心地の良い視線。
ああ…。私はルディにこんなにも愛されていたのか。
「ルディに…会いたい…」
翌日。
頬の赤みを化粧で隠し訪れたのは王宮だった。
王太子と婚約の誓約を交わすためだ。
公爵に従うと約束したが、最後にテネーブルが言っていた言葉に告発しようか迷いが生じている。
恐らくテネーブルは牢からの脱出を試みるつもりなのだろう。
しかしもし脱出できなかったら二人は間違いなく公爵に殺される。
王太子に密かに公爵を捕らえて二人を助けてもらえるようにお願いするか?
しかしテネーブルは暗殺者。
助けてもらう前に捕まってしまうのは目に見えている。
協力してもらって処刑台送りに導くのは酷というもの。
朝の段階では二人がまだ牢にいるのを確認している。
絶望感漂うフィルマンと違い、テネーブルなんか笑顔で手を振っていたけれど。
「久しぶりだね、レリア嬢」
いつの間にか約束の庭園に辿り着いていた。
爽やかな王太子の笑顔が眩しい。
こんなに良い人を利用するなんて私には出来ない。
でも…今、話したら二人の命は…。
もう、どうすればいいのよ!!
席に促され座ると目の前に婚約の誓約書が差し出された。
そこには王太子のサインがすでに入っており、あとは私のサインを書き込むだけになっていた。
どうする?書き込んだら公爵の思うまま。でも二人を見捨てられないし!
「…殿下!あの、私は…」
迷いながら口を開いたその時、近衛兵が慌てた様子で駆け込んできた。
「殿下。ご報告したいことが…」
近衛兵はチラリと私の方に視線を向けた。
聞かれて困るような内容なのかな?
退席しようと立ち上がる私を王太子が制した。
「彼女に関係のある話ならこのまま聞こう」
すると少し躊躇ったように近衛兵は王太子に一枚の新聞を手渡した。
「この件で民達が王宮前に集まっております」
王太子は新聞を読み終えると近衛兵を下がらせた。
「それで?先程何か言いかけたようだが?」
新聞を畳むと王太子は私に視線を向けた。
「私は…王太子妃にはなれません」
「理由は…これかな?」
先程折り畳んだ新聞を広げて私の前に差し出した。
そこには大きく『クラヴリー公爵、前公爵夫人を殺害。事故は偽装だった。その真相を暴いたのはクラヴリー公爵令嬢』と書かれてあった。
記者の名前にはフィルマンの名前が書かれており、二人が無事脱出出来たことに安堵した。
「殿下。この記事の内容は事実です。私は犯罪者の娘です」
「王族殺しは一家処刑…か」
「覚悟の上です」
私の覚悟に無言の王太子。
一応ダメもとで最後のお願いだけしてみようかな。
「…あの処刑なんですけど…痛くないように逝かせて頂けないでしょうか…」
王太子が鋭い目つきで視線を上げた。
「それは難しいな…」
甘ったれんなってことですか。痛いのだけは嫌だな…。
「君を処罰したら暴動が起きかねないからな」
ん?暴動??
「記事、最後まで読んでないの?」
新聞を手に取り内容を最後まで読み終えて驚いた。
そこには『自分が処刑されるのを覚悟で死者の無念を晴らしたレリア・アメール・クラヴリー公爵令嬢を罰する必要があるのだろうか。王家に今一度問いたい』と書かれていた。
「王宮に民達が集まっていると言っていただろう。おそらくこの新聞を読んだ民達が君を無罪にするよう嘆願しに来たのだろう」
自分のために皆が動いてくれていることに涙が込み上げてきた。
「そもそも一家処刑は王家に遺恨を残さないための処置だが、今回に限っては例外措置となりそうかな」
…それって…。
「殿下。もうよろしいでしょうか?」
後ろから聞こえてきた声に胸が高鳴った。
この無愛想な声音と話し方。
「だから足音を立てて来いっていつも言ってるだろ。怖いんだよ、お前は」
「いつまでも話し込んで返してくれない殿下が悪いです。未練たらしいですよ」
「お前に言われたくないわ」
振り返ると私の視線に気付いて見下ろされたが今なら分かる。
冷たく人を蔑む目ではなく、優しく思いやりのある目だということが。
「一先ず屋敷に向かいましょう」
腕を掴まれ立たされると王太子への挨拶もそこそこに歩き出した。
「ルディ、待って。待って!私は一緒には行けないの!」
「何故ですか?」
立ち止まるとルディが振り返った。
父が死んだのもルディの母親が死んだのももとはと言えば私が適当に書いた小説のせい。
直接手を下していないにしても間接的に殺してしまったも同然だ。
だから何らかしらの罰は受けたい。
何も言わない私をルディは静かに見つめた。
「レアが何に責任を感じているのかは知りませんが、伯爵と母上を殺したのはあの二人であってレアではありません」
でも私がこんな話を書かなければ…!
「もし仮にレアが二人の殺害を計画していたとしてもそれを実行すると決めたのはあの二人です。クラヴリー公爵夫妻もエドワール侯爵一家もみんなそれぞれの目的のために自分の意志で決断し、動いている」
それは私がそういう風に書いたからで…。
「それとも俺が今、ここにいるのもレアが計画したせいですか?」
ルディの言葉に驚いて顔を上げた。
「少なくとも俺は今、レアを助けたいという意志でここにいます」
ルディの言葉に涙が頬を伝った。
こんなこと原作のルディウスでは絶対に有り得ないことだ。
だってルディウスはヒロインにだけ振り向くような人だから。
だけどここにいるルディは私のために動いてくれている。
自分の意志で。
「私は…許されてもいいのかな?」
「誰が罰するというのですか。そんな奴がいたら俺が始末してやりますよ」
「もう、すぐ物騒なことを考える」
呆れながらもクスリと笑うとルディの口元が緩み…。
「やっと笑ってくれましたね」
…グハッ!
そのまま失神した。
油断していた。
まさか笑顔で殺される日が来るとは…ガクッ。
次話からしばらくルディウス視点に入ります。
読んで頂きありがとうございます。