推測
町の裏通りにある見た目はただの古びた一軒家に一人の男が入って行った。
「ウォッカを一杯頼む」
男はカウンターの席に座るとコップを拭いていた店主に注文した。
直ぐに差し出されウォッカを一口含むと…。
「それ私からの奢りだから」
男は突然背後からかけられた聞いた事のある声に驚きウォッカを噴き出した。
「汚いわね。しっかり味わって飲みなさいよ」
「な…な…な…なんでお前がここにいるんだ!?」
感情を表に出さないよう訓練されている一流の暗殺者を驚かせるって新鮮で楽しい。
これは病みつきになりそうだ。
一般人が一流の暗殺者を驚かせるなんて無理って?
私は一般人などではないわ。
あの無表情で一切感情を表に出さない男の驚く顔が見たくて何年努力して驚かせようと試みたことか。
もはや人を驚かすのはプロの領域と言っても過言ではない。
肝心の男はいつも見下したような無表情で「何がしたいのですか?」って!
あんたの驚く顔がただただみたいだけですけど何か!?
「なんでここが分かったんだよ?」
外からはなんの変哲もない普通の家。中は静かなバーのような酒場。しかし何を隠そうここが暗殺依頼窓口なのだ!
って原作で使おうと思って結局使わなかったネタがまさか現実で実在してくれていたとは。
お陰で探しやすかった。
「私を舐めないでもらいたいわね。あんたの事なら何でもお見通しなのよ」
原作者ですから。
「お前…俺に惚れているのか?」
唐辛子スプレーを取り出すとテネーブルは一瞬で数メートルまで飛び退いた。
逃げ足の速い奴め。
「あんたの冗談に付き合っている暇はないの。仕事の依頼をしてもいいかしら。報酬は弾むわよ」
「…あんたとはあんまり関わりたくないんだけど…」
嫌そうな顔で戻ってくるとウォッカを一口含んだ。
「なによ。一度は刃を交えた仲でしょ」
正確には刃ではなくワンプッシュスプレーだが。
「お前の番犬に睨まれたら俺の命がいくつあっても足りねえの」
「え?そんなに怖いかな?一度負けた相手には尻尾巻いて逃げ出すよ?」
「え!?そんな奴には見えないけど!?…ってお前、何の話をしてるんだ?」
「だから公爵家で飼っているドーベルマンの話でしょ?」
私が応えるとテネーブルに大きな溜息を吐かれた。
番犬って言ったのは自分なのになんで呆れられなきゃいけないの?
「んで?依頼って人殺しか?」
「そんなもの依頼するわけないでしょ。探して欲しい人がいるの」
「はあ?それくらい探偵にでも頼めよ」
「探偵よりもあんたの方が信用できるから。頼まれた仕事はきっちりこなすんでしょ?」
「お前のせいで失敗もしてるけどな」
「でも、あなたには簡単な仕事でしょ?それともまた失敗しそうで自信ないとか?」
「煽ってんのか?」
「まああなたには難しいって言うなら仕方ないわね。これくらいの仕事なら探偵に頼むわ」
「待てよ」
帰ろうと踵を返すとグラスをテーブルに置いて私を引き止めた。
「分かったよ。引き受けるかどうかはすぐに返答できないが、検討はしてやる。一応、情報だけは置いていけ」
テネーブルから『フィルマン』が見つかったとの報告を受けたのはその数日後のことだった。
私は再び先日訪れた一軒家にやってきていた。
「凄いね!監視に見つからずにここまで来れたよ!」
興奮するのも無理はない。
だって前回は追って来る監視を撒くためにほとんどの防犯グッズを使い果たしてようやく辿り着いたのだから。
だが今回は監視が付いていることを察知していたテネーブルが簡単に撒けるように手配しておいてくれたのだ。
その方法とは…。
買い物をしているフリをして裏口から逃げ出す。
なんて古典的な策だと思ったが真正面からしか立ち向かった事のない私がやると効果てきめんになるようだ。
それって私が単純な人間だと思われていたってこと?
失礼にも程がある。
「それであなたがフィルマンさん?」
カウンターに腰をかけているテネーブルの隣には髭も髪も伸びっぱなしの不衛生な格好をしたおじさんが座っていた。
恰好からしてどうやらホームレス生活をしていたみたいだ。
「今更8年前の事故を調べてどうするつもりだ。あれは転落事故死で片付いただろ」
「あなたの記事を読みました。公爵夫人の転落事故は本当に事故なのか疑っていましたよね?何か根拠があるのですか?」
フィルマンは私から視線を逸らすと震えながらグラスのお酒を呷った。
「俺は真相に近付き過ぎた…。これを話したら俺は確実に消される」
震えが止まらないのかグラスがカタカタと音を鳴らして揺れている。
「テネーブル。依頼料を追加するから彼の身の安全の保障もお願いできるかしら?」
一緒に聞いていたテネーブルに尋ねると彼は気まずそうに頭を掻いた。
「あー依頼料はこの前提示された分だけでいいわ」
「協力してくれないってこと?」
「いや…そうじゃなくて…俺もこの事件の真相が気になるし全面的に協力してやるってこと」
…暗殺者なのに気前がいいな。
まさか探偵業に興味が湧いたとか!?…無いな。
「こちらとしてはあなたが協力してくれるならとても助かるけど、本業の方はいいの?」
「…本業は他にもやれる奴がいるし、あんたは気にせず好きなだけ俺を使ってくれ」
『やれる』が『殺れる』に聞こえてしまうのは間違っていないよね?
「ということだそうですのであなたの身の安全は彼が保証してくれます。だから知っていることを話して下さい」
フィルマンは少し戸惑いながらも覚悟を決めたのか姿勢を正すと私を真っ直ぐ見た。
「あの事故現場に駆け付けた時、現場はすでにクラヴリー公爵によって封鎖されていたんだ。それだけならまだ妻の事故を聞きつけて慌ててやってきた公爵が原因究明に努めていると思えた」
何かを思い出すようにフィルマンは視線を下に向けた。
「少しだけ見えた現場には数の合わない車輪が落ちていて、俺は瞬時に馬車同士の衝突事故かもしれないと思ったよ。だが俺の前に現れた公爵からはこれは馬の暴走による単独事故だと伝えられた。記者としてもちろん追求しようとした。だが…」
フィルマンは拳を強く握った。
「その時に見てしまったんだ…。公爵が持つ杖の持ち手に拭き取ったような血の痕が付いているのを…」
「現場にいたのだから血が付いて拭いただけじゃないの?」
「違うんだ!持ち手についた血が突然消えたように柄から途切れていたんだ!」
「なるほどな」
黙って聞いていたテネーブルが何かを察したように呟いた。
「暗殺業で重要なのは本当に相手が死んだかどうかだ。もし生きていたら止めを刺さないと依頼達成にはならないからな」
「それと杖に何の関係があるの?」
「杖に武器が仕込まれていたとしたら?」
つまり公爵の杖は刀にもなるって言いたいの?
確かにそれなら持ち手と柄の境界で血が途切れていたのにも説明がつく。
しかしそれだと公爵は誰かに止めを刺すために仕込み刀を使用したということにもなる。
「公爵は生きていた誰かに止めを刺した…?」
「状況から考えて妥当なところだろう」
最初に現場に駆け付けたのも確実にターゲットの息の根を止めるためだとしたら…。
「新聞を出した日、俺は突然新聞社を首になった。俺の新聞記事を見た公爵が圧をかけてきたんだ。他の新聞社に勤められないかかけあってもみたが、どこの社にも断られたよ」
翌日の新聞から事故を主張するようになったことを考えると公爵が記事を操作していた可能性もある。
「俺も若かったから向きになって単独で事故を調べようとしたんだ。お陰で今の状況を見たらわかる通り、散々な人生を歩む結果になったけどな」
ただの事故ならここまでする必要はない。
その相手が元王族の公爵夫人との衝突事故だったとしても。
公爵の早い到着。杖についた血痕。事故を調べようとした記者への圧力。
明らかに何かを隠そうとしている。
「あなたは衝突事故を疑っていたのよね?その衝突した相手は誰か分かっているの?」
「俺が分かったのは事故直前に暴走した馬車が事故現場に向かっていたこと、その馬車は貴族の馬車ではあったが公爵夫人の馬車ではなかったこと、そして大きな音が二回程聞こえたという証言だけだ」
「単独の転落なら馬車が崖下に落ちた時の一回しか大きな音は聞こえないからな」
なんでそんなこと知ってんの?
飄々と答えるテネーブルを訝しそうに見た。
「事故死を装うには一番簡単な方法だからな」
そんなことだろうと思ったよ。
「それにしてもなぜクラヴリー公爵家のお嬢さんがこの事故を調べようと思ったんだ?」
フィルマンの話を聞いて疑惑は確信に変わった。公爵夫人と衝突したのは父かもしれない…と。
「…亡くなる前に私が父に渡した手作りのワッペンを公爵が隠し持っていたの」
フィルマンの目が見開かれたあと、何かを考え込み始めた。
おそらく考えていることは私と同じだろう。
「現公爵夫人との再婚を考えると、もしかしたら公爵が殺したかったのは二人とも…?」
呟くフィルマンに私も同意するように自分の手を握りしめた。
おそらく暴走した馬車は父の馬車であり、暴走するように何か細工をされたんだ。
そこに偶然か必然か…居合わせた公爵夫人の馬車と衝突。
駆け付けた公爵は証拠隠滅のため現場を単独事故に見せかけた。
後に母と再婚しても殺しだと疑われないように…。
父の遺体を一日遅れにしたのもきっとそれを考えてのことだろう。
でもこれらは全て私達の推測でしかなく、公爵が殺害を企てたという証拠にはならない。
日本なら科学捜査とかで年数が経った事件でも確実な証拠を得られたりすることもあるが、この世界にはそのようなものはない。
せめて事故直後の公爵が刺した跡とか調べられればもっと…。
突然顔を上げると二人の視線が私に集まった。
「そうだ!お墓に行こう!」
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