甘えられなくなりました。
建国祭以来、ルートヴィヒとの関係は以前に比べると、ぐんと近付いた気がする。
私はルーイ、ルートヴィヒはメルクーアと呼んで一年が経った。人前で呼ぶのは恥ずかしいため、二人きりでは無い時は、変わらずルートヴィヒ様と呼んでいる。
恥ずかしいと言っても、甘い声と甘いマスクで反応してくれるので、毎度のごとく心臓に悪い。
「…ルートヴィヒ様はカッコ良すぎる…」
私は机に項垂れる。
シュテルンベルガー邸に入り浸っているジークフリートは、紅茶を飲みながら優雅に寛いでいる。
これではどちらの家なのか分からない。
彼は私の大きな独り言を、興味がなさそうに返事をする。
「ちょっとっっ聞いてるの?」
「半分だけ。殿下がかっこいいって話だろ?」
「聞いてるじゃない。ねぇ男の子から見て、ルートヴィヒ様はどう思うの?」
ジークフリートは私が投げかけた質問で、ようやく本から目を離す。その顔は心底嫌そうだ。
何、その顔。というのは既のところで飲み込んだ。
「一般的に見てかっこいいんじゃない?僕は別にかっこいいいとは思わないけど」
何か他にも言いたそうに吐き捨てるジークフリートに、これ以上の質問は彼の機嫌が悪くなると察知した私は、話題を変えようと思った。
「そういえば…ジークは今日何をしにきたの?」
「メルクーアのお父様…シュテルンベルガー伯が面白い本を貯蔵したと言っていたから」
読んでいた本をこれみよがしに見せてくる。
その本の表紙から、内容は戦に関する物が書かれているものだとわかる。彼の生家であるクラウスハール家は、男性は皆騎士として育てられる。彼も例外ではない。日々大切な訓練をしているらしい。
以前、父親とクラウスハール邸にお邪魔した時に、訓練場で汗を流している姿を見かけた。
いつも見せる飄々とした表情とは異なり、真剣な表情の彼はカッコ良かった。
調子に乗るだろうからこれは絶対本人には言わないけど。
普段は綺麗に着飾っているジークフリートも素敵だが、彼の兄達にボロボロにされている姿も素敵なのだ。
「…お父様…ジークには甘いわよね」
机に頬杖をつきながらため息を吐く。
シュテルンベルガー家にも男はいる。私の兄達だ。だが、頭のいいジークフリートも父の溺愛の対象になるのだろう。兄達も彼を本物の弟のように可愛がっている。
「確かに。メルクーアより可愛がられている気がする」
「私の方が可愛がられているわっ」
頬に空気を入れて怒っていると、彼は楽しそうに笑う。
くそぉ…顔がいい。
「で?そのルートヴィヒ様と何かあったのか?」
また本に視線を落としながら彼は私に質問を投げかける。
不機嫌になったから、せっかく話を逸らしたのに…こういうところ敏感なんだよな。
「別に…これと言ってないんだけど」
「喧嘩でもしたのか?」
「喧嘩…はしてない。ただ…甘えられなくなったのよ」
静かな部屋で、私の悩みとジークフリートの呼吸音だけが響く。私が悩みを吐露した後、数十秒の沈黙が流れる。
耐えきれなくなって口を開こうとした時に、彼が長いため息を吐いた。ソレに私の肩が動いた。
「殿下が、甘えてくれって言ったのか?」
彼は変わらず本に視線を向けたまま私に話しかける。
「言った…?いや…ん…言っていないような」
一年ほど前の出来事だが鮮明に残っていない。
あれほど楽しい思い出だったはずなのに、どうしてルートヴィヒとの会話を明確に思い出せないんだろうか。
「そこまでの記憶なら言っていない。それか、メルクーアから甘えていいか?って言ったかのどっちかじゃないのか?」
彼の推理に私は思い出す。
そうだ…私がルートヴィヒに甘えていいか訊ねたのだった。
「私から聞いたわ…よく分かったわね」
「メルクーアの傾向から、殿下に言われて嬉しかったことは逐一僕に報告してくれるだろう?」
「……ぐ……。確かにするけど…」
ジークフリートはようやく本から私へと視線を向けると、またもや心底嫌そうな顔をする。その顔を見て、今度から彼に言わないようにしようと心に誓う。
「別に無理に甘えなくていいと思うんだけど」
「…やっぱりそう思う?」
「まぁ僕には関係ないけど」
「友達じゃない」
「どうして今ソレを持ち出すんだ」
「だって…辛い時は支えになるって言ってくれたから」
突き放すような返事に、寂しそうに返すとジークフリートは手で顔を覆う。
「………そんなこと言ったね」
「でしょ?だから…支えになってよ」
首を横に傾げながらごますりを行う。
「僕、メルクーアとルートヴィヒ殿下の出来事には首を突っ込まないようにしたいんでけど」
「……え?」
心底嫌そうな顔は、私ではなく…ルートヴィヒとの関係だけだったようだ。
彼には悪いことをしたみたいだ。
「…ごめん」
「いいよ。でも、今日は帰る」
「うん。ねえ…ジーク」
「何?」
「今度、紅茶入れるから…絶対に来てね」
いつもよりワントーン低い声で会話するジークフリートは、部屋を出ようとする。私は彼を引き止めるように、次の約束を取り付ける。そうでもしないと当分会えないような気がしたからだ。
「分かった。メルクーアの入れた紅茶好きなんだよ、僕」
「そう言ってくれると思った」
今度こそ部屋を出ようとするジークフリートに手を振り送り出す。
すると、背中を向けていた彼がこちらを向いて、私の名前を呼ぶ。
「何?」
「メルクーアは、メルクーアのままでいて欲しい」
「…えっと?」
「僕はその方が好きだ」
「…は?」
それだけ言い残したジークフリートは今度こそ背を向けて部屋を出た。
部屋には手を出している私だけが残った。
「…今の何?」
ジークフリートに伸ばした手は、空を切って落ちたのだった。
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