第14話 彼女と彼氏と、釣った魚は、でかかった。
「明日菜」
ふと、そんな声がきこえて、私の意識が、ふっともどされる。
ー?
だれ?
「明日菜」
もう一度、呼ばれる。
ー?
・・・あすな?
だれ?
「明日菜」
ずっと、そう呼んでくれていた、
ーやさしい女のひとの声。
わかい、おんなの人の声。
「・・・わかる?」
私は、もう一度、目をまたたく。
目の前には、ふくらんだお腹の、私とおなじくらいのおんなの人がいる。
ーけど、
ぼんやりとかすみがかった、私の意識は、また、うとうとしだす。
「・・・私じゃ、ダメか」
そう、ちょっと、残念そうに。
でも、どこかほっとしたような声。
ーだれ?
でも、もう、いいか。
ただ、ぼんやりした頭に、話声だけがきこえてくる。
なんだか、身体が不規則に振動している。
あれ?
そういえば、さっきまで、飛行機にのっていた気もする。
ー?
飛行機って・・・。
のった、かな?
ぼんやりしたあたまは、やっぱり、
ぼんやりする。
不規則な振動が、さらにねむけを誘う。
「・・・彼、は?」
「いつもの場所にいます」
「ーそう」
もうひとりのおんなの人との声。
このこえは、きいてる。
ずっと、そばにいてくれる。
私に、
ーちゃんと守ったわ。
そう言ってくれたひと。
ー?
なにを、まもったの?
私は、
ーなにをまもりたかったの?
?
?
ー?
ほんとに、
ーわからない。
けど、
ふと、かんじた、潮のにおいが、なにかを感じさせる
ーしお、かぜ?
うみのにおい。
あれ?
私がすんでるところに、
ーうみあったかな?
ー?
なんか、もう、どうでもいい。
かんがえるの、
ーきつい。
ーきつい、のかな?
ー?
なんだろう?
そんなに、いやじゃないけど。
でも、
もう、いーや。
なんか、そうおもうから。
私の意識はまた、おちていく。
「・・・いいよ。もう、ゆっくり、おやすみ」
わかいおんなの人の声がして、私の髪をなでる手の感覚。
とても、やさしい手の感触に、
私の意識は、かんぜんに、
ーおちた。
パタン。
って、なにかが、しまる音で、ふと我にかえる。
ー?
うすぐらい。
ただ、耳に、
ーサザーン。
と、どくとくの音と潮の香。
「・・・う、み?」
そうつぶやいても、
ー?
なんの返事もない。
ー?
あれ?
いつも、私のまわりには、
ーだれかいてくれたのに。
いつも、私のまわりには、
ーだれかの視線があったのに。
ー?
だれのしせんも、
ー?
あれ?
ここは、
「ーど、こ?」
つぶやいたら、少しずつ、あかるくなっていく。
ーあさひ。
「よあけ?」
つぶやいても、
ー?
へんじがない。
ー?
だれのしせんも、
ー?
あれ?
ー?
おかしく、ないのかな?
ー?
そもそも、しせんって、
ー?
いつも、そんなに、
ー?
かんじる、の?
あれ?
ー?
わたしは・・・。
「ーだ、れ?」
ー?
さっき、誰かが、よんだよね?
ー?
あれ?
私の、
「・・・な、まえ?」
あれ?
ー?
そんなに、
ー?
ひつよう、ある?
ー?
いみ、あったかな?
ー?
なにかを、
ー?
私は、きめたよね?
ー?
「なまえ」
ー?
なにか、たいせつだったはず。
私の名前は―。
ーだれだった?
ー?
なまえ、いる?
「いらない」
ーだよね?
「いらない」
ー?
あれ?
やっぱり、おかしい。
ー?
私のまわりに、
ー?
しせんが、ない?
ー?
ひとの、めがない。
ー?
あれ?
ー?
「いる?」
ー?
「いる、の?」
ー?
あれ?
私は、もういちど、目をまたたく。
うすぐらい、視界に。
笹の葉みたいな、空き地の草が目にはいる。
あかい、自転車が目にはいる。
ー?
たしか、あの・・・。
「・・・パンダ?」
なんか、頭の中で、映像がながれる。
マウンテンバイクと、
パンダ。
ー?
だれかが、おしえてくれた。
ー?
私の記憶を、かすかに、いじる。
ー?
パンダ。
と、
マウンテンバイク。
と、
ー?
「・・・パンダ」
もういちど、つぶやくけど、
ー返事はない。
そう思ったのに、
「おっ!マジで釣れた!」
って、とてもうれしそうな声がきこえた。
「やっぱり、俺って、なぞに強運!マジ、すげー!」
って、無邪気な声が、はっきりときこえた。
あっ。
私は、もう、ほとんど、反射的に、
そっちをみた。
「まぶしい」
ちょうど、朝陽がのぼるタイミングで、
その海は東側で、
まぶしい、
あさひのなかに、
「ーパンダ?」
しろいボディに、赤いサイドミラーのパンダみたいな車。
ちっちゃな、かわいい車。
ほんとに赤いサイドミラーが、
「ーパンダ?」
どっかでみたって思ってたら、
「失礼だな、俺の愛車だぞ?」
って、声がした。
つづいて、考える暇もなく、
「えっ?」
って、声がして、
「えっ?」
って、思ったら、
「へっ?」
って、かえってきて、
「へっ?」
って、思ったら
「ええーっ?」
って、いうから、
「・・・ふやしたら、ダメだよ?」
つい、反射的に口がうごいて、
「あ?」
って、防波堤のうえで、すかさず、考えさせてもくれないで、朝日にてらされたシルエットがいうから、
「あさひ?」
つい反射的に返事をした。
そのシルエットをよく見ようって、おもうけれど、
まぶしいよ?
よくみえないって、ぼんやりしようと思ったのに、いつも、みたいに、
「い?」
って、もう、すごく、強引で。
って、立ってる防波堤をしめすから、
「いし?」
って、なんとかこたえたけど、
むりない?
それ、石なの?
・・・石かな?
どうでもいいって思うのに、
「う?」
って、やっぱり、すごく、ごういんに、私の意識をよびもどして、
ーそこで、飛び跳ねたら落ちるよ?
あれ?
いつかも似たような心配したよね?
って、そっちをゆびさしてるけど、
落ちたらダメだよ?
「うみだよ?」
のぼりはじめた朝日にてらされて、
キラキラ海面がまぶしいから、
目をとじたいのに、
「え?」
って、声がやっぱり、私を強引にひきもどす。
ほんとうに、うれしそうで、私もつい笑った。
「映画みたいだね?」
ああ、そうだ。
そうだ。
ーえいが。
映画。
あの、きっかけだった、映画もこんな場面があったけれど。
うん、
そうだ。
そうだね?
いつも、私は映画のなかにいて、
「お?」
って、本気で驚いてるくせに。
うれしさを、かくせてないくせに。
ほんとに、いつも私に、考える暇をくれないで、
ごういんなまでに、私をいつも助け出してくれる。
くらい海の底から、釣れり上げてくれる。
そうだよ。
だから、
「おままごとの、恋だよ?」
そう言われたよ?
おままごとみたいに、なにもかもが、いつだって、強引なストーリー展開で。
おままごとみたいに、純粋で。
おままごとみたいに、一瞬で。
おままごとみたいに、
ーつづいてほしくて。
おままごとのはじまりは、さ。
そう、ロマンティックに思いたいのに、
「か?」
って、やっぱり、
ー彼は強引で、
ー彼は、鈍感で、
ー彼は・・・。
「・・・いつまで、やるの?春馬くん」
私の、たいせつな、春馬くん。
私は、あきれた。
くっきりとした、視界には、
「おはよう!明日菜」
って、笑う春馬くんがいた。
朝陽にてらされた、
「・・・なんで、それ?」
私は、防波堤から降りようとした春馬くんから、反射的に距離をとる。
だって、
「えっ?釣れたから」
って、あの魚の、ものすごく大きいサイズをもってる。
たぶん、過去最大におおきい。
っていうか、こんなところで、あのサイズ釣れるの?
っていうか、
「どうして、いま、釣れるの?」
「ーなんでだろうな?」
って、
・・・本気で首をかしげてる。
たぶん、私をわすれて夢中で釣ってたね。
あの状況で、私をわすれるの?!
って、思うけれど、
「ーおたがいさま?」
「失礼な。俺は、明日菜を忘れてないぞ」
って、笑う。
やさしく、
春馬くんがわらう。
ーけど、
「・・・魚、やだ」
って、現実に、もどされる。
あの、お魚も私の記憶をむりやりひっぱりだす。
しかも、
ーなんで、いまそんな大きいの釣るの?!
・・・それが春馬くんだけど。
「過去最高記録だぞ?」
って、胸をはるけれど。
「・・・魚、やだ」
つぶやく私の声がふるえて、
「ーしかたない。ラッキーだったな、おまえ」
って、春馬くんがやさしくわらって、お魚を海にかえそうとして、
「ええっ?!もったいない」
って、声がとめた。
ーなんでだろ?
春馬くんと一緒に、私のまわりの音が、いっきにもどってくる。
いろんな人の声が、きこえてくる。
「ーあっ、やっぱりいります?」
「いるいるって、ごめん、ついー」
「いいですよ。じゃあ、このクーラーボックス・・・入るかな?ぎりいけるか」
「すごいわね」
「最高記録」
「なんで、あんたは、いま釣るかな?」
「ー俺だし?」
「だよね」
「いる?」
「私はいいから。あんたは明日菜でしょ?」
って、相変わらずの声もきこえてきて、
「真央?」
朝陽にのなかで、半泣きの顔で真央が笑ってる。
やさしい、お母さんの顔でわらう。
「おはよう、明日菜」
って、笑う。
そのとなりで、マネージャーは、
「うわー、ほんとに大きいね」
って、私よりあのお魚に夢中だ。
「ーマネージャー?」
って、ついきいたら、
「おはよう、明日菜。いい天気だね」
「・・・いい天気だね?」
アハハって、笑い声のなかに、ちょっと泣きそうな響きがあって、
「ーおはようございます」
私の声も泣きそうになるけど、
「うわっ、痛っ?!お前元気すぎるぞ?!」
って、春馬くんの声が、あの魚が、私の涙をひきとめる。
ー私の涙を、とめてくれる。
けど。
ーなんで、いま?!
って、顔をしかめたら、
「なあ、あれって、神城明日菜じゃね?」
「あっ、ほんとだ。しかも、あの車って」
って、声がきこえてきて、私の背筋をひやっとしたものがおそう。
ーあの車。
しろいパンダみたいな車がネットに、たくさん、あの日、流れちゃって、
「あー、空色の腕時計もしてる」
って、声が私の耳に、無理やり響いてきて。
「カメラ、カメラ」
って、スマホをかざすから、
当然のように、私を追いかけるから・・・。
もう―。
「ーもう、いいよ明日菜」
そう力強く抱き寄せられて、
「いやっ!」
って、乱暴にふりほどいたのに、
「手はー、洗ってない、な」
って、言うから、
「えっ?」
「ええっ?!」
「なんで、ふやすの?」
「えー?」
「アルファベットは、いらないよ?」
って、つい返したら、
「それはこまる」
って、いつもと違う返事で、
「えっ?」
「英語は、つかえない」
「えっ?」
「英国領土に、なったことがない」
「えっ?」
「エジプト文明も、関係ない」
「えっ?」
「映画にも、なってない」
「えっ?」
「映像は、通用しないな」
「えっ?」
「永住は、むりだけど」
「えっ?」
「営業は、かけようかな?そのうち」
「えっ?」
「英語が通じないから、俺でも行ける」
「えっ?」
「英語が通じないで、日本語教師だぞ?」
「えっ?」
「英語って、便利だったんだな?」
「えっ?」
「えっ?だよな?おれも、びっくりだ」
なんのこと?
って、思う間もなく、
「あっ、もしもし?いま、すごいの流してるよ?神城明日菜の・・・あっ、ごめん。怒られた。なんか時計のCM撮影だった」
いつのまにか、福岡支社のひとたちがカメラや機材なんかを用意して、わたしたちのまわりをガードしてくれている。
ーまもってくれている。
「・・・大丈夫だよ、明日菜」
やさしく手をのばしてくれるけど、
「その手で触っちゃいやだ」
私は、やっぱりあとづさる
「・・・ここで?」
「・・・なんで、ここで、釣るの?」
しかも、過去最大なんて。
「ーだよな」
って、頭をかく左手首には、あの空色の腕時計があって。
そしてー。
「はい、明日菜」
って、ポケットから、紙切れをとりだした。
ー?
って、思ったら、
「ー契約期限切れ?」
私はその紙につぷやいた。
「そうよ、明日菜」
って、半泣きの声をみる。
「きょうで、「神城明日菜」はもう終わり」
「神城明日菜が終わり?」
私の名前だよ?
そう思ってたら、
「はい、こっちも書いて」
って、春馬くんがもういちまいの紙をさしだしてくる。
それは、
「ー婚姻届?」
私はその漢字を読んだ。
「うん。今日から、村上明日菜だよ」
って、春馬くんが言った。