第10話 彼氏と彼女と親友のちいさないのち。
それは、ほんとうに、私も村上もまったく予想できなかった。
あらゆる危険予測を、無意識で計算しちゃう私たちだけど、
ーもう、勝手に脳がそう動くんだけど。
人の感情ににぶいアスペルガー。
無表情で、はたからみていたら、何を考えているかわからないって、言われるけれど。
ー知能指数が高いことでも有名だけど。
・・・そんだけの情報がいつも頭の中をぐるぐるしていて、悪い人もいい人も、客観的に見ちゃうから、どっちのことも、理解できちゃうから、
ーまんなかの感情が、わからないだけだよ?
だって、私達には、真ん中がわからない。
なにをどうやって、目に見えない人の感情を計測するの?
だって、明日菜の悪口を言う子の感情も、言われた明日菜の感情も、なんなら、あの初カレのくそ男、赤木の感情だって、
ー理解したら、もう、納得して、怒りすら続かないんだ。
なんで、みんなイライラするの?
なんで、みんなイライラしてるくせに、
ーなんで、私たちがちょっとでもイラっとしたら、キレるっていうの?
私達からみたら、世の中のほとんどが、無意味になにかに、勝手に怒ってる。
ー意味がわからないのは、こっちなのに。
「ー真央。そういう時はね、ふつうならー」
私がふつうに見えるのは、そう小さいときから訓練していたから。
療育を、うけていたから。
私には目に見える知能指数があったから、だから、私は小さいときから人の表情や感情を、
ー教わって生きてきた。
教科書で、判断してる。
そういう人とのズレを私は、幸いにして、両親がはやくに気づいてくれた。
だって、私にはもう上にお姉ちゃんたちがいたから。
ーはじめての子だったら、気づいてやれなかったかも。
そして、お母さんは続けるんだ。
ーそうしたら、そのお母さんは、教育が悪いって、ほんとうに苦しむんだ。そして、まわりの子たちと同じようにしようって、
ー自分以外の誰も理解してあげられないって、
追いつめられるんだ。
ーだって、見た目はふつうにみえる。
ふつうにみえたら、周囲は母親の訴えなんかきいてくれない。
ー育てかたがわるいだけ。この子はふつうだ。
・・・そのふつうが、わからないのに?
なんで、ママをくるしめるの?
なんで、私のせいでママが苦しむの?
ぜんぶ、私が悪いのに。
ーなんで、みんな大好きなママをいじめるの?
私のたったひとりの理解者なのに。
そう言いたいのに、私たちは言葉の理解力が独特で、だから、うまく言葉にできなくて。
ーいつも、困らせてごめんなさい。
そう思ってるんだよ?
思ってても、いつもたくさんの目にはいる情報が、私たちの言葉を、興味を別の方向にかんたんに持って行っちゃうから。
ーごめんなさい。
そのひとことを心で思ってても、うまく口に出せないから、
ーママがこまるんだよね?
知能指数が高いからって、興味がないなら、意味がないんだ。
だって、なんで国語の教科書や歴史や英語でしってるのに、それ以上勉強しないといけないの?
ー教科書にのってるから?
じゃあ、載ってる範囲だけでいいじゃん。
もっと、目に見える理科や算数の方が楽しいよ?
だって、答えがひとつしかない。
解き方はいろいろあっても、こたえはひとつだよ?
そう自信持ってたのに、
ー式が違うとなんでダメなの?
ならってないから?
だって、こっちの方が簡単にとけるよ?
ー算数も、よくわかんなくなる。
たくさんの、大人が、私たちには、理解できないことで怒って、
ー大好きなママをせめるから。
私はいつも指をしゃぶって、口をとじてた。
だって、なにか言うとママがまたみんなに怒られる。
療育でちゃんと知識をもって、私を理解しようって頑張ってるのに、私にとっては、それだけが救いだったのに。
ーなんでみんなは、ママだけをせめるの?
なんで、パパには言わないの?
私たちには、目に見えてる情報が、真実なんだよ。
だって、
ー目の前にある。
それだけが事実だよ?
ーでも、そう思うことが、違うって、私は文字通り、療育されてきた。
そういう特性を両親が理解してくれていたから。
村上が学校になじまない理由で、私が一見、なじんでる理由。
ーほんとは、私の方が特性は強いんだ。
ただ、療育がはやかったから。
それでも、パパは理解が遅れてた方だった。
あの時は悪かったっていまでも言う。
ママが許しても私は許さない。
なんで私には謝ってくれないの?
ーだいすきな相手が、目のまえで怒られる。
ものすごく、嫌な、でも現実にある光景。
私達には、それがすべてだよ?
そう思いながら、ずっと生きてきて、中学校で村上とであって、少しは息がしやすくなったけど、
私は人との距離がずっとわからなかった。
ー明日菜と村上がー。
ううん、村上がいるなら、いいやって思ってた。
そこに恋愛感情はいっさいない。
でも、私たちは同じ景色をみてるから、それだけで息ができたんだ。
たったひとりの貴重な存在。
それが大切な明日菜と一緒なら、もう私は、べつにどうでもいいやって思ってた。
いつか、明日菜と村上の子供ができたら可愛いって思うのかな?
ー私にとって、思考のちがう他人と一緒にいるのは、すごく疲れるから、つかれたら、もういいやっておもってたけれど。
ね?
明日菜?
そんな私でも大切なひとが見つかったよ?
ね?
明日菜?
この世界は、たくさん嫌なこともあるけれど、
ー明日菜には、村上がいるよ?
ー私だって、いるよ?
明日菜のお母さん、お父さん、お兄ちゃん、お姉ちゃんー。
たくさんの人が明日菜の幸せを、ほんとうに願ってるんだよ?
あの成人式の日に、私が村上のプレゼントを渡していたら、
ー未来は、かわっていたのかな?
たくさんのカメラやマイクやフラッシュが刺激するから、
ー私も焦ってた。
-刺激から、逃げた。
ー明日菜を、おいて。
ー私だけ、逃げた。
明日菜は気がついたよね?
でも、やさしく、もう時間だよって笑ったね?
あの時に、一緒に逃げようって言えたら、なにか未来は変わったのかな?
もう、いいよ。
いいから、こっちでゆっくりしようよ。
もうじゅうぶんに、明日菜は頑張ったよ?
もう、私のしらない誰かに傷つかないで。
ーでも、あの時にはもう遅かったね?
だって、もう、明日菜の心は、あの冬の屋上で限界だったのに。
ー明日菜は、ぎりぎりまで、私たちのことを想って、頑張ることをやめられなかったね?
私と村上の願い事はいつも、
ー逃げて、明日菜。
だよ?
大人がもう怯えてる世界だよ?
大人ですら、きついんだ。
「・・・この子は、ちゃんと逃げられるのかな?」
私はまだふくらんでもいないお腹をなでる。
私は、不安定なのをわかってる。
いま、いつもと違うのもわかってる。
いつもなら、こんなネガティブな思考自体ができない。
ーそうわかっているのに、
ね?
明日菜。
私は、わかってるくせに、こんなにも怖いんだ。
この子を失うことが。
あのちっぽけな星の瞬きのような、儚い、でも、力強い輝きをみた時から。
ーその力強さが、続かないことも同時に知っちゃったから。
もう、これが最後なんです。
ーどんなにのぞんでも、手に入れられない、ほんとうに奇跡の塊だから。
ね?
明日菜。
村上はきっとー。
「大丈夫だよ。僕らがちゃんとこの子の逃げ場所をつくってあげよう。こころが疲れちゃったときに、そう、素直に言えなくても、たとえそれが、自分の意にそわなくてもー」
ー大丈夫。僕と真央なら、守れるよ。
そう毛深いゴリラみたいな先輩がいう。
ー守れるよ。
そういったくせに、
「柴原っ?!」
椅子からびっくりして落ちた私は、お腹に痛みと、下着をよごす感触に正気じゃなくなって、
ーそんな私をはじめてみた、村上も動揺して、
明日菜が村上にかけた電話を、ふだん、村上がもってないスマホで、
ーたまたま、私のスマホと同じいろだったから、
ーたまたま、その場に村上がいなかったから、
係長が勘違いして、私に渡しちゃったんだ。
しかも、すぐ切れたのに、私が椅子から落ちたから、
ー村上は明日菜からの連絡に、気づいてなかった。
だって、履歴をみないとわからない。
ー私がいちど、電話にでてるから。
ね?
明日菜。
なんで、こういうことが起きるのかな?
ほんとうに、偶然だよ?
すべてが、偶然だったのに、
ー奇跡みたいに、明日菜の心を壊してく。
笑えちゃうほど、奇跡みたいなタイミングで、
ーなんで明日菜ばっかり苦しむの?
「真央っ?!」
気がついたら、私は白い壁の病室にいて、点滴をうけてた。
「ー先輩?」
「ああ、動いたらダメだよ。しばらくは安静なんだ」
ー念のためだよ?
そうやさしく、先輩が頭をなでてくれる。
それで、やっぱり私の頭は理解した。
「じゃあ、無事なんだ」
「うん。妊娠初期にはよくあるけれど、ちょっとだけ、出血の量が多かったからー。ほんとうに、ちょっとだけ、安静にするんだ」
ふだんは、完全に崩すくせに、こういう時の先輩の笑顔はまったくよめない。
ーよまなくて、いいよ。
ーもう、知らなくていいよ。
そう、わかってくれるから。
ね?
明日菜。
大丈夫だよ?
私でさえ、見つけられたよ?
明日菜には、ちゃんと、わかってくれる人がいるよ?
ーちよっとだけ、待っててよ?
こんどはちゃんと、一緒ににげるよ?
ちゃんと、怯えないで、フラッシュにたちむかうよ?
大好きなこの人の、新しい命を、かけがえのないこの子を無事にこの世に送り出せたら、
ね?
明日菜。
出産と同時にたくさんの生物が、命を終えることも、なんかわかったよ?
もう、私はいまは、この子が無事に生まれてきてくれたら、それでいいんだ。
私がいなくても、きっと私の大切なこの子を私の大事なシルバーバックがまもってくれる。
ー私のかわりに、まもってくれる。
だから、さ。
もしもの時は、絶対に明日菜に会いに行くよ?
だから、
「ー絶対に、まにあうんだよ?村上」
世界自由のどこの深海にいても、絶対に明日菜を釣り上げて。
「ー間に合うよ。絶対に。みんなが彼女を助けたいって願ってる。もう一度、笑ってほしいって願ってる。そんなふうに愛されてるなら、大丈夫だ」
ー僕らがみんなで助けよう。
そういうけど、
「先輩くさいです」
「えっ?石鹸で洗ったよ?」
さっきまで、あんなに頼もしかったのに。
一瞬で、崩れちゃうこの人の、
「・・・うそです」
いつもは私がくさいって、言ったら手をすぐに放すくせに。
「ーなら、よかった」
そうやさしくわらう、この人に、
ね?
明日菜。
私は生きててよかったよ?
生きてなかったら、この優しい手も、この星の瞬きみたいな儚い命でさえ、
ーであわなければ、守れないんだよ?
ね?
明日菜。
いまは、みんなの声がとどかないほど、疲れてるけど、絶対に、私たちは、
「あきらめないよ?」
でも、
絶対にもう、追いつめないよ?
村上がよく口にする絶対的な安全な車間距離をとるけど。
ーどんな山道でも、あいつの車はぐんぐんのぼるよ?
絶対に見失わないよ?
そして、直線になったら必ず追いつくから。
ベストのタイミングで必ず助けるから。
いまは、つかれた心をまずは、疲れてみることを、自分にゆるしてあげてね。
ー明日菜は、ただ、生きていてくれたらいい。
あとは、
「もう、明日菜の優しさにあまえてた、私たちの出番だよ」
ーよくがんばったね、
明日菜。
もう、いいよ?
限界なら、もういいんだよ・
ぜったいに、私たちが守るから。
あとは、ただ、もう、明日菜は、この世に存在してくれたらいいよ?
それだけが、ほんとうに、いまのみんなの願いだよ?
だって、
私たちは、明日菜に幸せになってほしいって、
笑顔になってほしいって、
そう、いつだって、願って、がんばるから。
もう、がんばらなくて、いいんだよ。
いまの明日菜には、まだ、とどかないのかな。
だけど、
ね?
明日菜。
もう、それでいいんだよ?
見たくないなら、目をとじちゃえ!
聴きたくないなら、耳をふさいじゃえ!
つらいなら、逃げちゃえ!
ーあとは、もう、私たちがどうにかするから。
逃げて!
もう明日菜は、じぶんの心さえ守ればいいんだよ?
あとは、私たちが、村上が助けるから。
ー逃げて。
それだけが、いまの私と村上の願いだよ?