第2話 彼女と彼氏と彼女の後輩たちの願いごと。
「ー明日菜先輩、どうしているのかな?彼氏さんと二年ぶりの再会だよね?」
いいなあって、目のまえにいる、黒髪の子がいった。
ここは、東京にある、とある大手プロダクションの、女子寮の一室。
きれいに整理された部屋には、可愛い猫の大人気キャラクターとかもいるけど、
ーそれ以上に、存在を主張するものがある。
大きな合格だるまとか、やたら、福岡や九州にかたよった、ご当地マグカップとかが目立つ、不思議な部屋。
私たちの、大好きな先輩の、部屋だけど、部屋の主の先輩は、昨日の朝早くに、マグカップの故郷、福岡に行ってしまった。
ーえっ?どうして、留守の部屋にいるのかって?
そりゃあ、明日菜先輩が、カギをかけてないからだけど?
もう、私たちは、鍵がかかってなければ、自分たちの部屋より、明日菜先輩の部屋にいる方が多い。
先輩は、やさしいし、あたたかいし、なによりもー。
「・・・大丈夫かな?」
目のまえの子が、そうつぶやく、
「大丈夫だよ。明日菜先輩の、彼氏さん、なら」
私たちの前には、明日菜先輩から、まえもって許可をもらった、なぞに輝く、レインボーカラーのクッキーがある。
なんでクッキーがこんな色になるのかなって、毎回、本当に不思議におもう。
そして、不思議だけど、絶対に、美味しそうには見えないお菓子。
私たちの寮では、ずーっと、奪い合いの、明日菜先輩の彼氏さんの、手作りお菓子。
明日菜先輩は、絶対に食べないから、私たちの胃袋におさまるけれど、
「・・・きょうは、胃薬どれにする?」
私は、明日菜先輩が私たち用に常備してくれている胃薬や下痢止め、痛み止めなんかの常備薬を、ガサゴソとあさる。
目のまえの子が、うんざりした顔で、青い表紙の胃薬の箱を手にとる。
「一応、メジャーな、やつから?」
「・・・だよね?」
「ー他の子は?」
「ー試験があるって、逃げられた」
「・・・げっ」
「・・・げっ、だよね?」
私たちは、うんざりしながら、目のまえのなぞに輝くレインボークッキーをみる。
つい、この間、やっとアイスを食べ終わったのに・・・。
「これじやあ、いつまでたっても、明日菜先輩、忘れられないじゃん」
目のまえの子が、つぶやくように、言った時に、
「しょうがないじゃん。それが、明日菜先輩、なんだから」
そう声がして、金髪のギャル代表みたいな子が、部屋に入ってきた。
「あれ?試験勉強は?」
「こっちのが、だいじ」
そう言いながら、私の斜め前に座って、クッキーをひとつ手に取ると、顔をしかめる。
「また、進化してる」
「なんで、味じゃなく、こっちに、進化するんだろうね?」
黒髪の子が言って、私たち三人は、大きくため息をついた。
「・・・きょうは、ここにとまるの?」
金髪の子にといかけると、彼女は、その少し冷めた瞳で、肯定した。
いまは、もう寮をでて、ひとり暮らしをしている、私たちの、同期の子。
むかし、明日菜先輩に、意地悪なことを言って、それでも、いつも優しい先輩に、救われた子。
ー神城明日菜。
私たちのたいせつな、たいせつな、優しい、明日菜先輩。
ー神城明日菜、国際○○映画祭、主演女優賞獲得。
ー神城明日菜、最優秀主演女優賞獲得。
ー神城明日菜、主演映画、歴代興行記録、単独首位へ。
ー神城明日菜、写真集、売り上げ歴代記録更新か。
ー神城明日菜・・・。
私たちのたいせつな「明日菜」先輩は、世間的には、フルネームで、呼ばれることが多い。
フルネームを、覚えてもらうために、大切なものを、あきらめてしまった、先輩。
優しすぎた、先輩。
いつだって、哀しそうな顔で、でもやさしく笑う、先輩。
私たちが、コロナで帰省できなくて、泣いていた時に、ただ、部屋のカギをかけないで、いつでも受け入れてくれた、先輩。
金髪の子が、八つ当たりのような怒りをぶつけても、ただ、黙って、その悲しみが癒えるまで、そばにいることを、許してくれた、先輩。
ーやさしくて、きれいで、ちょっとでも、目を離したら、いつのまにか、溶けてしまう、ふわふわのかき氷みたいな、先輩。
ほんとうに、ふわふわしていて、目が離せない、危うさをもつ先輩。
誰のせいでもなく、自分からその道を選んだからって、ただ、哀しそうな瞳で、でも決して、弱音をはかない天才女優。
ー神城明日菜。
私たちの寮の、宵の明星。
大都会にぽつんとひとりぼっちで、でも誰よりも光り輝く、
ー神城明日菜。
私たちの憧れで、希望で、誰よりも、たいせつな、
ーしあわせになってほしい、先輩。
「・・・おままごとのような、恋、かあ」
金髪の子が、ぽつりとづやく。
その昔、まだ寮暮らしだった、その子自身が、傷ついた明日菜先輩に、乱暴に、残酷に、なげつけた、言葉。
「ー忘れさせて、もらえないよね?」
黒髪の子がクッキーをみてつぶやく。
哀しそうに笑う先輩は、でも、いつだって、そのプレゼントに、切なそうに、でも、とても大切そうに、笑うから、
「・・・ごはん、ちゃんと食べてるかな?」
私の言葉に、沈黙が落ちる。
明日菜先輩は、ほおっておくと、本当に、なにも口にしなくなることがある。
恋愛映画の撮影中と、その公開前後。
本当に、明日菜先輩、その人が、この世に、存在しなくなるような、そんな気がする時がある。
もちろん、私たちが話しかけたら、やさしくて、きれいな明日菜先輩なんだけど。
ーそばに誰かいないと、ほんとうに、凍えた感情のない虫けらのような瞳になってしまう、先輩。
本当に、殺虫剤で、凍ってしまった虫みたいに、なにも口にしないし、水分もとらなくなってしまう、明日菜先輩。
だから、私たちは、明日菜先輩が唯一こっち側にいれる存在を、明日菜先輩に思い出してもらうため。
ー忘れられないように。
いつだって、へんてこな味のお菓子を、明日菜先輩のために、食べている。
ーおなか下すのは、本当は嫌なんだけど。
ぽんやりしている明日菜先輩が食べてしまわないように、私たちがいつも食べている。
ただでさえ、明日菜先輩は、食がほそい。
たぶん、食事の意味をわかってない。
寮母さんが、あの手この手で、食べさせようと必死だけど。
絶対に、ひとり暮らししたら、餓死しそうだから、コロナを理由にして、マネージャーさんが明日菜先輩を寮にひきとめた、ほんとの理由。
明日菜先輩は、コロナのためって、思ってるけど、先輩は、もう20歳超えてて、芸能活動だって軌道にのってる。
その気になれば、いつだって、不自由な寮生活から逃げられるのに、明日菜先輩は、そのことすら気づいてない。
ー気づく、余裕がない。
ほんとうに、あぶなっかしい先輩は、私たちには、
「・・・いいなあ、先輩」
「・・・だよね」
「・・・」
切なくて、つらいけど、お伽話のような、おままごとみたいな恋を、いまでもしている。
―私たちが、できなかった、恋を、している。
それだけが、私たちが知っている事実、で、明日菜先輩を、まもりたくなる理由。
ーだった、けど。
「大変、なんてこと?!」
寮母さんの驚いた叫び声が、私たちの、
ー胃袋を救ってくれたけど。
決して、私たちが願ってた未来じゃなかった。