第28話 彼女と彼氏と彼女の仕事。
福岡県で、一番大きなダムに行こう。
春馬くんがそう言った時、私は、単純に春馬くんらしいチョイスだな、と思っただけだった。
これが、もし、おしゃれなカフェやメジャーな施設なら、とても驚いたし、熱があるのか本気で心配したと思う。
真剣な顔で、せまい山道をでも危なげなく、助手席にいる私が怖がったりしないように、慎重に運転してくれた、春馬くん。
移動で車に乗ることが多い私には、それがわかっちゃったんだよ?
ね?
春馬くん。
運転には、人の隠れた性格がでちゃうんだって。
私は、たぶん、その通りかな?っておもうんだよ?
ね?
春馬くん。
やっぱり、春馬くんは、運転も、春馬くんだね?
いつだって、誰かのために優しいんだ。
ただ、やっぱり視線は、まっすぐ前や、サイドや、後ろをみてて、助手席の私を素通りしてるけど・・・。
それが、春馬くんだよね?
「山道にはいるから、外見てろよ?」
って、それでも、私を大切に気遣ってくれるんだ。
そのダムが見える登山用品を扱う全国チェーンのお店でも、到着するなり、トイレをすすめてきてくれた春馬くん。
べつに、トイレに用はなかったけど、変わったおしゃれなお店の作りに興味があって、私は、トイレに行きがてら、そのお店の外観を楽しんでた。
お店の前には、黒いクマがいて、あかい山岳ベストを着ていて可愛かったけど、ツキノワグマって同じくらいの大きさだよね?
九州には、クマいないはずだけど。
ひろい敷地には、鉄棒のような木製の自転車置き場もあって、面白かった。
どうして自転車置き場ってわかったかというと、ロードレーサータイプの軽量自転車のサドルをひっかけて、駐輪?していたから。
私には、もの珍しい光景だった。
打ちっぱなしのコンクリートで、おしゃれなトイレの中には、女性用のシャワー室もあって、山岳専門店ならではだなあって、感心しちゃった。
ダム自体が新しいから、お店も新しくて、トイレもきれいだった。
そんなふうに、楽しみながら、春馬くんのところにもどったら、とても真剣な目で春馬くんは、ダムーというか橋をみていた。
橋の上では、子供とお父さんが人込みのなか、自転車であそんでるけど、いいのかな?
まあ、両側に塀があるから、ダムにはよっぽどのことがない限り落ちないとは、おもうけど。
人込みで、あんなふうにはしゃぐことなのかなって、ちょっと思う。
春馬くんは、たぶん、そんなことはしないとおもうけど。
って、そこまで、思って、私はひとりで赤面する。
自然に春馬くんの父親像を思い描いてしまったから。
ー真央の影響かなあ。
でも、もう私も春馬くんもふつうに社会人だし、春馬くんはきちんと正社員で働いているし。
ーなんの問題もないよね?
だって、遠恋とはいえ、もうつきあって10年目だし・・・。
ー私から、言ってもいいのかな?
って、思ってたけど、
「・・・辞表?」
私は、春馬くんから受け取った白い封筒をみて首を傾げる。
「うん、俺、無職になる」
なんか魚釣りに行ってくるって、軽い調子で春馬くんが言った。
ーまあ、見守ってやんなよ?
唐突に、真央の言葉を思い出した。
ーけど、
ね?
春馬くん。
びっくり、しない私は、真央よりも春馬くんをわかってるのかな?
それとも、ふつうの感覚が、わかってなのかな?
私自身が、特別な世界にいるから、辞職がどれくらいの意味をもつのか、いまいちピンとこないって、言った方がいいのかな?
「契約期間がおわったの?」
って、きいたら、春馬くんが驚いた顔になる。
ー?
「あー、そっか。明日菜だとそうなるのか」
盲点だったって困った顔になるけど、
「まあ、いいや。いまの会社辞めようと思って」
「・・・なりたい夢でもできた?」
「えっ?」
「エスパーじゃないから?」
「えっ?」
「MI6(英国情報局秘密情報部)じゃないから」
「えっ?」
「FBIでもないよ?」
「・・・やっぱり超能力テスト」
「うけないから」
ーなんで、こういうやりとりに、なるのかな?
私がずれてるのか、春馬くんがずれているのか。
ー両方、か。
ううん。
ね?
春馬くん。
たぶん、13歳から特殊な世界で育った私の感覚がずれてるんだよね?
それくらい、私にだって、自覚はあるよ。
だって、私は女優以外の職業をしらない。
芸能界以外の社会をしらない。
もちろん、演じることはあっても、私はすぐに忘れちゃうから。
ー忘れちゃうから・・・。
「まあ、いいや。深刻にならないなら、助かったよ」
春馬くんが、やさしくキャプの上から頭をを撫ででくれる。
「ありがとな。明日菜」
「・・・東京にきてくれるの?」
「・・・それは、まだ、わからない」
「どうして?」
「試験にうかるかわからないから」
「試験?」
「うん。俺、夢ができたんだ」
「夢?」
「うん。いっかいめの緊急事態の時のこと覚えてるか」
春馬くんが私にやさしく問いかけるけど、その目が切なさをおびてる。
「いきなりで、すごく驚いた日?」
「そう、いきなりすぎたあの日、子供たちの学校で何が起きていたと思う?」
「・・・休みになったよね?」
「ああ、突然、子供たちにとって、残酷なコロナって現実が目の前に現れた日だよ」
「突然?」
「ああ、ある日、突然、他国のよくわからないコロナって鬼が日本を襲ってきた日だ」
そう、春馬くんが切なそうに言った。