第27話 彼氏と彼女と彼氏のパズルのかけら。
福岡県那珂川市にある、福岡県、最大の2019年に竣工した五ケ山ダム。
まだ、あまり存在をしられていないダムだろう。
そのダムを一望できる、山岳用品の全国チェーンの店のパーキングに、車をとめると、明日菜が不思議そうな顔をした。
「なにかこのお店で、買いたいものがあるの?あっちの橋には、いかないの?」
そういって、ダムの上をとおる遊歩道を、指さした。
確かに珍しいし、見晴らしもそっちの放がいいんだろうけど。
「うん。ここで、いいんだ」
「まあ、あっちは、人も多いもんね」
明日菜は、納得しているけど、人ならこっちのほうが多い
なにしろ、山岳専門店らしく、店自体を、山にみたてていて、店の両サイドには、木製の階段や、ジグザグ状の車いすで登れるスロープがあり、ひろい屋上からは、ダムの絶景が楽しめるつくりになっていた。
ダムを楽しむなら、当然、その屋上からの景色が、いちばんいいんだけど・・・。
「まあ、それはまた今度な?明日菜、トイレは?」
「あっ、うん。じゃあ、ちょっといってくるね?」
「俺は、ここにいるから」
「わかった」
「・・・あっ、まって」
身をひるがえしかけた明日菜に、俺は、かぶってた黒いキャップをかぶせた。
「・・・春馬くんて、魚臭い?」
「失礼だな。そのキャップが魚臭いんだって、このやりとり、昨日もしただろ?そもそも、これは運転専用だぞ?」
「冗談だってば。かりるね?」
「ああ」
ラフなどこでも見かけるジーンズに、水色のパーカー姿の明日菜がトイレへとむかうけど、
「やっぱ、存在感、消せてねーよな」
明日菜は、特にオシャレもしてないし、マスクにメガネだし、いまはキャップもかぶせたけど、ちらほら視線をあつめている。
キャップとマスクで、ほんとうなら、よくわかんねーのに。
それが「神城明日菜」だ。
俺は、ため息をひとつつくと、パーキングのすぐ脇にある手すりから、ダムをみつめた。
ーここ、のはずだから。
その場所は、決して、見晴らしのいい場所ではなかった。
小柄な女性でも、肘を簡単にかけられる程度のフェンスの高さなのは、たんにダムと間に、遊歩道や、進入禁止の施設なんがありダムにおちないからだ。
その視界から見えるのは、さっき、明日菜が口にしたダムの上を横断できる橋と真下のダムだけだ。
その橋は、大人の男なら、ふつうに、肘をかけて真下のダムをのぞける高さの塀しかない。
真下は、深いダムだった。
俺は、ぼんやりと、その橋とダムをみつめる。
あの人は、ここで、決めたといっていた。
あの日、柴原とうけたリモート講義。
虐待のニュースとコロナにおいつめられて、一度は子供たちを、手放してしまった母親は、ここで、覚悟が決まったと、電話口で、ぼそぼそとした話し方で、俺に教えてくれた。
喘息持ちの子供と発達が独特ないわゆるグレーゾーンの子供をもつ母親。
ーグレーゾーンの子供達。
知的にも問題がなく、一見、ふつうの子供にみえるが、こだわりが色々とあり、些細なことで、すぐに癇癪をおこし、言葉の受け取りが独特で、ふつうなら当たり前に、言葉でつうじることが、通じない。
でも、集団行動で目立った害がないなら、親が、どんなに育てにくさを感じても、なんの支援もうけられない、発達障害と定型発達の子との境目にいる子供たち。
ーグレーゾーン、の子供達。
とある医師から、
「お母さんがクロだと確信しているなら、それはお母さんの感覚が一番正しいんだよ」
それじゃあ、なにか支援はあるのか?と問えば、現状ではなにもない、としか返ってこない。
それでも、幼児期は、市の療育センターが、話をきいてくれた。
おなじ、グレーゾーンをもつ子たちの親に対してのセミナーなんかがあっていた。
だから、まだよかった。
ー運がわるかった、としか、いいようがない。
緊急事態宣言が、はじめて開始されたとき、下の子は、保育園を卒業する年だった。
療育機関がサポートしくれるのは、その年の3月までで、卒園式は短縮してかろうじて、できたけれど、入学式は不透明な状態だった。
当然、小学校の入学式を楽しみにしていた子は、荒れに荒れた。
公園に連れて行けば、青パトや学校からのメールで注意された。
母親は、ますます、孤立していった。
なんとか立て直そうと、いろいろとふんぱった。
ーママ、いつも守ってくれてありがとう。
くりかえし、母親には呪いのようにきこえる言葉に、
ーママは、守れなかったんだよ?
ー気づいて、あげられなかったんだよ?
そういいたいのを、いつだって、飲み込みながら、
「大丈夫だよ?必ず、ママが守るよ?」
ーパパから。
心の中で、ずっと付け加えていた言葉だった。
自分が、土日祭日に仕事で、ワンオペさせたから。
自分が、仕事でいなかったから。
父親が、言葉が通じる上につらく当たったのは、自分のせいだって、そう思おうと必死だった。
だって、下の子供は、本当に疲れる。
上の子供なら、注意すれば、すぐにきいてくれる。
母親自身も上の子を注意しがちだった。
ーどうせ、下の子には、言葉がつうじないから。
そう、思っていた。
あの日、よく遊んでいた公園を忘れてしまって、上の子から
「楽しいけど、〇〇がパパのいうことをきかないから、ねぇねぇが、パパにしかられる場所だよ」
そう言われて、指をしゃぶり縮こまった下の子。
怯えた瞳で、でも、泣いたら、また誰よりも大好きなおねぇちゃんが、叱られるといつも我慢していた子。
けれど、母親には、全力でうけとめてよ!とばかりに、暴れ、泣き叫ぶ子。
目をはなせば、一瞬で、死んでしまう子。
児童精神科医から、施設に2年預けるように、言われた子供。
ーどんなにきつくても、預ける気には、ならない子供。
なぜなら、自分以外の誰が、こんなにも手をかかる子供の面倒をみれるのか。
上の子はいい。
あまったれでも、愛嬌があり、病弱でも、まじめで優しく誰からでも愛される子だ
下の子さえいなければ、父親だって手をあげない。
実際、父親は上の子供には甘いが、下の子には厳しいと母親は感じていた。
「あいつには、なにを言ったって無駄だ」
って、口癖のように、言っていた。
もう、ほんとうに、疲れ果てていた。
車にのせるのも、おろすのも一苦労。
髪や体をあらうのも、すんなりいかない。
夜も、眠っているときさえ、寝言で騒いでいる。
ーきつかった。
母親は、山よりも、海がすきな人だった。
子供たちが、学校に行っている午前中に、実家の夕食を作り終えたら、学校に、迎えに行くまでのほんの少しの時間を、海でぼんやりすることだけが、息抜きだった。
精神科医から、児相施設を促された翌日に、母親は、海じゃなく、この場所をおとずれた。
なぜなら、海だと一歩足を前に出すことがわかっていた。
フェンスもなにもない堤防から、一歩踏み出せば・・・。
本当に、その日に、踏み出すとわかっていた。
だから、山にきた。
けれど、ふとみた光景に、橋とダムに思ってしまった。
ー下の子と一緒にあそこから落ちたら?
そう、思ってしまった。
そして、絶望した。
ーわかって、しまったのよ?
ーそこで、私のピースとピースが、あってしまったの。
そう母親は、苦笑いのような、半泣きのような声でいった。
ーだって、実際に、もしそうしたら、自分でダムにつきおとしたくせに、私は死ぬ最後の瞬間まで、その子を守ろうと必死にあがくだろう。
苦しむ我が子の姿を想像したら、そうわかって、しまったと。
ーそこで、やっとピースとピースが、ある日、突然あうって、言葉を理解した。
そう泣いた。
ぼそぼそ話す人が、半泣きの声で、言った。
自ら、189するくらい追い詰められていた母親には、身近な人たちほど敵に見えた。
それは、いまも、あまりかわってないという。
ただ、そんな中で、関西にいる身近じゃない親戚とだけ連絡をとっていた。
なぜなら、親戚でありながらも、ほとんど、あうことのない他人感覚だったからだ。
その親戚のしりあいを紹介された。
同じくグレーゾーンの、もう成人した子供をもつ、母親だった。
とても大変な幼少期で、その母親も、ノイローゼになりかけたらしい。
ほんとうにどうして、こんなにも、言葉がつうじないのか、他とちがうのか。
育て方が悪いのか。
本当に苦しみぬいたあとに、受診して、その子の特性を医師からいわれて、
「うそのように、心が楽になった。まるで、パズルのピースがあわっさったみたいに、楽になった。苦しんだ分、かならずいつか、そういう瞬間が、かならずくる。自分を、子供を、自然にうけいれられる日がくるんだよ。だいじょうぶ。必ず来るから」
その母親は、10年以上かかったと笑っていた。
その言葉が、ダムでおぼれる自分の子供を想像したときに、すとんと胸におちた。
ー私は、きっと死ぬ最後の瞬間まで、この子をまもろうとあがくだろう。
それが、けっきょくは、すべてなんだと思った。
そうして、泣いた。
この場所で、フェンスにすがってないた。
涙を、とめられなかった。
結局は、母親は、母親だった。
もう、この子以外の、こどもじゃ、ダメなんだと。
ほかに育てやすい子が、子供でもダメなんだと。
自分には、もうこの子でないとダメなんだと。
「だって、私は、育てるのはとても大変でそれこそ死にたくなったけど、でもね。一度だって「生んだ」ことを後悔はしなかったの」
そう思えたら楽になった。
そして、もうひとつ、強く思った。
ー父親は、もう、一生許さない。
どんな理由があれ、母親の一番まもりたいものを傷つけた本人だ。
どんなに、反省しても、もう二度と、生まれたばかりの頃には戻れない。
ーでも、それでいい。
それで、いいんだと。
「それでも、それを反省して、子供達には、きちんと愛情が伝わってる。子供達の父親はこの人しかいないんだから。同じように、母親も、私しかいないんだから」
そこに、夫婦としての愛情は、なくなってしまったかもしれない。
ただ、家族としての情はあるんだ。
子供達が父親を許そうと、大好きなままでいたいと願ってる。
なら、もう、それだけでいい。
どうせ、いつか、子供達は、巣立っていく。
施設に預けるように、言われた期間は、わずか2年。
でも、その2年すら、手放したくないのなら。
なによりも、わかってしまった。
どうあがいても。
ー私には、この子しかいない。
この子たちだから、こんな母親や、父親でも見捨てないで、笑顔を見せてくれる。
ー環境を、変えなさい。
それは、できない。
でも。
「この子たちが、執着しているのは、母親の私。父親じゃなくて、私、だけ」
もう父親の性格は、変わらないだろう。
医師からも、そう、いわれてる。
なら、いちばん、子供達が執着している母親自身を、極端な発想の転換で、変えた人。
誰もが無理だと止めたことを、文字通りに、実行した、人。
苦しみに、苦しんで、
ーいつか、ピースとピースが、不思議なくらい、ぴったりあって、楽になる時がくる。
本当に、その通りだったと。
俺はどうしても、ききたくて、きいた。
どうして、そんな苦しい体験を、一歩間違えば、自分の恥になることを、講師に話していいと言ったのか。
そうしたら、母親は、
「189は、親の敵じゃない」
そう悩んでるすべての親に、そう伝えたいのと、
ただ、ひとつ。
ーあの日の光景が、わすれられないから。
子供達を守ってくれる、すべての人に、本当に、感謝しかない。
ー忘れられない、
ー2度とみたくない、
けれど、とても、輝いていた光景があったから。
あの電話できいた時に、俺はー。
「どうしたの?春馬くん。そんな真剣な顔で、ダムを見たりして」
気がついたら、明日菜がいた。
ー俺は、決めちゃたから、さ。
俺は、ポケットから白い封筒をとりだし、無言で明日菜にわたした。
明日菜は、その封筒をじっとみつめて、首を傾げた。
「ー辞表?」
「うん。俺、無職になる」