第20話 彼女と彼氏と彼氏の隣人親子。
私は、しばらく、春馬くんの家の玄関に、しゃがみこんでいたんだけど、
「春馬兄ちゃん!」
って、元気な声と同時に、いきなり玄関のドアが開いた。
その子は、玄関に、うずくまったままの私を見て、
「ーだれ?」
って、おおきな黒い瞳を見開いて、ビックリしている。
はじめてみる、小学校低学年くらいの女の子だったけど、私には、その子が、誰だかわかっちゃった。
ーだって、みんな、本当に、よく似ている。
大きな黒い目も、ほどよく日焼けした血色のいい肌も、かるいくせ毛の、肩より少し伸びた髪も、元気の良さも。
ーみんなに、愛されてることが、よくわかる、あたたかな空気感も。
「あなたが、空ちゃん?」
ブルーに憧れて、空に憧れて、戦闘機乗りになった純子さん。
萌ちゃんを妊娠して、零一さんを失って、それでも萌ちゃんを育てようと必死で。
そんな母子を見守ってた壱さんとの間に生まれた、壱さんにとっては、血のつながりをもつ、はじめての子供。
もちろん、壱さんは、萌ちゃんとも血のつながりは濃いけど、それは姪としての血の濃さで・・・。
ー僕にとっては、尊敬する兄夫婦の子で、いまでも愛するする兄の子で、でも大切な僕の子供。
そんな特別な萌ちゃんは、やっぱり、純子さんにも、特別で、
ー世界で、たった、みっつの、私の大事な宝物。
そう言った純子さん。
そこに、壱さんや零一さんすら、存在しないと言い切った、純子さんの大切な宝物のひとり、
ー空ちゃん。
そういえば、真央も名前は、空って、つけるって、春馬くんが言ってたよね?
春馬くんは、もし私との間に、子供ができたら、なんて名前を、考えるんだろ?
たぶん、必死に字画や漢字の由来なんかを、調べるんだろうな。
いつもどこかふざけている春馬くんだけど、大切な存在には、弱いんだ。
きちんと、その子の未来を考えて、親が一生懸命に、名前をつけているなら、もういいんだと思う。
キラキラネームでも、なんでも。
ーあまりに漢字が違うのは、どうかと思うけど。
でも、ほとんどの親が、どんなキラキラネームでも、一生懸命に考えて、理由があってつけた名前なんだろうし。
本当に嫌な時は、思春期をむかえるような年齢で、本人が訂正できれば、いいけど。
けど、思春期のはじまりって、まだまだ児童で、義務教育だし?
反抗期ってだけで、訂正してきそうだけど。
オーディションをするスタッフが、いつも言っているけど。
「いまの子供はフリガナなしだと、名前がわからない」
って、いうけど、でも、もう、それでいいんじゃないかなあ?
だって、それも少女漫画と同じく、広まっちゃったんだよ。
あとは、もうそれぞれの世代のとらえ方だし。
まあ、法律ができるけど、相変わらず、現場に判断を丸投げしたなあ?
明治時代の名前とか、あまりいないよ?
そもそも昔は、庶民の女の子には、漢字つかわない親が、多かった時代もあったんだし。
そういう世界で育った子供たちは、大人が気にするほど、お友達の名前に、違和感を感じていないよね?
だって、まわりがそれで、当たり前で、なによりも大切なお友達名前、なんだもの。
目の前で、
ー変わった名前だね?
って言ったら、絶対に、ダメなんだよ?
よく名前で判断するって、言うけど。
ーなんで、その子をみて、あげないの?
もうその考え自体が、古いんだ。
だって、もう初期に、キラキラネームって否定された名前は、ふつうに浸透してるよ?
たいせつなお友達の名前だよ?
大人は、ちょっと覚えるのに、苦労するけど。
そもそも子供たちって、その子の名前を略してあだ名で呼ぶし。
ただ、あだ名は禁止になる。けどさあ?
ーそもそも先生が、あだ名で呼ぶからじゃ?
ってスタッフさんが言ってたし。
ふつうに会社でも、パワハラやら言われるんだろうけど。
禁止、禁止って、ただ禁止していくだけなら、
禁止は楽なんだ。
考えなくていいから。
ーその意味は、永遠に、理解しないで、育っていくよ?
まあ、キラキラネームは、いや、どうやってもその漢字は、そう読めませんけど?
が禁止になるらしい。
あの有名な「じゅげむ」みたいに、長くなければ、いいんじゃないかなあ。
あれって、どこで、あだ名にするんだろ?
やっぱり、ラストの「ちょーすけ」なのかな?
いつか真面目な古風な名前が、逆にキラキラネームに、なるのかな?
そう考えると、時代時代の名前って、面白いなあ。
「おねぇちゃん、空の名前、知ってるの?」
ますます大きな目で、空ちゃんが、私を見てきたから、さすがに、しゃがみこんでるのも罰が悪いし、
ーあっ、まずい。私は、いまマスクしてない。
幸い、春馬くんが、玄関に使い捨てのマスクを置いててくれたから、よかった。
だって、私は、芸能人ってだけじゃなく、昨日まで、東京にいたし、いまは、なんかもうマスクなしで、気軽に人に会える時代じゃないし。
それが、ちいさな子たち相手なら、なおさら、そう思うし。
マスクをして、振り返った私をみて、空ちゃんは、首をかしげる。
「春馬お兄ちゃんのパーカーを、きてるの?」
・・・そうだった。
私はまだ、春馬くんのパーカーをかりたままの姿で、でも、春馬くんのパーカーは、ロングタイプだったかから、私の膝丈くらいはあるし。
「うん、ちょっと借りてるんだ。春馬くんは、いま朝ごはんを、買いに行ったけど、どうかしたの?」
できるだけ声音が、やさしくなるように言ったら、
「うーんとね。おねえちゃんとママがケンカしているから、春馬お兄ちゃんに、とめてほしいなあって」
「えっ?」
「おねえちゃんでもいいや。一緒にきて!」
って強引に手をとられた。
ーで、なんとなく、春馬くんの休日の過ごし方を、理解しちゃった。
こんなふうに問答無用で、強引に、はじまる朝が、子供がいる朝の日常なんだろうなあって、なんか意味なく実感しちゃった。
ー春馬くん、すごい。
「だから、きょうは、村上くんは、ダメだと言ってる!」
「お母さんのけち!」
「それをいうなら、ドケチだぞ?」
「自分で言わないで!っていうか、こんな時にガソリン代ケチらないでよ」
「こう言い合っている間に、自転車で行ったらどうだ?」
「だって、もう間にあわないもん」
って、おとなりの玄関が騒がしい。
こっちこっちって、ちいさな空ちゃんの手にひかれながら、轟木さんの玄関に、たどりつく。
って、わざわざ言うほどの距離でもない、ファミリーマンションのお隣さん。
「ママ!おねぇちゃん!春馬お兄ちゃんの家にいた、オンナつれてきたよ」
・・・もっと他に、表現ないのかな?
空ちゃんの声に、パッと私を振りかえる、純子さんと萌ちゃん。
「あっ、神城さん!」
「おお、朝から、破廉恥だ」
・・・昨夜の純子さんは、やっぱり別人なのかなあ。
「春馬お兄ちゃんは?!」
制服姿の萌ちゃんが、子供のように、私の腕をひく。
「春馬くんは、コンビニに、朝ごはんを買いにいったけど?」
「すぐもどる?!」
「さあ?」
そもそも私には、このマンションから、春馬くんがいうコンビニまでの距離が、わからない。
私の言葉に、純子さんが廊下の塀越しにみえる駐車場をみて、
「あきらめろ、萌。たったいま、村上くんの車が出て行った」
「えーっ、もう、春馬お兄ちゃんって、肝心な時に、まるで、役に立たない!」
「それは、そうだろう。村上くんは、壱じゃない」
「パパは役にたつもん!って、もう間に合わないや。いってきます!」
って、駆け出そうとした萌ちゃんを、
「待て!萌!忘れ物があるぞ?!」
「えーっ?もう、遅刻しそうなのに?!」
そう言いながらも、萌ちゃんは、ぎゆっと純子さんの身体に、抱きついた。
純子さんが優しい表情で、だきしめかえして頭をなでる。
「いってらっしゃい、萌」
「うん。もういい加減に、これやめようよ、お母さん」
そう恥ずかしそうに、言いながらも、
「いってきます!またね、神城さん」
元気よく駆け出してく。
そして、空ちゃんも、
「ママ、空もぎゅー」
って、純子さんにハグしていて、こちらは少し純子さんがあきれて、
「空は、家にいるだろう?ほら?ぎゅー」
って、でも優しく抱きしめ返していた。
「凜が寝ているから、空、ちょっと、さきに、様子見ててくれ」
「はーい」
ばいばいって、ぶんぶん手をふって、空ちゃんがマンションの玄関から中に入ると、
「朝から、騒がしくて、ごめんなさいね」
って、純子さんの口調と、雰囲気が一変した。
この切りかえは、本当に勉強になるなあ。
なんで色気まで変わるんだろ?
「おはようございます。純子さん」
「ええ、おはよう。それにしても、すごい格好ね?」
私の姿をみて、クスクスと笑う。
たしかに、まだ顔も洗ってないし、メイクもしてないし、髪もバサバサだし。
なにより泣き疲れた目が、あかく腫れている。
「すみません。昨日は、ちょっと、夜遅くなっちゃって」
「あら?若いって、いいわねー」
「・・・そうですね?」
なんか会話が、かみあってない気もするけど、私は自分の格好が、気になって、仕方なかった。
「でも、仲がいいんですね。萌ちゃんと、朝からハグって」
「まあ、みての通り、もう萌は嫌がっているんだけどね?。あの子は、やさしい子だから、私の心を優先してくれるから、あまえてるの」
「あまえてる?純子さんがですか?」
「そう。だって、もう萌は中学生よ?確かに、女の子って、いうのはあるけど、内心はそろそろいい加減にしてって、思っているはずだし。ただ、萌は、私が萌に零さんを重ねて見ちゃうことを、しっているから」
そう切なそうに、純子さんはいうと、マンションの玄関から、飛び出していく萌ちゃんを、やさしい目でみていた。
「あの日、零さんが職場で倒れて、そのまま、永遠にあえなくなった日ね。私は、ささいなことで、あの人とケンカして、いつもならするハグもなしで、あの人がいつも萌を抱っこして、その額にキスしていたのに・・・。それさえもさせなくて・・・」
二度と萌も私も、零さんに、抱きしめてもらえなくなった。
そうつぶやくように、純子さんは、切なげに、ちいさくなっていく、萌ちゃんの影をみつめている。
「不思議なものよね。14年よ?もう14年なのか、まだ14年なのか。私には、わからないけど。ただやっぱり、私は朝一番に、萌の呼吸を、子供たちの呼吸を、確認するの。ーしちゃうのよ。凜もようやく、脱した年齢なのにね」
「ーえっ?」
「一歳未満の赤ちゃんが、突然なんの原因もなく亡くなるの。乳幼児突然死症候群(SIDS)。赤ちゃんをもつ親なら、子供をもつ親なら、いちばん、怖いものなんじゃないかしら」
たんたんという純子さんの目は、まだ萌ちゃんの姿を追っている。
「もう、ね。自分でもいやになるくらいにね、なんども呼吸を確認しちゃうのよ。赤ちゃんの時や、いまでも萌が夜更かしして、朝なかなか起きてこない時とか。凜や空は、夜中にトイレに行くたびに、呼吸しているかつい、確認しちゃうの。もう、凜は寝返りできるし、歩けるようになってるけど、それでも布団やまわりに危険がないか、いつも見ちゃう」
ー無意識に、確認しちゃう。
「それで、勝手にほっとして、私も眠れるの。でも子供は、成長するものでしょう?凜はまだ私が24時間一緒にいられるけど、空や萌には、もうあの子たちだけの世界が存在する。絶対に守りたくても、萌や空が登校中に突然、事故でなくなる可能性は、ゼロじゃない。絶対に嫌だけど、考えたくないけど」
ーゼロじゃない。
「だから、私自身の後悔を少なくするために、私自身が安心するために、あの子たちに、行ってらっしゃいのハグをするの」
ー安全に、楽しく、頑張って。
また必ず、私のもとに、帰ってきて。
そう願いながら毎日。ぎゅっと、抱きしめてから送り出す。
どんなに怒っていても、ケンカをしていても。
「私がそうしたいのよ。これは、私のわがままね」
そういうと、ようやく純子さんは、萌ちゃんが去った方向から、目をあげて、私をみた。
やっぱり、凛として、優しい母親の眼差しだったけど。
「ーで、きのうは、村上くんをおそったの?」
ーすべて台無しにしてくるところは、本当に春馬くんと、よく似ている。
私は妙なところで、春馬くんと純子さんの縁をみつけてた。
本当に、私の春馬くんは、
ー変人だけど、いい人を、ひきよせる魅力をもつひと。
私の大好きな、
ーちょっと、へんな春馬くん。
私があきれながら、否定しようとしたら、中から凜ちゃんの泣き声と、
「ママ―。凜ちゃんおむつー」
って、空ちゃんの声がした。
「あっ、じゃあ、またね」
「あっ、はい。また」
返事をする去り際に、純子さんから、春馬くんへの伝言をたのまれたけど、私には意味がわからない内容だった。