第18話 彼氏と彼女とペアウォッチ。
ーパタンっと大きな音をたてて玄関のドアが閉まる。
自分の家の玄関から、彼女に追い出された、俺、
ー村上春馬、22歳。
大手外資系会社の、だだのサラリーマン。
俺を追い出したのは、いまや日本中の人気者の彼女、
神城明日菜、22歳。
若手人気No.1女優。
13歳の夏休みから正式につきあって、今年で遠距離恋愛10年目。
コロナで2年会えなくて、久しぶりにあった日の翌朝に、玄関から追い出された、俺。
「・・・まあ、そうなるよな?」
俺は左手で頬をかきながら、玄関のドアをみつめる。
その俺の腕には、18歳の誕生日に明日菜からもらった、空色の電波時計が巻かれている。
あの日、明日菜の傷を癒すどころか、泣くことさえ奪った俺のために、明日菜が東京でがんばった金で、買ってくれた腕時計。
明日菜が、他の男とキスをして、稼いだ金・・・。
のはずないんだよな。
明日菜の誕生日プレゼントは、誕生日の前日に、届いていたんだから。
ーバカすぎて、笑えねー。
18歳の誕生日の俺を、いまの俺がぶん殴りにいきたくなる。
13歳の俺みたいに、手加減しねーぞ?
って、思うけど、当たり前だけど、13歳の俺も、18歳の俺も、どっちも俺だし?
なによりも明日菜は、自分で気づいているだろうか?
俺にみせる表情が、きのう福岡空港でであったときよりも、ずっと幼くて、あまえた声に、なってることに。
児童心療内科に入院していた子供が、はじめて電話してきたときに、ものすごく幼く、かわいらしく、甘えた声で。
ーそう母親には、きこえた、声。
そう言っていた意味が、いまの俺ならわかる。
明日菜の心の傷を、やっと、うけとめられる準備ができて、やっと、明日菜が傷をみせて、くれはじめたんだ。
ーそうだよな?
柴原?
俺は、深夜に明日菜が眠ってから、イケメン先輩に一応気づかって、電話じゃなくて、メッセージを柴原に送った。
けど、やっぱり、あいつは、あいつで、すぐに俺のスマホが振動音をたてた。
俺は、スマホをもって明日菜とはなれて、リビングで電話に出た。
もちろん、俺と柴原のあいだの電話は、音声のみだ。
俺と柴原の場合は、カメラ機能は、いらない。
「ーで、明日菜は、大丈夫なの?」
開口一番、柴原の口からでたのは、俺のことより明日菜を、心配する言葉で、それはいつも変わらない。
なあ?明日菜?
ー本当に、俺たちの会話の中心は、お前なんだ。
明日菜ってノット(ラインとラインを結ぶ方法)がなくなれば、俺と柴原のPEラインと、リーダーラインなんて、すぐにほどけてしまうんだ。
本当に、そうなんだぞ?
そりゃあ、俺にとっても柴原は、唯一無二の存在だけど、俺と柴原にとっての唯一無二の明日菜には、絶対に、叶わないんだ。
だって、俺たちはノットがなければ、せっかく魚がヒットしても、一瞬でPEラインとリーダーが、ばらけてしまうから、小さい魚ですら釣れないんだ。
だけどさ、ノットが頑丈なら、ランカーサイズのシーバスだって、釣りあげられるんだぜ?
リールやロッドがいくら性能がよくって、ラインがどんなに進化したって、ノットがなければ、俺たちは、完成しないんだ。
いつだって、俺と柴原には、明日菜ってノットが必要不可欠なんだぜ?
ーわからせてやる。
明日菜を、不安にさせているものを、全部、俺がうけとめてやる。
ー絶対に、手放したくないって、思うなら、私が変わるしかないじゃない?
ー私が、この子たちを、手放したくない。
ー私が、この子たちを、自分の手で守っていきたい。
ーそう、私、が決めたんだから。
電話越しにしかきいたことのない母親の声は、ぼそぼそとしてて、あまり大きな声で話さない人だったけど、
その言葉だけは、力強かったんだ。
その母親は、ものすごく極端な発想の転換をして、それは、俺ですら無理じゃね?っていまでも思うけど。
ーでも結果、いま子供たちが、笑って、母親の隣にいる。
それだけが、すべての事実なら、
ー俺だって、明日菜を自分の力で、守りたいんだ。
ー絶対に、傷つけたくないんだ。
ー俺、からも。
じゃあ、俺が、守ればいいだろ?
俺が、明日菜を、守ればいい。
俺が、明日菜の心を、いやせばいい。
―俺が、明日菜にとっての唯一無二の存在に、なってやる。
だけど、絶対に、間違うなよ?俺?
だって、あの母親は、電話でこう告げたんだ。
ーいまも、周囲のたすけをかりながら、自分なりに、まもっていく。
忘れるなよ?
独占欲をもつのは、間違いじゃない。
だけど、いきすぎた想いはどこかで、大切な人を傷つける。
ー諸刃の剣だと、絶対に俺は、忘れちゃダメなんだ。
実際に、俺と明日菜が24時間46時中一緒にいれるわけないだろ?
無理だろ?
俺にだって、会社はあるし、明日菜は、仕事が、はいれば、東京にもどるんだ。
遠距離じゃなくたって、俺一人が、いつも明日菜のそばに、いれるはずがない。
俺だけじゃ、明日菜を、守れない。
それを、俺は絶対に、忘れちゃダメなんだ。
「…きいてんの?村上」
「あっ、悪い。考え事していた」
「相変わらず、あんたは、いい根性してるわね?自分からこんな真夜中に、新婚の、しかも妊婦に、電話しといて」
「…一応、俺なりに、気を使って、柴原に、メッセージを、したんだけど?」
「私が起きてることを、わかってたんでしょ?そっちの方がめんどくさい」
ー相変わらず男前なやつだな、こいつは。
「で、明日菜は?」
「さっき、やっと寝た」
「-泣いた?」
「ああ、俺が」
「あんたの情報なんか、いらないから。でも、そっか。泣けたんだね?明日菜」
柴原の声が急に優しくなる。いや、この俺との扱いの差って毎回、ひどいよな?
俺たちのナニを疑うんだ?明日菜さん?
「あいかわらず、勘がいいなあ」
「あんたが、それを言う?」
「・・・・」
「で、村上は、どう動くの?」
「・・・イケメン先輩は?」
「もう寝てる。起こす?」
「いや、お前から、伝えてくれたらいいよ。俺さ、いっこだけ、決めたことがあってさー」
俺の話をきいた柴原が、ものすごく、あきれた声で言った。
「あんたって、ほんとに、どうして、そうなるの?」
「・・・だよな?」
自分でも、俺ってそんなに、簡単にきめていいのって、思ったけどさ。
「まあ、村上らしい選択だよね。いいんじゃないの?」
「ある意味、柴原のおかげでも、あるしな?」
「たしかに、私のおかげ、だよね?」
くすくすと柴原が笑う。
明日菜のやわらかな声じゃなく、からかいをふくんだ、けど、イケメン先輩とであってから変わった柴原の笑い方で。
「出産祝いで、チャラにしといて、あげる」
「・・・いまの俺に、それを言うのか?」
「それくらい男気を、見せなさいよ?」
「・・・善処します」
「うむ。よろしい」
ーって、結局は、なんか柴原がいつものように、勝ったんだけど。
「・・・じゃあ、もう私は、赤ちゃんだけの柴原になるから、ね?」
「・・・イケメン先輩は?」
「そんなの勝手に、生きていくでしょ?妻だからって、なんで夫に、尽くさなくちゃダメなのよ?」
「-稼ぐから?」
「明日菜の方が、稼ぐでしょ?」
「ーごもっとも」
「そもそも私の旦那は、そんな考えしないって、村上の方が、私よりよく知っているよね?」
「ーそりゃあ、直属の部下だから」
「しかも、あんたも、そういう考えをしないやつでしょ?あっ、でも明日菜が妊娠しても、絶対にお菓子は、作っちゃだめだよ?子供にもダメだからね」
「・・・俺、離乳食は、得意だぞ?」
「だからお菓子って、いってるでしょ?あれは、分量通りにしたら間違えないの!でも逆に分量を間違えると、とんでもないことに、なるんだから」
「和菓子屋の言葉は、重みがあるな」
「洋菓子でも一緒だよ。ふつうはホットケーキミックスを使って、ホットケーキを作れないって、ないから。焦げるとか、半生ならともかく、マーブル色にならないからね?」
「ー味は?」
「相変わらず、うちの店を、潰す気?あんた」
「・・・ごめんなさい」
って、会話だったな。
「俺たちのどこに、恋愛感情をいれろとな?」
もはや、俺には、明日菜の思考回路が謎だ。
「でも、明日菜は、嫌なんだよなあ。まあ、一歩ずつしか、前に進めないけど」
俺は柴原との電話を切った後、明日菜が18歳の誕生日にくれた空色の時計をケースから、だした。
ケースのなかから、いつも毎時に、ピピッと電子音で、俺に存在をつげてきた時計。
ー絶対に、明日菜を忘れるなって、知らせてきた時計。
身につける勇気が、なかった時計。
俺の嫉妬の塊のような気が、していた時計。
ーだけど、
明日菜が俺のためだけを想って、買ってくれた、
―時計。
明日菜だけが、いつだって、時計の指定がない雑誌やテレビなんで、つけていたペアの女性用の空色の時計。
撮影現場には、絶対に、つけてなかった時計。
恋愛ドラマや恋愛映画では、絶対にしない、神城明日菜の時計。
ファン間では、その相手がいるんじゃないかって、噂になってたけど、そのたびに明日菜が否定しなくても、鎮火していった噂。
だって、俺の存在をしっている奴らは、ごくわずかで、成人式の時だって、何人かは、俺の腕時計をチラ見してきたんだ。
そして、俺がしている腕時計が明日菜と違うって、わかったら、勝手に納得していった。
俺がつけたら「神城明日菜」に迷惑がかかると思っていた時計。
でも、
「もういいよな?俺が大切にしたいのは、神城明日菜だけど、神城明日菜じゃない。明日菜、なんだから、さ」
相変わらず、俺はバカだから、こんな簡単なことでさえ、気がついてやるのが遅くて。
「それでも、俺がいいなんて、ほんと、物好きだな?」
中2の修学旅行は、本当に特別で、明日菜が俺をみつけた日だったけど。
「俺にとっては、冬空で凍えていた明日菜をみた時から、はじまってたんだ」
なのに、明日菜の心をもっと凍らせて、俺は、本当に馬鹿だよなあ。
けど、さ。
「本当に、ここが底辺なら、チャンスなんだよ、な」
ー絶対に、手放したくないのなら。
ー絶対に、自分の手で守りたいのなら。
ー私自身が、そう決めたんだから。
いつもは、ぼそぼそしゃべるあの母親は、はっきりと、そう告げたんだ。
そうして、子供たちの笑顔を、取り返したんなら、
ー俺だって、明日菜の本当の笑顔をとりかえしてやる。
何度だって、時をさかのぼらせて、そのために赤ちゃん返りしたって、それでも、絶対にうけとめてやる。
明日菜が傷ついてきた時間を、俺が絶対に、とりもどしてやる。
そうして、いつかはー。
「ーは、まだもう少しかかる、か」
冷静な俺の頭は、やっぱり、ブレーキをかけるけど、
「いまは、それでいいんだ」
そうだろ?柴原?
俺は、俺のペースで、俺にできる範囲で、お前を頼らずに、いつか明日菜を守っていくよ。
とりあえず、飢え死にしないように、サラダとヨーグルトを買いにいくことから、はじめるけど。