第16話 彼女と彼氏と彼女の1番星。
私は、自分でも驚くくらいの力強さで、春馬くんのTシャツをつかむと、そのまま勢いにまかせて、春馬くんを押し倒した。
びっくりして、春馬くんのすこし茶色の瞳が見開かれるけど、私はそのまま、春馬くんの両手首をつかんで、春馬くんの身体に馬乗りになったまま、
ー気がついたら、キスをしていた。
いきおいが、つきすぎて、春馬くんよりずっと、「経験」したはずの、
ーキスなのに。
13歳の夏休みに、はじめて春馬くんとした、
ーファーストキスだって、失敗しなかったのに。
私の歯が、春馬くんの傷ついた、下唇にあたって、
「ー痛っ」
春馬くんが、小さくうめいたけど。
春馬くんの傷ついた、下唇から、血があふれたけど。
ーでも。
春馬くんの血の匂い、が。
春馬くんの血の味、が。
ー私の心の氷を、溶かしてくれる。
春馬くんが、いつも必死で隠してくれていた、心の傷は、
ーそのまま、私の心の、傷で。
春馬くんが、いつも必死で、なめとっていた血は、
ー私の涙で。
ぽたぽたと雨のように、私の目から、涙が止まらなくなった。
まるで、深く凍りついた氷柱が、春の日差しに照らされて、しずくとなっていくように、
ー私の心の氷が、ほどかれていく。
ただ、目のまえに。
ー春馬くんが、いる。
スマホの強化ガラス越しじゃなく。
ー春馬くんが、いる。
私にとっては、それだけが。
絶対無二の、
ーリアルなんだね?
18歳の春馬くんの誕生日の日に、凍りついた私の心を。
春馬くんの、
ー傷が。
ー血が。
ーにおいが。
ー体温が。
私の、五感を、とおして、
ー雪解けを、告げてくれる。
ね?
春馬くん。
私は、こんなにも、愚かで、自分勝手で、真央にもあきれられるくらい、嫉妬深いけど。
ー春馬くんは、はじめから、
「神城明日菜」じゃなくて「明日菜」を見つけてくれていたよね?
ー明日菜を見つけたから、俺は柴原とであったんだ。
ね?
春馬くん?
私は、それが本当なら、真央より春馬くんの一番だって、自信をもっていいのかな?
東京の空は、いつも、ぼんやりとしか星が見えなくて。
人工の星の輝きに、故郷の南九州の片田舎を思い出しては、
ー真央に、嫉妬していた。
きっと、真央は、私がこんな辛い日だって、いつだって、春馬くんと同じ空を、見れるんだって。
いつも、私のことを心配してくれる、大事な親友なのに、真央に、嫉妬していた。
そんな私が、春馬くんの1番で、ずっと、いれるはずないって。
そう、言いきかせていたんだよ?
私は、いつも、東京のぼんやりした、夜空をみては、涙をこらえてたんだよ?
でも。
ーね?
春馬くん。
こんな私でも、そばにいてもいいんだよね?
ーだって、私には春馬くんしか、いない。
春馬くんしか、いらない。
春馬くんだけが、私の氷を溶かしてくれるんだ。
私にとって、東京の人工のあかりよりも、いつだって、つよく私を輝かせてくれる、
ー春馬くん。
春の夜空にあたたかく、でも、なによりも強く輝く、一番星。
-金星。
ね?
知ってる?
春馬くん。
春馬くんは、ちっともロマンティックな知識はないけど。
―私は、ちょっとは、ロマンティックなんだよ?
ね?
知ってる?
春馬くん。
金星には、いろんな意味があるんだよ?
神話になぞらえて、宵の明星としてのVenusは有名だけど、
明けの明星としての金星は、
Lucifer。
光をもたらす者って、意味の悪魔や堕天使なんだって。
じやあ、私と春馬くんで、一緒にまじりあえばいいよね?
女神と堕天使でもお似合いだと、みんなに納得してもらえば、いいだけだよね?
だって、
ー結局は、どっちも同じ一番星なんだよ?
夜空に浮かぶ、月の次に、つよく輝く星なんだから。
私にとって、春馬くんは、明けの明星。
春馬くんにとって、私は、宵の明星。
ーでも、
どっちも、同じ、金星、で。
ーどっちも、同じ、一番星。
ああ、そっか。
私は、あの春馬くんの18歳の誕生日に、ふつうに春馬くんの前で、泣けばよかったんだ。
そうしたら、いつだって、春馬くんは、
春馬くんで。
ほら、ね?
だいじょうぶだよ?「明日菜」。
ほら、ね?
震える私の背中を、春馬くんが優しく、大きな手で撫でてくれる。
いつもは、スマホの強化ガラスの画面ごしでしか、あえなかったけど、
でもー。
いつだって、春馬くんは、
ー私だけを、見ていてくれたよね?
18歳のあの時だって、嫌な顔をむりやり大嫌いなウシガエルにごまかして、
ーでも、春馬くんの素の感情を、みせてくれていたんだよね?
そして、いまも。
春馬くんの優しい手が、私の背中をいたわるように、撫でてくれる。
絶対に、守るよ?
安心、しろよ?
春馬くんの優しい手が、においが、私の全身を、つつみこんでくれる。
18歳の、春馬くんの誕生日の日と違って、スマホの強化ガラス越しじゃなくて。
「・・・バカだな。血がついてる」
唇をはなすと、春馬くんが少し茶色がかった瞳で、切なそうに、私を見つめてくれて、
ーえっ?
春馬くんが優しく手を伸ばして、私の頭をだきよせてくれたとおもったら、私についた血をぬぐうように、
私の傷をふさぐように、
絶対に、私には、もう血を流させないって、
―優しい唇が、私の傷ついた心を、
ー傷口、を、
しずかに、でも優しく、あたたかく、
ー守るように、
私の唇に、触れて、くれた。