第10話 彼氏と彼女と彼氏のラストメッセージ。
明日菜は、しばらく俺にすがりついて泣いていたけど、いつのまにか俺の足を枕に、眠ってしまった。
そりゃあ、始発で羽田から福岡にやってきたんだ。
俺より、朝は早かっただろし、ついでに言うと俺は、軍曹に酒飲まされて少し寝てたし、なによりも、もう深夜2時を過ぎていた。
さすがに部屋の温度も、さがってきている。
明日菜は俺の黒いパーカーを着ただけの姿だったから、パーカーからはみ出した太腿の細さに驚いた。
明日菜を起こさないように、肌布団をひきよせて、明日菜にかける。
まだ涙のあとが濃く残っていて、明日は、たぶん目が腫れてるだろう。
「でも、まあ、いいよな?俺しか見ないんだからさ?」
明日菜の艶やかな、よく手入れされた髪を、指ですきながら、俺は考えていた。
ー俺が明日菜のために、できることは、なんだろう?
あの日、柴原と一緒にリモートの講義をうけてから、俺はとにかく、調べに調べまくった。
明日菜の症状を少しでも知りたくて、ふだんは使わないネットや文献を駆使して、たまに教授にも話をきいて、とにかく調べた。
そして、明日菜のドラマや映画も、俺が18歳になるまでに公開されたヤツを、何度も繰り返し見た。
正直、さすがに、ラブストーリーはひとりで見れなくて、結局は春に公開された映画を、例によって、柴原にヒールで脛を蹴り飛ばされながら、観たんだけど。
でも、18歳になるまでの明日菜とそのラブシーンを演じている明日菜には、たしかに「差」があって、それが明日菜の演技力と評価されいてることも理解した。
完全に、別人格の明日菜だった。
番宣も雑誌も、ラブストーリーに関する明日菜は、本当にヒロインそのものだったんだ。
それが女優としての天才的な才能と言われれば、そうなんだろう。
それを明日菜の特性としてとらえるなら、明日菜にとって女優は、まさに天職なんだろう。
「・・・そういう特性、なんだよな?」
それが明日菜の先天性のものなのか、あの講師の話にでた子供たちのように、後天性なのかは、わからない。
おそらく、俺も柴原も後天性だとは思っているが、明日菜の両親が調べてないことを、俺たちが調べるわけもいかない。
柴原がそれとなく、明日菜の母親に確認したけれど、胎児の時も新生児のときもよく眠る子って、くらいにしか感じなかったらしい。
3児の母である明日菜の母親がそう思うなら、そうなんだろうと思う。
なによりも、明日菜は末っ子で、母親には、明日菜が特殊な子なら、違和感がのこったはずだ。
これが初めての子や一人っ子なら、わからない可能性は、あがるけれど。
明日菜は、上に兄も姉もいて、性差も関係がない。
「・・・天職にあえてよかったな」
俺は明日菜の髪を指ですく。
そして、俺は、自分の天職って、なんだろうか?とふと考えてしまった。
俺がいまの会社に、というか東京に、こだわったのは、明日菜のそばにいたくて、ただ、東京に行きたかっただけだ。
結果、東京どころか、外資系だったわけだけど。
ー俺って、ラッキー?
ある意味、すごくね?
マジで、I can't speak English、な俺である。
ちなみに、最近の試験のおかげでlisteningは得意なんだけどな。
明日菜に言われたように、ジェスチャーだけで、営業をのりきる俺だ。
そういう才能と度胸と愛嬌だけは、無駄にある。
ー最後のは嘘だけど。
俺は別にイケメン先輩や柴原みたいに、いまの会社じゃないとダメな理由は、なかった。
いや、確かに他にも候補はあったんだけど、結局は、柴原が目指す会社ならベストなんだろうなって、感覚で選んだし?
―俺って、マジで柴原なしで、やっていけるのか?
わりと真剣に、そう考えている俺って、どうよ?
というか、俺って、柴原や明日菜抜きで、自分の人生を考えたことが、あるのか?
それだけでも、
「ーほんとうに、よく頑張ってるよなあ」
俺は明日菜の髪を指ですきながら、そう思った。
だってさあ、13歳の俺なんて、本当にまだまだガキで、自分の恋心すら、よくわかんなくて、明日菜が東京に行った日にはじめて、
ー俺はなんて身勝手な願望を、この子に、おしつけちゃったんだろう。
スマホの画面ごしに泣く明日菜をみて、やっと、そう思ったんだ。
ー俺が、いじめられている明日菜を、見たくない。
ただ、それだけで、明日菜の未来を、決定づけてしまったんだ。
だって、あの日、修学旅行の2日目の夜に、俺が明日菜に東京に行った方がいいって。
ーそうすれば、俺は好きな子の苦しむ姿を、見なくてすむ。
そう身勝手な思いで、明日菜に、東京に行くように、言ったんだ。
そして、いま、俺は明日菜から、涙を奪っている。
「・・・ほんと、最悪な彼氏だな?俺」
声に出したら、本当に最悪だった。
「けど、さあ。ここが底辺なら、チャンスなんだよなあ」
俺は、あの日の講師の話が、どうしても忘れられなくて、明日菜の特性を調べれば、しらべるほど気になって、
ーつい最近になって、あの話の母親に、直接話をきくことができた。
もちろん、電話だったけど。
講師はその後の話を、めちゃくちゃ、はしょっていたんだけど。
あの母子が、母親が、子供の笑顔を真正面から受け止められるまで、3年かかったって話は、俺と明日菜の10年目に相当するくらいの葛藤があったんだけど。
コロナや虐待のニュースや、なによりも一度手放してしまった罪悪感でいっぱいの母親は、緊急事態がかかるたびに疲弊して、
子供たちから、
ーママ、いつも守ってくれて、ありがとう。
そう言われるたびに、
ーママは、守れなかった、んだよ?
そう言いたくて。
でも、結局はいえなくて、
ー大丈夫だよ。何があっても必ずママが守るから。
コロナに怯える子供たちを安心させるために、そう口にするって、いっていた。
「私にとって、いちばんの罪は、ママ、守ってくれてありがとうって、言わせてること」
そう母親は、俺に言った。
本当に、わからなかったんだと。
どうして、いつも自分だけに、そういうのか。
―父親には、言わないのか。
「だって私の前では、一度も暴力なんてなかった。子供たちが理不尽に叱られていたら、かばってた。だから、私は、そこに存在さえしてれば、あの子たちを守ってた」
母親は、介護の国家資格をもつ人だった。
いつも人手不足な仕事で、安月給で、でもやりがいを感じていた。
資格をもっていたから、小さな会社では、平社員には、なれなかったんだ。
それくらいどこも人手不足で、役職には、人手不足にもかかわらず、様々な国のルール―があって、どこの会社もその人材確保に、苦労しているような業界だった。
そして、母親には、よく入院する子供がいて、病院に泊まって、朝まだこどもが寝ているうちに、祖父母と交代して、勤務して、夕方すこしだけ祖父母宅に預けた下の子の顔をみて、また病院で寝る。
そうした日々なら、まだよかったけれど、入院できないただの風邪なんかは、平日は休みがちになる。
職場に迷惑をかけることに、罪悪感があった。
その分、父親のいる土日祭日に、勤務をいれていた。
辞表だって、なんどもだしたけれど、次の人材が、なかなか、はいってこない職種で、なによりもあまり待遇のよくない会社だったから、同じ資格保持者が、どんどんやめていってしまった。
「でもそれは言い訳で、結局は、子育てから、逃げていたのよ」
子供たちのサインは、いくらでもあったのに。
ーそう思うと、きつくなる一方で、
コロナも、ますます、ひどくなった。
「なんどもね、言われたの。このままじゃお母さんも、子供も不幸になる。2年もすれば、下の子も落ち着く。下の子だけでも、施設にあずけないか?って」
それは心配した医師たちの言葉だった。
ひとりやふたりじゃなかった。
病院に役所のスタッフがついてきてくれるくらい、母親は顔色が、悪かったらしい。
ーじゃあ、どうして、いま笑えてるんですか?
つい、きいてしまった俺に、
「だって、仕方ないじゃない?私が、この子たちを手放したくないの。まわりがどんなに反対して、心配してくれても」
ー自分がなによりも、
ー誰よりも、
ー自分自身が、
ーこの子たちを守りたい。
「何か所の病院で、児相の方が幸せだって。そういうグレーゾーンの子の施設もあるから、そこで2年くらい成長をまって、って言われても」
ー手放す気には、なれなかった。
「じゃあ、私は子供たちを傷つけてまで、していた仕事は、なんだったのって思ったの。そうしたら、なんかすっきりした。子育てと介護どっちが大変かって、思って」
それは極端な切り替えで、すり替えだった。
自分の子供じゃなくて、介護スタッフとして、子供を客観的にみてみよう。
「みんなに、そんなことができるはずがないって、言われた。でもね、私はたった三つだけを、母親として、まもることにしたの」
ー怒った後には、必ずなにかひとつ必ず褒める。
ーできるだけ学校、という日常に、通わせる。
そのふたつは、俺でもよく耳にしていたけど、最後に母親は、こういった。
「私は、この子たちを育てにくいと思ったことは、あったけど、産んだことを一度も後悔したことは、なかった。そう気がついた時にね・・・」
ーああ、私はちゃんと、母親なんだな。
そう思ったって、幸せそうに言った。
最後の言葉だけを母親として誇って、この子たちの笑顔を、見守ろう。
ーどうせいつかは、自分のもとをはなれていくんだから。
そう笑った声は、本当に晴れ晴れとしていて、
「いまでもたくさんの人の支援をうけているけど、悩むけど、でも私が落ち着いたら、不思議なことに子供たちも落ち着いたの」
ー子は親の鏡って、よくいったものよね。
そう笑っていた。
じゃあ、俺にも明日菜に、できることは、ありますか?
口まで、でかけた言葉を、俺は飲み込んだ。
それは別に明日菜が芸能人だから、気づかったわけじゃない。
俺自身が、明日菜に対して、きちんと答えを、ださなくちゃならないと、思っただけだ。
だって、コロナで2年も逢えなくて、最後にあったのだって、成人式の時にちらっとみただけで、明日菜がキスシーンを演じてからは、明日菜の仕事が忙しくて、いつもスマホの画面ごしには、会話していたけれど、
「やっぱり生の明日菜、最強だな」
ーもう、いい加減に、認めよう。
悪あがきしたって、俺は、俺なんだ。
ーいまでも色々な人の支援をうけて、でも私は、私なりに、この子たちの笑顔を守っていく。
ーだって、絶対に、「私」が、自分で、守りたいんだから。
ーそう、私が、きめたんだから。
そう言っていた母親の想いは、俺と同じだろう?
そりゃあ、命懸けで出産する母親には、絶対にかなわないだろうけどさ、
「やっぱり、あいつに、頼っちゃうけどさ」
俺はそっと明日菜を敷布団に寝かせるとテレビボードに置いていたスマホを手に取った。
時間は深夜2時過ぎ。
本当ならメールすら、ダメな時間だけど。
「お前なら、絶対、予想して待っているよな?」
でもイケメン先輩に一応気を使って、俺は柴原に、メッセージを送った。
これがあいつを頼るラストメッセージになることを祈りながら。