第9話 彼氏と彼女と親友と彼女の記憶
「…明日菜って、これじゃないかな?」
コロナの影響で、大学の授業や就活が、リモートになって、一回目の緊急事態も終わり、東京や大阪ほどではないが、それでもほぽ一年中、緊急事態宣言対象地域に入っていた、福岡県。
正直、どこにいっても、コロナコロナで、大人の俺でも、うんざりしていた頃に、大学の恩師に薦められて、俺と柴原は、とある公演にリモートに参加していた。
題材は、子供たちのコロナ鬱と虐待。
かなりヘビーな内容をうけようかと柴原が言ったのは、柴原には姪っ子や甥っ子がいるから気になるって、柴原らしい理由だった。
講義の対象の一部に、発達障害のいわゆるグレーゾーンといわれる子たちの話題もでていた。
知的にも問題なく、一見、普通の子供に見えるが、こだわりが色々とあり、色々なことですぐ癇癪を起したり、言葉の受け取りが独特で、ふつうなら当たり前に、言葉で通じることが、通じない。
でも、集団活動で目立った害がないなら、親がどんなに、育てにくさを感じていても、なんの支援もうけられない、発達障害と定形発達児との、境の子供たち、グレーゾーン。
とある医師から、
「お母さんが、黒だと確信しているなら、それは母親の感覚が、一番正しいんだよ」
それじゃあ、なにか支援があるのか?と問えば、現状では、なにもない。
そう言われて、終わったそうだ。
講義の内容は、喘息をもってる姉とそういうグレーゾーンの妹を、年子でもつ母親の話だった。
コロナの一回目緊急事態宣言は、東京じゃともかく、福岡では、まだコロナに、ぴんっときていない時期だった。
いきなり、緊急事態が発令されて、大人はもちろん、子供たちの動揺が、すごかった。
ー当たり前だ。
子供たちは、大人がいるから安心して、暮らせていたのに、その大人が、怖がっているコロナだぞ?
公園遊びも禁止されて、その頃はまだリモートの環境もととのってなくて、山ほどの宿題を週に1回学校のグランドに、取りに行く日々。
当初もいまも、呼吸器疾患をもつ子供は、悪化しやすいと言われている。
そして、高齢者も。
その母子には、実の父親がいるふつうの家庭だった。
母親には、周囲には、イクメンとして通っているような父親で、子供たちも仕事で忙しい母親より、父親に懐いているように、みえた。
何よりも、子供たちは、その父親の実子だし、怒鳴ることはあっても、母親の前では、一度も手をあげたことが、なかったそうだ。
それが一転したのは、あまりに、入院をする上の子のために、母親が仕事を辞めてからだった。
それまでだって、サインは、あったと、母親は、自嘲していた。
なぜなら、子供たちは、口癖のように、いつも、
ーママ、いつも、守ってくれて、ありがとう。
そう言って、ぎゅーしてと、甘えてきていた。
保育園での卒業式での親への一言メッセージでも、
「ママ、いつも守ってくれてありがとう」
そう発言したのは、100人いる園児の中で、たったひとりだけ、だったらしい。
でも母親には、その時がくるまで、本当に、なにも、わからなかった。
いや、忙しさにかまけて、気づかないふりを、していた。
だって、休日出勤する職場には、いつも大きな公園で楽しそうに遊ぶ子供たちの写真が、父親からスマホに送られてきていたから。
少しくらい口が悪くても、父親と娘の関係性を、まったく疑ってなかった。
―あまりに忙しい仕事を辞めるまでは。
それまでいなかった母親が、毎日家にいるようになり、上の子の感情が、爆発した。
父親の帰宅時間になると、椅子の下に隠れたり、扉のあく音に、ものすごく悲鳴を上げて、驚くようになった。
それでも母親には、意味がわからなかった。
なぜなら、子供たちの口癖も「パパ、大好き」だったからだ。
でもある日の夜、母親が風呂からあがると、キッチンで洗い物をする父親の後ろで、大泣きしている長女がいた。
父親は、きょとんとしていた。
長女も戸惑って、でもパパをみていたら、胸がきつくなって、苦しくなって、泣きたくなるんだって、大泣きした。
ーふつうの泣き方じゃなかった。
とりあえずいつも喘息で入院している子供の病院で、3日だけ入院させてもらった。
そうして、父親と離れて暮らすように医師に告げられた。
幸いなことに母親の実家が、ちかくにあった。
落ち着けば、元に戻る。
そう簡単に、考えていた。
ーだって、誰も父親が子供に暴力をふるった場面は、みたことなかったし、実際にパパにあいたいと子供たちは泣いた。
母親は、父親なんて、どこもそんなもんだという周囲の意見を信じていた。
ーけれど、退院すると、子供の性格が一変した。
上の子供はとても穏やかで、年子のグレーゾーンの妹の面倒を、わがままひとついわずに、いつもニコニコしてみてる優しい子だった。
あとから考えれば、その時点で、もうその子の心は、壊れちゃってたんだ。
だって親ですら持て余す妹を、しかも年子の保育園児が、子守りできるはずがない。
ー朝から晩まで、母親の足にしがみついて離れなくなった。
―トイレに行くのさえ、ついてきた。
ー扉の開閉音や、些細な小さな音にも、飛び上がって、パニックになり泣く。
ー食事中に、お箸を落としただけで、怯える。
ようやく、心療内科をさがしだしたが、知ってるか?
小児心療内科の新規受付って、運良くても2か月先とかなんだってさ。
しかも、そこがその子にあわないなら、また別に予約ってなると、また2か月。
ー不思議なことに、あれだけ暴れまわっていた下の子は、その期間は、人が変わったかのように、おとなしくていい子だった。
母親が犯した2度目のサインの、見逃しだった。
なんとか、子供たちを支えようと、母親は、児相や役所、学校、病院をはしりまわった。
はしりまわっているうちに、コロナがらこの母子を襲った。
ーもう母親は、限界だったんだ。
実家の両親からは、こんなふうに孫を育てたお前が悪いとせめられ、行き場もなくて。
実家は長女の心療治療はみとめてくれても、下の子は普通の子だといって、頑として治療を受けさせてもらえなかった。
こっそり受診して、落ち着く薬も処方されていたが、子どもが祖父母に、話してしまったため、取り上げられた。
そして、実家では、子供たちのみてる子供番組を止めさせて、コロナのニュースを、気が狂ったのかと思うほど、朝から晩までみせられた。
子供達が嫌がるから、見せないで欲しいと頼んだって、嫌なら帰れ、と言われるだけだった。
父親のいる家には、医師から帰宅許可は出なかった。
ー母子には、居場所がなかった。
公園に遊びに行けは、パトロールしてる青パトから注意され、学校からも、外で遊ばないように、メールがくる日々。
なによりもコロナでふえた悲惨な虐待ニュースに、母親は疲弊していった。
上の子が立ち直りだすと、こんどは下の子が本領発揮しだしたから。
車の乗り降りにも、こだわりがあり、車に乗せるのも一苦労。
そして、降りても、くれない。
もちろん、母親がそこで放置すれば、炎天下の車内にいたらどうなるか、決まっている。
エアコンだって、いつ止まるかわからいないし、なにより泣き叫ぶ子供は、近所迷惑でしかない。
階段だってそうだ。
階段の手すりを外側から、猿渡のように降りようとする。
一歩間違えば、目を離せば、死んでしまう。
そういう子供だった。
とうとう心の限界がきた母親は、自ら189したらしい。
だって、その母親は、理解していたんだ。
目のまえの泣き叫ぶ子供たちを、簡単に黙らせて、言うことをきかせられる方法を。
「いい加減にしなさい!殺されたいのか」
激しい姉妹ケンカに、たえきれなくなって、そう叫んでしまった時に、心が折れた。
ー子供たちの心底怯えた表情に、
ーもう守れない。
そう思ったらしい。
一度、手や足がでてしまったら、一度、車から出すことを、あきらめてしまったら、きっと、自分のブレーキはきかなくなる。
けっきょく、母親がみずからした189は、母親と子供たちを救ってくれた。
父親が子供たちを児相の一時保護に連れていったあと、母親を精神病院に入院されるために、連れて行った。
その日は大雨の夜で、カーナビでもよくわからない入り組んだ道の先にあった精神病院は大きかった。
児相が手をまわしてくれていたから、すんなり救急外来で、形式だけ診察して入院するはずだった。
でもできなかった。
だって、その母親は、子供を傷つけたくなくて、189したんだ。
誰よりも守りたくて、189したんだ。
ただ、守りたかっただけ、なんだ。
泣きじゃくる母親の話をきいた看護師と初老の医師が、話し合っていた。
そうして、母親に告げた。
「お母さん、あなたは、ここには、入院できません。ここは精神科ですから。死にたくもなく、殺したくもない人は、入院できません」
―母親には、どういうことかわかなかった。
だって、そうだろ?
母親は、なによりも大切な子供たちを、もう児相に預けちゃったんだ。
ー子供たちを、手放しちゃったんだ。
初老の医師が包み込むようにらやわらかな口調でいった。
「大丈夫だよ?お母さん。あなたは守れたんだよ?ちゃんと、守れたんだ。子供たちは、いま安全な児相で、大切に預かられている。大丈夫。あなたは、ちゃんと子供を守れたんだよ?」
そう言われて、入院する予定だった病院を追い払われた。
医師の言葉は救いでもあったけど、子供たちを手放してしまった。
母親の疲労はもうどうしょうもなくて、アルコールを飲んでも眠れなくて、たったひとりぼっちの、深夜だった。
いつもなら、子供達がいたダイニングテーブルには、誰もいなかった。
だって、手放してしまった。
自分から、189してしまった。
時間外だって、わかっていた。
でも、どうしようもなくて、189にまたかけた。
アルコールも入っていて、ぼんやりした話を、ただ、だまって、189の相手は、きいてくれた。
たぶん、声の感じからして60歳前後のやさしい女性だった。
本当に、ただ、だまって、話をきいてくれて、母親は気持ちが落ち着いたらしい。
―実家には、頼れなかった。
身近な人ほど、敵に見えたと笑っていた。
ただし、それ以外の人たちが、それまで無関係だった人たちが、とても親身になって、動いてくれたらしい。
児相の担当者だったり、役所の子育て応援課だったり。
とくに子育て応援課の女性スタッフふたりは、精力的に動いてくれて、車で2時間かかるけど、全国的にはまだ珍しい児童思春期病棟がある病院を探し出してくれたそうだ。
実家の両親も母親が自分たちよりも、児相に子供を預けたことがショックで、でも最後には、うけいれてくれて、子供たちは治療が受けられるようになった。
病名は、
―思春期うつ病。
思春期というには、早い気もしたけれど、そういうものらしい。
子供たちが入院した時も、緊急事態宣言がかかっていた。
そういう病院だから、もちろんゲームやスマホ、キッズ携帯のもちこみもダメで、子供たちからの連絡は、テレホンカードを使用する公衆電話から非通知設定でくる電話だけだった。
それさえ、子供たちから一方的で、はじめて上の子からの電話の声が、ものすごく甘えた幼い声で、母親は驚いてしまったらしい。
ーああ、この子は、こんなふうに、甘えたかったんだ?
そう心底、後悔したそうだ。
毎日、逢いたくて、どうしょうもなくて、子供たちの運動場にいる時間を教えてもらって、病院の小高い丘から豆粒のようにみえる子供たちを、父親と一緒にみていた。
不思議と豆粒のような遠目なのに、自分の子だとわかった。
緊急事態は、かかっていたけど、誕生日に外泊ができた。
父親と子供の関係を考えて、平日にした。
迎えにいって、帰る途中で、母親に子供が大きな公園を指さして、言った。
「ママ、ここはどこ?」
母親は、唖然とした。
「どこって、いつもパパとあそんでいた公園だよ?」
「そうだっけ?」
「○○公園だよ?」
具体的な公園の名前を言っても、下の子供は、ピンとこないみたいだった。
上の子供が言った。
「楽しいけど、パパに怒られる場所だよ」
「怒られるのは、ねぇねぇだよ」
「違うよ○○がパパのいうことをきかないから、○○が怒られるの」
下の子は、指しゃぶりをして、縮こまっていた。
そいいう話が前例としてだされたあと、
「この場合、父親から怒鳴られたり、もしかしたら、身体的にも虐待を受けていたのは、おそらく上のお子様までしょう。でもみていた下のお子様の方が、心理的な虐待度があがります」
そう講師は続けた。
「子供たちの脳は、とても柔らかなものです。だから、幼少期にこのような過度なストレス体験をすると、無意識なうちのうちに、嫌な体験は忘れる機能をもっていくことがあります。ただ、この子たちの場合は、運よく周のサポートをうけて、治療も受けられ、いまでは元気に回復して、学校がたのしいと笑ってるとの報告でした」
そして、あんなに父親大好きといっていた子たちからは、パパ嫌いって言葉がでてきていて、父親に反抗しては、
「ママ、パパに言い返せたよ?ほめてほめて」
と言ってくるので、母親がこまっているとういう落ちまでついていた。
父親が口うるさいのは、昔からよくあることで、細かいことまで注意したくなるのは、まあ、その父親なりに、子供をよくみている証拠だ。
ただし限度は、大事だけど。
どうせ父親って、いつかは娘に虫けら同然に扱われる存在だし?
ー虫って、ウシ様の大好物だよな?
俺に娘ができたら、俺をウシ様に差し出したりしないよな
いや、マジで、俺の女なら、あり得るんですけど?!
「ーなに、変な顔しているのよ?」
おなじくリモートをうけていた柴原が俺を半目でみてきたから、
「ーいや、ウシ様がさあ」
「あっ、いらないわ。その話」
明日菜と違って、ばっさりと切り捨てる。
ほんと男前だなあ、こいつ。
リモートが終わってノートパソコンを閉じたら、柴原から電話がきた。
俺と柴原は音声だけでいいので、ふつうの電話だ。
「さっきのリモートの話ってさあ。明日菜もだよね」
「いじめってことか?」
「そう。だって、明日菜がラブシーンを演じても、その記憶が、残らないって、話してるでしょ?」
「ーえっ?」
一瞬、俺には、なんのことか、わからなかった。
すると、柴原は柴原だから、やっぱりすぐに勘づいて、
「・・・しらないの?」
「知らない」
「・・・連絡は?」
「みてない」
俺は本当に、柴原の言いたいことが、わからなかった。
「明日菜ってさ?演じるラブシーンはね、カットの声と一緒に忘れちゃうだって。それを、あの子はあんたがいるからって、思ってるみたいだけどさ?」
柴原の声がトーンが落ちた。
「・・・そんだけの心の傷に、村上は、気づいてあげてる?」
やわらかな、けれど重たい声が、俺の耳をつらぬいた。