小話
ーコトン。
私はダイニングにあるテーブルの椅子に座ってる春馬くんの前に、いつものご当地マグカップに、コーヒーをいれておいた。
春馬くん用には、シュガースティックとミルクとティースプーンをおいて、私は彼の正面の椅子に、腰かける。
春馬くんとは、べつのご当地マグカップには、ブラックコーヒー。
最近は、もうブラックコーヒーじゃないと、なんとなく、飲む気に、ならない。
昔は砂糖とミルクなしは、飲めなかったのに。
いつから、ブラックコーヒーに、かわったんだろ?
コーヒーの湯気越しにみる春馬くんは、私の存在に、気づくことなく真剣な顔で、めずらしくスマホの画面をみている。
ーなにを、みてるのかなあ?
気には、なる。
でも私は春馬くんのスマホを、確認しようとは、おもわない。
それは恋人や夫婦でもマナーやモラルとか大事って、よく話題になる理由でもない。
単純に、相手が春馬くん、だから。
ーだって、絶対、変なサイトを、のぞいている。
そんな表現をしたら、きっと、アダルトサイトや浮気とかを、心配するのだろうけど、
ー春馬くん、だし?
スマホの画面をのぞいた瞬間、なんか悲鳴上げちゃいそう、だし?
―私、が。
だって、
「へー。ヒドロ虫って、昭和天皇が新種を、発見していたんだなあ」
ほら、絶対に、みないで、正解だった。
「しかも、国内での新種発見は、106年ぶりだった、ってさあ。すごいよなあ」
「・・・なんで、そんなこと調べていたの?」
「ほら、最近、有名な体操選手が会見していただろ?それでその人の誕生日が、昭和64年の1月3日ってきいて、あら?アタシと同じって、イケカマ係長が言ってたから、その日の虫とか、いないかなあって」
ー私の誕生日に、変な虫発見!とか、いわないよね?
ちょっと、ううん、かなり本気で、嫌なんだけど。
学術的価値は、わかるけど。
ーでも、なんか嫌だ。
どうせなら、可愛い珍獣がいい。
それより、なあに?
「イケカマ?」
名字なのかなあ。
池釜さんとか?
「そう。正式には、イケメンのオカマ」
「はっ?」
ーつい、私は、言って、しまって。
「歯は、まっしろだぞ?あの柴原よりも、美意識が高い」
ーやっぱり、こう続くんだね?
「ひっ?」
ーもう、なれちゃった、けど、
「皮膚も全身脱毛で、つるつるだぞ。ハゲ上司がかすむくらい」
ー春馬くんの特別だって、わかるけど、
「ふっ?」
ーわかっちゃう、私も、どうかと、思うけど、
「もちろん、髪もふさふさ。ハゲ上司が指くわえてる」
ー今日の会話?は、
「へっ?」
ー相変わらずで、
「ヘリウムガスみたいに、ハゲ上司の扱いが、軽い」
ーなんだかなあ、って思うけど、
「ほっ?」
ー相変わらずの、私たち、だよね?
「ほんとうに、美人だぞ?ちなみに、旦那はハゲ上司・・・ん?どうした?」
ーやっぱり、春馬くんは、春馬くんだなあって、思っただけだよ?
私は、ちょっと呆れて、けど、キョトンと目を瞬く春馬くんが、かわいいくて、笑ってしまう。
「・・・たのしそうな、会社だね」
「おー、パワハラもないし、イケメン先輩は、イケメンだし。なんといっても、柴原がいるしなあ。いい会社だ」
「・・・真央は、そのうち産休に、はいるんじゃない?」
なんで、そんな当たり前のことに、びっくりしているの?
「ーあっ?」
「・・・あきらめて?」
「ーいっ?」
「・・・イケメン先輩のものだよ?」
「ーうっ?」
「・・・・浮気じゃないって、わかってるよ?」
「ーえっ?」
「・・・映画にさそうのは、禁止だよ」
「ーおっ?」
「・・・おとなになろうね?春馬くん」
ーいろんな意味で。
「マジか」
なんでそこで、本当にショックを、うけてるのかなあ。
私も春馬くんを、甘やかしてる自覚は、あるんだけど、
ー甘やかしすぎじゃない?明日菜?
真央は、そう言うけど、
ー甘やかしているのは、真央だよね?
本当に、真央と春馬くんの間には、私とはちがう不思議な縁があると、思う。
私が東京から、初めて帰省した14歳の誕生日。
事務所から、二人きりで会うことは、禁止されていたから、いつも真央が、カモフラージュに、なってくれていた。
その日も真央のお家で、誕生日会をしてくれて、先に春馬くんが真央の家を訪れていた。
私が部屋を訪れたら、クラッカーをならして、サプライズしてくれる予定だったらしい。
当の二人は、なぜかルービックキューブで、対戦していた。
しかも6面そろえるのは、簡単すぎて、面白くないからって、
「あっ、明日菜?ちょうどいいところに、来てくれた」
「おおっ!さすが、俺の女神様。help me」
予想外すぎて、ふたりの会話に、ついていけなかったら、
「色を言って、色」
「なんでもいいから、早く言ってくれ」
ルービックキューブの色を指す二人の真剣さに圧倒されつつ、
「じゃあ、赤?」
「よしきた!ランチタイム」
「それをいうなら、日の丸弁当でしょ。明日菜、スタートいって」
「ーあっ、うん。すたーと?」
一気にふたりの手と指がすごい勢いで、ルービーックキューブをガチャガチャして、
「やりっ!私の勝ち!」
「くそっ、3秒差かよ」
って、見事に真ん中だけ赤で、のこりは、ちがう色でそろえていた。
日の丸っていったわりに、周囲のいろは、どれでもよかった、みたいだったけど。
私そっちのけで、夢中になってたよね?
ちなみに、そのあとも、いろんな絵や文字で、真央が続けて3勝してから、やっとふたりは、落ち着いてくれたけど。
私は1面そろえるのも結構かかるし、6面が簡単だと思えないけど。
そういう遊び方を、たまにふたりは、やっていて、まあ、それはそれで、見ていて楽しかったなあ。
ー私には、できない遊びだし。
そのあと真央のご両親が、経営している和菓子屋さんの裏メニューの和風ケーキと、春馬くん特製のマーブルクッキーで、お祝いしてくれたし。
ー私も真央もダイエットを理由に、春馬くんの作ったクッキーは、回避したし。
向上心にあふれる老舗の和菓子職人さんたちが、春馬くんのクッキーをたべて、あやうく臨時休業するところだったと、あとから真央が、げんなりしていたけど。
ただ、春馬くんは、春馬くんらしく、たまに不思議な色のお菓子をつくるので、なぜか歓迎されているらしい。
ー真央の家の職人さんたちって、ガッツあるなあ。
「うわっ!すごくまずい」
って、嬉々として、食べている私の寮の後輩たちみたいに。
私はあの魚と同じく、一度も春馬くんの差し入れを、食べたことないけど。
「・・・春馬くん、コーヒーいれたよ?」
ー私の作ったものは、たとえコーヒーでも、必ず春馬くんに、きちんと味わってほしい。
そう思う私は、やっぱり、独占欲のかたまりなんだろうなあって、わかってるけど。
「おお。ありがとう、明日菜」
春馬くんが、無邪気に、笑う。
ーでも、たぶん、春馬くんがご機嫌な理由は、私のコーヒーじゃないよね?
私は、軽くため息をつく。
ー魚に、まけて。
ー虫にも、まけて。
ータコにも、まけて。
・・・最後には、トイレにも、負けた日のことは、よく覚えてるけど、
こんどは、昭和64年にも、負けるらしい。
ーまあ、昭和の始まりと終わりの特別な七日間、だもんね。
かなうわけ、ないかあ。
「・・・それで、ヒドロ虫って、なに?」
「なんだろな?」
「えっ?」
つい擬音がでちゃって、身構えたけど、春馬くんは、考えこんでいて、気づかなかった。
ーちょっと物足りなく思う私は、やっぱり春馬くんに、真央が言うように、調教されてるらしい。
まあ、春馬くんなら、なにをされてもいいし、私が傷つくことを、私以上に怖がる春馬くんが、そんなことをするわけない。
ーだって、ずっと言えない想いを抱えて。
ー下唇を前歯で噛んで、でも血がでたら、私にみえないように、舌でなめとって。
ー私が他の人と演じるラブシーンを、真央に、ヒールの踵で、脛を蹴り飛ばされながら。
映画館の大スクリーンで、みながら、
ー我慢して、くれてた。
心と身体がボロボロになって、ようやく明日菜の声が、聴きたくなるんだ。
そう言って、うれしそうに、笑ってくれた春馬くんを、私は、一生わすれない。
「クラゲやサンゴやら、いろいろな生態がありすぎて、よくわかんなかった。そもそも、昭和64年の七日だけじゃ、さすがに、新種は、むずかしかったみたいだし」
そもそも、ネットって、よくわかんねーし。
って、スマホをテーブルに置くと、私がいれたコーヒーに、そのまま用意した砂糖とミルクを、ぜんぶいれた。
たぶん、これも、何も考えてないんだろうな。
私が2個ずつ用意したら、同じように、使ってくれるよね?
用意しなかったら、しなかったらで、苦手なブラックコーヒーも、きっと美味しそうに、のんでくれる。
ーもっと、わがまま言ってくれて、いいんだよ?
「おおっ。うまいな!さすがネス〇フェ」
ー相変わらず、素直じゃない。
「そこは、私をほめてよね?」
あきれていったら、
「ーありがとな。明日菜」
春馬くんが手をのばして、私の頭をやわらかく撫でてくれた。
春馬くんのちょっと茶色がかった瞳に、コーヒーの湯気越しに、私が映っている。
ーほら、ね。
やっぱり、今日も私は、幸せだとおもう。
私、神城明日菜。22歳。
いまでは、国民的人気の若手女優は、
遠距離恋愛10年目の彼氏、村上春馬くんにとって、
ーヒドロ虫には、勝てたみたい。
こんなことに、心底ほっとしてる自分に呆れながら、私は春馬くんのやさしい手の感触に、うれしくてブラック―コーヒーの味が、妙に甘く感じていた。
たぶん、昭和64年の特別な7日間には、負けちゃった気は、するけど、
それは、あの世界的大スターの赤と緑の双子の配管工さんと同じだから、ノーカウントってことに、しとくね?
春馬くん。
※3章からは、実際に誰にでも起きるリアルなシリアスに入ります。繊細な方、ノンフィクションが苦手な方は、避けてください。辛い気持ちにさせるために書いた話ではありません。
ハッピーエンドはかけてます