第14話 彼女と彼氏の知らない話
ー春馬くんが、春馬くんじゃなくても、
「私のいちばん、たいせつな人」
―春馬くんの首に.背伸びをして.両腕をからめて、春馬くんに.キスをする。
そして.気づいた。
―気がついて、しまった。
重ねた唇に。
その、あまりに荒れた感触に。
下唇だけ、いつも血がにじむまで、噛みしめるから、
下唇だけ、傷がある。
かさぶたが小さく、できている。
私に、わからないように、下唇の内側に、傷がある。
ーほんのすこしでも歯があたれば、簡単に、傷ついてしまう。
ー血を、流してしまう。
―春馬くんの、唇。
ずっと、画面ごしでも、必死に、私に隠してきた春馬くんの、心の傷。
ーおままごとみたいだね。先輩の恋。
関東出身で、私よりも、ずっと近くに彼がいて、でも別れてしまった後輩の言葉。
彼女がらわかれた理由は、コロナであえなくなったことよりも、芸能人と付き合っていることを、自慢した彼氏のせいだった。
それを親友に、注意してもらっていたら、
「私の親友と浮気していたんですよ?信じられますか?!」
そう怒っていた後輩も、アイドルグループの男の子と、すぐ仲良くなっいた。
「だって、先輩。同じ芸能人なら、お仕事だって、理解できるじゃないですか」
それに、かっこいいし、お金持ってるし、周囲に、自慢できるし。
「こっちは、仕事でラブシーン演じていたのに。他の男と簡単にキスできるやつなんか信じられねーよ、だって。こっちは、仕事なんだよ。ふざけんな!って、話ですよね」
私がいないからって、簡単に、彼氏を寝取った親友とも、縁を切ったと怒っていた。
ー中学校を卒業して、半年の彼女が、おこっていた。
そして、
「でも先輩、こんど初キスシーン演じるよね?彼氏が浮気するかも、しれないですよ?」
そう少し意地悪く笑う後輩は、でも確かに、傷ついた目を、していた。
私のはじめての、演技のキスは、高校を卒業した18歳の3月。
―春馬くんの誕生日。
私は、彼氏の誕生日に、同じ事務所の4歳年上の先輩とキスをした。
―春馬くんの誕生日だった。
誕生日に、私は春馬くんに、キスシーンをしたことを、告げた。
ーおめでとうの言葉と一緒に残酷な事実を、告げた。
スマホの画面ごしの春馬くんは、私でもわかっちゃうくらい、ぎゅっと力をこめて、前歯で、下唇を噛んでいたよね?
スマホの画面ごしでも、血がにじんでいるのが、わかるくらい、
ーつよく、噛んでいたよね?
そのくせに、
「かっ?」
って、いつもの、あのやりとりを、はじめてきて、
「かっこいい」
春馬くんの唇の傷の心配も、させてくれずに、
「きっ?」
からかうように、見つめてきて、
「-キスしたよ?」
私は、カットの瞬間から、覚えてなかったけど。
「くっ?」
少しだけど、春馬くんの表情が、ゆらいで、
「クランクアップしたよ?」
キスシーンが、クランクアップ、だった。
「けっ?」
そりゃあ、ラブストーリだもん。
「結婚式が、ラストシーン」
私のウェディングドレスを、はじめて見たのも、他の人たちで。
スマホの画面越しで、泣きそうな顔で、でも、いつものやりとりで、私には、わかっちゃったから、私から、
「こっ?」
春馬くんが、もう一度、下唇を前歯で噛んで、でもわらって、
「congratulations on your cank up」
って言うから、思わず、
「thank you?」
ってこたえちゃったから、そのまま「さ」行に、あやうく入りかけた。
残念そうな春馬くんを、なだめて?いたら、なんか、私の中でキスシーンは、特別なものじゃなくなってしまった。
ーだって、春馬くんが、つらそうな表情を、隠さないで、いてくれたから。
ーだって、痛そうな唇を、私は目に、しっかり焼きつけたから。
―泣きたくなるのを、必死に、こらえてくれたから。
私のファーストキスの相手は、春馬くん。
あの13歳の夏休みは、一生忘れられない私の宝物で。
手慣れた事務所の先輩がリードしてくれて、キスシーンにNGなかった。
春馬くんが私を抱きしめようと腕を伸ばしてきたけれど。
私はスルリと春馬くんの腕から、逃げだした。
ーなんで?
春馬くんが問いかけるように、首を傾げるけど、
ーなんで?
私が、ききたいよ?
ーなんで、わからないの?
「お湯さめてると思うから、忘れずに、追い炊きしてね?」
春馬くんが、きょとんと、する。
「追い、抱き?」
追いかけて、抱きしめるじゃないよ。
そしてほしいけど。
ーいまはダメだよ?
「違うよ。追い炊きー、ちなみに甥っ子を抱っこ、することじゃないよ?」
「エスパーかよ」
なんで、わかったんだ?
って、ちょっと、嫌そうな顔に、私は笑ってしまう。
だって、そんなの決まっている。
「わかるよ。春馬くんだから」
私達が直接二人きりで、あえたのは、あの13歳の修学旅行から、夏休みの下旬までの、
ーたったの3か月で。
それこそ「おままごとの恋で」当たり前で。
恋愛禁止の私とは違って、ふつうの青春を謳歌していた春馬くん。
―村上って、モテてたよ。
真央の言葉を、おもいだしたけど。
そんなの当たり前だよ?真央。
私の一番大切な、自慢の彼氏、だよ?
ーたった3か月しか、そばにいなくて、
しかも、私が転校するまでって、期間限定で。
13歳のキスだって、あんな田舎の中学校じゃはやい経験だったんだよ?
そりゃあ、真央には、負けるけど。
だから、春馬くんは、私のキスに戸惑っていたんだから。
13歳の修学旅行のあの夜。
星がきれいに見える、さびれた旅館で、
だって、私が春馬くんに、頼んだ。
期間限定の「男除け」の彼氏を。
だって、春馬くんにとっては、きっと、私は、あの夜空に輝いていたstarだったんだから。
決して、手をのばしても、とどかない。
けれど、目をそらしたくても、晴れた夜空を見上げれば、必ずある存在。
でも、知ってる?春馬くん。
私が住む東京の夜空では、あんなに、きれいな輝きも、すぐに濁った空気に、かすんじゃうんだよ?
ううん。
かすむどこか、輝きを失って、落ちてしまうんだよ?
あまりにも、私たちの出身の九州の片田舎と違って、戸惑ったんだよ?
ーでも、春馬くんが毎日、寂しくて泣く私を必死で、慰めてくれたから。
どんなにつらくても、逢いたいって泣いても、春馬くんの口からは、
「そんなにつらいなら、帰って、おいでよ」
あの真央ですら、私を気遣っていったセリフを、春馬くんは、絶対に、言わないでいてくれた。
いつも下唇を前歯でかるく噛んで、でも次に口をひらいたら、変なことばかり、話をして、
ー私が寝落ちするまで、黙ってみてくれていた人。
春馬くんだって、野球部の朝練や、受験勉強だって、あったのに。
いつも眠るまで、私を見守ってくれていた。
私にとっては、春馬くんだけが、薄汚れた東京の夜空に、ぼんやりと、でも人工の光とは、比較にもならない自然に輝く、確かなstarだった。
ーもし、遠距離恋愛じゃなかったら、私たちはここまで、続かなかったかももしれない。
私と春馬くんは、お互いを、本当に少しずつ、10年をかけて、理解してきたんだから。
ーいまでも、たまに春馬くんの思考は、わかんないけど。
でも、きっと、私たちは、私が芸能界に入らないと、はじまることさえなかった恋だし、春馬くんが真央や家族みたいに、「帰っておいで」って言う人なら、私は、たぶん別れていた。
ーいまなら、尻尾をぶんぶんふって、喜んでスイスにだって、ついていくだろうけど。
春馬くんは、いつだって、私のことを、理解してくれている。
私の気が強いところも、自分でわかってなかった短気なところも、泣き虫なことだって、いまでは、よく知ってくれている。
私だって、彼だけを、覚えていたい。
芸能界でのセカンドキスは、30歳の実力派俳優さんで、なれない私に丁寧に、キスする角度や、きれいな顔のみせかたを、おしえてくれた。
女子高校生と教師の禁断のラブストーリー。
誰もいない夕暮れ時の教室で、たばこの匂いがのこるキスシーン。
ただ唇をこんなふうに、重ねるだけだったんだよ
私はもう一度春馬くんに、キスをすると、すぐに、距離をとる。
そして、じっと、春馬くんを、みあげた。
あの時、無意識にそういうふうに、見上げたから、二度目のキスをされそうに、なったけど、その前にカットがかかった。
可愛かったからつい、って相手役の人が、いってたんだよ?
それくらい、私が相手を、じっと、みあげたら、魅力的なんだよ?
なのに、春馬くんは、両手を挙げて降参のポーズなんだよね?
「俺には、明日菜の考えることが、さっぱり、わかんねーけど」
わざわざ両手をあげてまで、私にふれようとしないんだね?
私は嬉しくて、笑ってしまう。
ーこんなにも、ふれて、抱きしめて、ほしいのに。
でも、私からは、絶対にふれさせて、あげないよ?
「いいよ。私にも、私が、よくわかんないから」
だって、愛しくて、たまらない。
「へっ?」
ー13歳から、あまり変わってない、やりとりも、
「春馬くんが、春馬くんを、わかってないのと同じだよ」
ー泣きたいときは、いつも甘えさせてくれるから、
「そうなの?」
ー戸惑うようなその瞳に、
「そうだよ」
ー私の顔が映る。
「ああ、そう」
ーそのことが、こんなにも、切なくて。
「うん」
ー私は、嬉しくて、たまらなくなるんだよ?
私は、じっと春馬くんを、見つめる。
なんか、戸惑っているような気も、するけれど、
―どうでもいい。
もう、いいよ。
春馬くん、なんだから。
私の春馬くん、なんだから。
春馬くん以外の人としたキスは、ほんとにね?よく覚えてないんだよ?
だって、いつだって、私はー。
戸惑う春馬くんのシャツを、ひきよせて、背伸びをして、またキスをする。
2回目のキスの相手の俳優さんは、結婚したばかりの人だった。
それなのに、私がちょっと見上げただけで、キスをされそうに、なったんだよ?
優しくて誠実そうにみえて、お兄ちゃんみたいだったから、たくさんお話してたんだよ?
―信頼してたんだよ
魔が差すって言葉で、キスをしようとする人だよ?
春馬くんが、また私に、ふれようとしてきたけれど、私は、またにげだした。
だって、私はキスシーンで、ラブシーンで、どんなに相手と激しいキスをしたって、下着姿のうえから、さわられたって、
カットの声と一緒に、忘れていたんだよ?
相手が戸惑うくらい、心に蓋、をしてたんだよ?
いつも、ちいさな福岡土産のキーホルダーをネックレスに、していたんだよ?
キスシーンが終わるたびに、私は服の上から、そのネックレスについたキーホルダーを、握りしめていたんだよ?
そうしたら、その姿が相手役の人には、恋しているように、見えたらしくて、何度か告白もされちゃったんだよ?
春先の映画なんて、本当に私の奪い合いに、なっちゃったんだよ?
だから、予定にはない耳にかみつくシーンまで、強引に入れられたんだから。
少女漫画に文句を言うより、春馬くんに、言いたくなったんだよ?
ーねぇ、知ってる?春馬くん。
私は一度も、春馬くん、以外に、心を奪われたことは、ないんだよ?
ーたった、3か月の恋人、で。
ーしかも期限付き、で。
ー芸能界なんて、異世界に行っちゃうような私、で。
ー芸能人に、なったのは、春馬くんのせいで。
ー私が、春馬くん以外の人と「経験」をするきっかけを、春馬くんが、作ったせいで。
でも、やっぱり、私には、
ー春馬くん、しか、いない。
のに。
ーなんで、そんなに、冷静な顔で、私をみているの?
戸惑っては、いるとけど、動揺も、ドキドキもしていない、よね?
私はこんなに、切なくて、胸が痛くて、泣き出すのを、必死に、こらえているのに。
ー春馬くんが冷静な理由が、理解できてしまうんだ。
だって、春馬くんは、他のひととのキスシーンを、映画館の特大スクリーンで、毎回みていた人だ。
前歯で下唇を思いっきり噛んで、血の味をなめて、脛は真央のヒールの踵で蹴飛ばされながら、それでも、目をそらずに、最後は笑って、寄り添ってくれる人だ。
ー私は、そばに、いないくせに。
ー私は、真央や萌ちゃん、ううん、純子さんにだって、嫉妬するくらいわがままなくせに。
―私は、春馬くんを、手放せない。
もし私がいなければ、春馬くんは、高校で素敵な彼女ができて、クリスマスやバレンタインや誕生日だって、堂々と、外でデートできて。
いまごろ「経験」だって、していたんだろう。
私が、真面目な春馬くんに、枷をはめた。
13歳の夏休みの日に。
東京に行く前日に。
―私が、春馬くんに、呪いをかけた。
じゃあ、やっぱり、呪いをとくのも私だよね?
私はもう一度、こんどは、春馬くんの首に両手をまわすと、お酒のせいか耳の周りが、まだあかい春馬くんの右耳に嚙みついた。
「ーっ!?」
はじめて、春馬くんが、慌てる。
はじめて、私で、動揺している。
ーやっと、私を、みてくれた。
そうだよ?春馬くん。私は耳を一方的に噛まれたり、なめられたりしたことはあったけど、ロングラン公開しているいまの映画もそうだけど、
ー私から、相手の耳を噛んだシーンなんて、一個もないんだよ?
いまのも、私から、春馬くんに贈れた、わたしの「はじめて」だよ?
ほかのだれでもない、春馬くんだけのヒロインなんだよ?
―春馬くんが、主人公じゃない私の映画なんて、クランクインもしないんだよ?
ー春馬くんが相手なら、どんなラブシーンだって、平気だよ?
ーううん。カメラは、やめてね?
春馬くんの目にだけ、焼けつけてほしい。
ー私は、春馬くん、だけのものだから。
―私も、春馬くんだけ、のものだから。
どうして、いつも、そんなに、私を想ってくれているんだろう、この人は。
言えない想いを10年も抱えて、それすら、トイレで、私にわからないように、声を凝らして、でもこらえきれない想いを、ずっと抱えて。
ーきっと、真央にさえ、弱音をはかずに。
―誰にも、相談せずに。
ただ、メディアで、輝く私を見守って、くれていたひと。
13歳のたった3か月しかそばにいなかった私を、あの屋上から、救い出してくれたように、ずっと陰で、ささえて、くれてきた人。
私が逆の立場なら、絶対にできない愛情を、私はたしかに、春馬くんから、うけとっている。
―他の男とのキスなんか、見たくない。
ずっと、言えなかったんだよね?
ずっと、我慢してくれたんだよね?
「えっ?」
本気で驚いてるかどうかくらいわかるよ?
私に噛みつかれた耳を、右手で抑えたまま、春馬くんが動揺している。
私の目の前で、我慢しないで、動揺している。
じっと、春馬くんを、みつめる。
春馬くんのきれいな少し茶色い瞳に、私が写ってる。
真央でも、なく。
純子さんでも、なく。
魚や虫やタコでも、ない。
ー私だけを、春馬くんが、みていてくれる。
脳裏に、また純子さんの声がひびく。
―私と萌を残して、いってしまった。
いやだ。
絶対に、嫌だ!
私の名前を、よんで。
抱きしめて、キスして。
絶対に、いなくならないで。
そう思っていたのに、
「あすー」
戸惑いながら、私の名前を呼ぼうとした春馬くんの言葉が終わるよりも先に、
―私の目から、耐えきれずに涙がこぼれおちた。
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