第11話 彼女と彼氏と彼氏の目覚めの一言。
ー俺は神城明日菜さんが大好きです。
夕日にあかくそまる私たちの故郷の、九州の片田舎の公園で、セミの声がうるさくて、汗にまみれた泥がついたユニフォーム姿で、
ー春馬くんが、真剣なまなざしで、そう口にしてくれた。
「・・・あの時くらいだよね?素直に、口にだしてくれたのって」
ーなんでそうなのかは、私が1番よく知っているけど。
春馬くんが下唇を前歯で噛んで、たぶん噛みしめて傷ついた血を、私に気づかれないように、舌でなめとるしぐさを、私は何度もスマホの画面越しにみていた。
「・・・ずっと、はじめから、春馬くんは、我慢して、くれていたんだよね?」
修学旅行の2日目の夜に。はじめて、ふたりきりで話した夜から、ずっと、目にしてきた春馬くんのしぐさは、私が有名になれば、なるほど、ふえていった。
そんな彼の言えない想いに、気づいていながら、他の人たちとラブシーンを演じ続けてきた。
ーそれが、私、神城明日菜。
いまでは、すっかり国民的女優とまいわれる存在で、ついこの前も、女性が選ぶなりたい顔ランキングで、トップスリーに、はいっている芸能人。
海外の人気アーティストも含まれていたから、純粋にうれしかったけど、
「私のほんとうの顔を、知っているのは、春馬くんや、真央くらいだよ?」
春馬くんだけ、といえないのは、真央だから、しょうがない。
「春馬くんにとっても、「デカすぎる」んだから、文句はないよね?」
・・・春馬くんは、私に、もしそういう、真央みたいな男友達ができたら、どう思うのかなあ?
そこまで考えて、そう考えること自体が、無駄なことに気づいた。
だって、私が春馬くん以外の男の人と親しくするイメージが、まったくわかない。
もちろん、私にだって、異性の知り合いはいる。
現場や事務所であえば、笑って会話もするし、それなりに楽しく一緒に、仕事をしている。
素敵だなあと思える人は、たくさんいるし、尊敬できる人だって、たくさんいる。
でも、私の中の結論は、いつか演じたオムニバスドラマのヒロインのように、男女の友情は、設立しないだった。
そう思っている私が、春馬くんと真央の関係に、ヤキモチをやいても、しかたないと思う。
思ったところで、春馬くんは、春馬くんで、真央は、真央だ。
私のたいせつな存在で、ふたりの間には、たしかに友情どころか切っても切れない、深い絆があるんだろうなあ?と思う。
たぶん、私という、ふたりにとって、大切な存在を通じて。
そういう面では、あの男運以外は、パーフェクトな私の友人は、春馬くんによく似ている。
ー言ったら真央が怒って、春馬くんは、真央の怒りを恐れて、縮こまりそうだけど。
「・・・わかっちゃうから、たちが悪いんだよ?」
まだ眠ってる春馬くんに、私はぼやく。
また手を伸ばしかけて、私は深くため息をついた。
こんなことを繰り返していたって、しかたないのに。
立ち上がって、マグカップを流しで洗う。
もちろん、純子さんや壱さんが使用したものも一緒に洗って、乾燥機にいれる。
ファミリー物件のこのマンションには、食洗機もあるけど、一人暮らしの春馬くんが使った形跡は、なかった。
福岡や九州の観光地のご当地マグカップ。
もし、春馬くんと、はじめてどこかに旅行とかにいけたら、何個か買うのも、いいかもしれない。
ペアカップじゃなく、ファミリーカップとして。
そこまで考えて、ちょっと笑ってしまう。
子供どころか、まだ未経験な私達だから。
ふと、寝室の片隅においてある段ボールが目に入る。
インターネットで買った、例のアレの出番は、あるのかな?
ーだって仕方いじゃない?私にはこの人しかいないって、こっちは思っているのに、全然手を出してくれないんだからー。
純子さんの言葉が私の頭で、なんどもくりかえされる。
私にも、春馬くん、しか、いない。
春馬くん、しか、いらない。
ー春馬くん、だけ、しりたい。
女優の神城明日菜じゃない、本当の神城明日菜の私が、
「抱きしめて、キスしてほしい人は、春馬くんだけだよ?」
まだ寝てる春馬くんにむかって呟いた声は、我ながら、子供っぽくすねてた。
ーねえ、わかってる?
「誰よりも多く、私の名前を呼んでほしいんだよ?」
つぶやいた私の言葉は、けっきょくは、春馬くんは、春馬くんらしく私の想像の斜め上どころか、急斜面に落っことしてきたんだけど。
ー真央や純子さんや萌ちゃんより、もっともっと多く、私の名前を、呼んでほしかったのに。
目覚めの一言目から、春馬くんは、やっぱり春馬くんで、
ぐっすり眠っていたくせに、いきなり、ガバッと、音が立ちそうなくらいの素早さでたちあがると、叫んだ。
「うわっ!やばい!萌ちゃんごめん!空ちゃんと凜ちゃん、だいじょうぶーーーーえっ?」
きょとんとした顔で、私と目が合ったけど、
ーどうして、他の子の名前をよぶの⁈
彼氏が他の子を寝言でよぶシーンは、体験したことあって、そのヒロインは気が強くて怒っていたけど、私はけっこうショックっだった。
そのヒロインの場合、彼が実家で飼ってるペットの名前っていうベタな落ちだったけど、春馬くんの口からでたのは、そりゃあ、まだ子供だけど、人間の女の子の名前だった。
しかも、萌ちゃんは、春馬くんが初恋らしいし。
地味に、こたえた。
だから、素直に、
「寝起きのひとことめが、ほかの女の子たちの名前って、こんなに、ショックなんだね」
私がそう言ったら、
「えっ?明日菜?えっ?萌ちゃんや、空ちゃんや、凜ちゃんや、ー柴原は?」
「ー増えてるし」
しかも、真央だけ大人だし。
「そりゃあ、真央に頼んだのは私だけど」
なんか腑に落ちない。そう思った私は、悪くないと思う。
春馬くんは、そんな私の前で、心底驚いた顔をしているけど、やっぱり、いつものように、大きな人懐っこそうな、子犬のような、少し茶色がかった瞳を瞬いて、
「あれ?」
ーって、ここでも、それするの?!
「どれ?」
ーって、つきあう私も、どうなのよ?
「それ?」
こんなバカみたいな会話でさえも、春馬くんが、目の前いる。
たったそれだけなのに、
ーダメだ。
涙があふれそうなくらい愛おしい。
「ーごめん、春馬くん。私には、純子さんの真似は、無理みたい」
だって、春馬くんが、いま生きて、目の前にいる。
「へっ?軍曹?」
ー結局、残されたのは、私と萌だった。
悲しそうに笑う純子さんの顔がうかぶ。
「正確には、軍曹じゃないけど?」
私には、まったくしらない職業で、この国を文字通り、命懸けで、守っている人たち。
「へっっ?」
ー自分の整備した機体で、もしも、純子さんが死んでしまったらと思うと、怖くてたまらなかったと、泣いた零一さん。
「でも、春馬くんには、いままで通り軍曹って、呼んでほしいって」
ーその願いをきいて、大好きだった戦闘機乗りの仕事を、やめた、純子さん。
「誰が?」
ー私に、他の女の人の名前を、口にしろ、っていうの?
「どれだけ、寝ぼけているの?」
ーねえ、春馬くんは、生きて目の前にいるんだよ?
「ーそのくだりは、いまの私には、ムリだから」
ー私の名前だけを、呼んでよ?
「へっ?」
ーこういう子に自信をつけさせるには、やっぱり、あなたから襲うしかないんじゃない?
「あー、もう!」
私は、寝ぼけたままの春馬くんの頭を、グイッてひきよせると、背伸びをして、キスをする。
「ーっ!」
驚いたように、春馬くんが口を半開きにしたから、そのまま舌でこじ開けるようにして、強引に彼の口の中に舌をいれる。
それくらいの経験値は、あるんだから。
ーって、思ってたけど。
春馬くんのまだ日本酒の味が残る舌先に、一瞬ふれあっただけで、私の心臓がドクンっと、大きく、跳ね上がる。
その心臓と同じように、身体がビクッと、小さく跳ねてしまった。
ー春馬くん以外の人と、たくさん経験したはずの、深いキスは。
春馬くん相手だと、まったくちがうものになることに、
ーはじめて、気がついた。