第10話 彼女と彼氏の遠恋。はじまりも、あいうえお。
春馬くんは、あいかわらず、私の目の前で、ぐっすり眠りこんでる。
「…起きたら、あとついちゃうよ?まだねむたいの?春馬くん?」
そして、私は相変わらず、そんな彼にふれたくて、必死に我慢している。
春馬くんを、泣かせてしまったのに。
春馬くんの想いを、ずっとわかってて、無視していたくせに。
春馬くんの優しさに、あまえてきたくせに。
ーこんなにも、我儘なくせに。
はやく起きて、私の名前を呼んでほしいんだ。
つい、手をのばしたくなるわがままで、自分勝手な私なのにー。
「ーねぇ、どうしてこんな私を、そこまで想ってくれるの?」
泣きつかれた顔に、切なさがあふれる。
だって、私と春馬くんが一緒にいたのは。
私達が直接顔をあわせて、呼吸も、汗のにおいも、同じセミの鳴き声をきいたのも、
-ムカデをみたのだって、たったの三か月、だけ。
13歳の5月にあった修学旅行の二日目から8月の夏休みまで。
そのまま遠距離恋愛で、10年目。
「・・・映画みたいな話だよね」
もちろん、ヒロインは私で、春馬くんが主人公で。
って、考えておかしくなる。
だって、そんな映画を面白がってみてくれるのは、きっと真央だけだ。
もちろん、いまでは大人気女優になった私が主演するなら、私を目当てにある定度のひとは、見てくれるかもしれない。
でも、それは、いまの私だから。
あの頃の13歳の無名の田舎から、でてきたばかりの女の子と、それこそ、どこにでもいる春馬くんの遠距離恋愛なんて、真央以外はお、金出してみようなんて思わない。
ー真央も、お金は、ださないかも?
私の友人は、男関係以外は、しっかりしている。
・・・なんか一番ダメなパターンかもしれないけど。
私は春馬くんと自分のマグカップを、テーブルの片隅に置いた。
春馬くんがしているように、両手を枕代わりにして顔ふせる。
そのかっこうで、上目づかいに春馬くんの寝顔を、じっと見つめる。
少し見える角度が変わって、新鮮だ。
「ほんとうに、大人っぽくなったんだね」
お酒も飲めるようになった春馬くん。
そういえば、お酒を飲んでる春馬くんを、私は今日、はじめて生でみた。
「私なりに、いろいろ考えていたんだけどなあ」
春馬くんの二十歳の誕生日に、私は本当なら、福岡を訪れる気でいた。
真央に手伝ってもらって、サプライズパーティをしようと、思っていからだ。
春馬くんは、大学で寮生活していたから、真央の部屋をかりるつもりだった。
春馬くんが二十歳になって、いちばんはじめにお酒を飲む相手は、私がよかった。
春馬くんはそういうところは、公務員の両親をもつ彼らしく、きちんと守っていたから、そばにさえいてくれたら、簡単にかなう、私の独占欲からきた願望だった。
ー本当なら、だけど。
コロナで緊急事態宣言がだされて、けっきょく、予約していた飛行機もキャンセルせざる終えなかったけど。
一緒に飲みたいと贈ったプレゼントは、春馬くんの好きな水色のブルーキュラソー系で、あやうく春馬くんを、急性コール中毒に、させちゃうところだったんだけど。
春馬くんの好きな水色ってだけで選んだら、度数が結構高くておどろいた。
カルピスやサイダーとかで割ってのむことが多いって、あとからネットでみてびっくりしてしまった。
その話をしたら、マージャーから、思いっきり怒られた。
お酒を飲むこともだけど、人にプレゼントする時は、よく考えるようにと。
けっきょく、あの時も春馬くんは、すぐに眠ってしまって、私が渡したブルーキュラソーは、さっきも冷蔵庫にあったし、心配だったから、翌日、寮まで、わざわざ真央に春馬くんの様子を、見に行ってもらった。
いま考えたら、大学の寮なんだから、真央に行ってもらう必要は、なかったなあ。
まあ、真央は大学の男子寮に潜入するチャンス、なんてノリノリでお見舞いに、行ってくれたけど。
2年前は、スマホの画面越しでしか、できなかった、春馬くんとのはじめてのお酒。
いまは形は、ちょっと違うけれど、春馬くんの寝息からは、少しだけアルコールの匂いがしている。
それが、
「こんなにうれしいとか、真央に言ったら、ドン引きされるよね?」
ーもう10年目なのに、相変わらずだね?明日菜と村上は。
きっと真央ならそう言って、でも明るく笑い飛ばしてくれるんだろうなあ。
ー13歳の夏休み。
私のたった一度の告白。
東京に行く前日の夜に、私は春馬くんを家の近所の公園に、呼び出していた。
部活終わりの春馬くんは、野球の道具が入ったスポーツバックを持って、泥だらけのユニホームで、公園に来てくれた。
猛暑の昼の練習をさけて、その日は夕方おそくまで、練習があったらしく、8月なのに太陽は、傾きかけていた時間だった。
おつかれさま、といった私に、
「こんな時間に、大丈夫なのか?」
めずらしく、まともな返事があった。
それだけ、心配してくれたんだよね?
ー私が目立つから。
だから、私も素直に、笑ってこたえた。
夕日にあかくそまりはじめた公園で。
「うん、お姉ちゃんに言ってきたから、大丈夫だよ?それに帰りは、春馬くんが私の家まで、送ってくれるんだよね?」
「そりゃあ、送るけど」
「じゃあ、なんにも問題なんてないよね?だって、春馬くんは、私の彼氏なんだし?」
「今日までだから、つきあうよ。ちゃんと」
春馬くんが下唇を前歯ですこし噛んで、いつものように、ふざけて口をひらく。
「あっ」
「あっ?」
「いっ」
「いっ?」
「うっ」
「うっ?」
「えっ」
「えっ?」
そこで春馬くんは、また、一瞬だけ下唇を、前歯でちいさくかんだ。
最近、よくみかける春馬くんの癖?
ちいさく首を傾げると、春馬くんも首を傾げて、おどけるように言った。
「・・・お元気でね?」
「・・・キレがないね?」
「・・・そう?」
「・・・そう」
「・・・・」
「・・・・」
春馬くんがだまりこむ。
きっと、私からの「元気でね」っていう言葉がでなかったからだろう。
だから、私が今度は口をひらいた。
「あっ?」
「あっ?」
春馬くんが、きょとんとした顔で、繰り返す。
「・・・ありがとう」
「・・・ありがとう」
「いっ?」
「いっ?」
「言って、くれないの?」
「言って、くれないの?」
「うっ?」
「うっ?」
「うその、告白だと思う?」
「うその、告白だと思う?」
「えっ?」
「えっ?」
「遠距離恋愛って、どう思う?」
「遠距離恋愛って、どう思う?」
「おっ?」
「おっ?」
春馬くんが探るように、私をつめてくる。
私は笑った。
笑わないと、たぶん泣き出しそうだったから。
「・・・終わりにしたくない。私は村上春馬くんが大好きです」
じっと私は春馬くんをみつめて言った。
春馬くんは、ちいさく唇を前歯で噛んで、それでも口にしてくれた。
「ー俺も終わりにしたくない。俺は神城明日菜さんが、大好きです」
私たちのはじめての会話も、遠恋のはじまりも、なにもかもが「あいうえお」作文からはじまった。