第9話 彼氏と彼女の 恋人期限
大好きな人と結婚して。
子供を産んで。
たいせつに育てて。
大好きな人と孫にかこまれて。
幸せな人生をおくりたい。
それはきっと子供の頃に、多くの人が描く夢だろう。
いまは、結婚がすべてじゃない時代になったと私でも思う。
実際に独身でも人生を謳歌している人はたくさんいる。むしろ既婚者より楽しそうだとも思う。
私みたいに、平均的なサラリーマンより収入が高いなら、安定を求めるだけなら、結婚するメリットは、ないとも思う。
シングルマザーで自立している人もたくさんいるし、事実婚を選ぶ人だって周りにたくさんいる。
年齢が上がれば上がるほど、結婚に対してハードルが高くなるといったのは、うちのマネージャーだ。
彼女は自立しているし、その辺のサラリーマンより給料がいい。
それに仕事も楽しそうだし、理想もやっぱり高い。
だから私のことを羨ましいと、たまにお酒に酔った彼女は、口にする。
「だって、明日菜は、ずっと新鮮な気持ちで、恋しているでしょう?」
優しく笑う彼女は、修学旅行の時に私をスカウトした張本人だったりする。
だから、春馬くんのこともよく知っていたし、私が芸能界に乗り気じゃなかったことも、知っている。
「でも、彼がいなければ、明日菜はスカウトの話を断ってたしね。その点でも春馬くんには、感謝しないといけないわね。まあ、この間、魚のことで叱っちゃったから、電話にでてくれるかわからないけど」
・・・例の魚のせいで、私が悲鳴を上げてしまったため、私に過保護なこのマネージャは、春馬くんに雷を落としていた。
そのあと寮母さんになだめられて、ふたりで、仲良くあの魚を食べていたけど。
ちなみに後輩たちにも大好評で、春馬くんが言うところの尺オーバーのアコウは、見た目に反して大好評なうちに一生を終えた。
ー私は食べなかったけど。
いまでは、すっかりマネジャーの大好物になっている。
「でも高いしあんまり、でまわってないのよねー」
とよく嘆いている。
よくメッセージで、春馬くんに大きなものが手に入ったら、送ってほしいと頼んでいるらしい。
そんなに美味しいなら、私も食べてみたらいいのかなあ。
春馬くんの家の冷凍庫に、何匹かいるし。
ーでもやっぱり、気持ち悪い。
見た目より実力で勝負って、ことなんだろうけど。
やっぱり見た目も大事だなと、私が言うのもなんだけど、思ってしまう。
真央の言う通り、坊主頭でない春馬くんはわりとイケメンだ。
いまはちょっと、涙や鼻水で、顔がはれぼったくなっているけど。
ーって、ダメだなあ。
ほんとうに、寝ている春馬くんに、触れたくてたまらなくなる。
こんな顔ですら、私にとっては愛おしくて、泣きたくなるくらい大好きだと伝えたい。
春馬くんにふれる代わりにもう一度、春馬くんのマグカップを手にとる。
お酒がはいってるから、飲めないけど、そっと唇をマグカップによせた。
22歳にもなって、間接キスにバカみたいに、ドキドキと鼓動がはやくなる。
13歳の夏に、はじめて春馬くんとキスをした。
そして、さっきのセカンドキス。
ー春馬くんとは、二回しかしていないキスだけど、春馬くん以外の人とはたくさん経験している私の唇。
ううん。
唇だけでなく、舌や、歯も、他の人に知られている。
春馬くんだけを、知らない私の口。
けれど、私の唇に残っているのは、さっきの春馬くんとのキスだし、いつだって記憶に残っているのは、あの夏の野球部の部室と、
ームカデ。
「なんでムカデがメインになっちゃうかなあ。もう、春馬くんは」
私は、軽く眉をしかめる。
ちなみに、この話もマネージャーは、というか寮のみんなの笑い話のいいネタに、なっている。
後輩なんか、笑いすぎて声がかれていた。
ダンスボーカルユニットのくせに。
まあ、高校生の彼女たちも学校は、リモートで歌番組やコンサートも中止が多くなって、暇を持てあましていたから、いい笑い話なんだろうけど。
春馬くん名物?の手作りお菓子も彼女たちに、大好評だったりする。
ロシアンルーレットのハズレしかないのに、よく食べるなあ?
いまの若い子の感性は、よくわからない。
ってこれじゃあ本当に、ダメじゃん。同じ平成生まれなのに。
でも昭和元年と昭和64年じゃ還暦超えているんだよね。
しかも昭和元年と64年は7日間しかないから、うるう年うまれより貴重だろうし。
昭和のはじまりとおわりが7日間しかないって、すごいなあ。
相変わらずの春馬くん。
ネット嫌いのくせに、変なところでものしりな私の大切な彼氏。
こういう雑学さえ、春馬くん絡みで覚えてる私は、どこにいっても、春馬くんから、離れられないんだろうなあ。
あの日、春馬くんと約束した修学旅行の2日目には、予想しなかった。
ー現在。
春馬くんとの初めての会話?「あいうえお」作文をおえて、私は春馬くんに頭をさげた。
「村上君、ごめんなさい」
春馬くんは、いきなりの私の行動に、きょとんと目を瞬いて、
「ふぇっ?」
「・・・笛なんて、ないよ?」
「ええっ?」
「・・・絵は、ひとつでいいと思う」
「へー?」
「・・・なんにも減らないから」
「・・・・」
「・・・・」
「・・・ちっょと、キレがないな」
「漫才なんかしてないからねっ?!」
なんでいま残念そうに、みられたの!?
おもわず、睨んでしまったら、春馬くんは、ちいさく唇を噛んでため息をついた。
「なんで残念そうなのよ?」
だって、いまの会話でため息をつくのは、私の方じゃないの?
「神城さんは、俺の擬音についてくると、思ったのに?」
そう言って、夜空を見上げた。
福岡は私たちのすむ南九州の片田舎よりずっと、都会だったけど、その日は星がきれいに、みえていた。
春馬くんは、その星を指さす。
「神城さんの故郷だろ?」
「なんでよ?」
「星の英語、知らないの?」
「しってるよ!starでしょ!?」
「じゃあ、やっぱり、あってるじゃないか」
春馬くんがちいさくつぶやくように言うから、私にも何をいいたいのか、わかってしまった。
「いかないよ。東京なんて」
「・・・どうして?」
「どうしてってー。芸能界に興味なんてないし、行ったって、なにも変わらないよ?」
変えたいって、おもったって、どうにもならないじゃない。私は私のことを誰よりも、一番よくわかっている。
「俺はそうは、思えないけど?」
「どうして?」
「神城さんが、理不尽ないじめにあっているのを、見るのは嫌だから」
そういうと春馬くんは、まっすぐに私をみた。
「・・・やっぱり、村上君がいままでたすけてくれたんだね」
「へっ?」
「こういう真剣な話でまで、それやるのっ?!」
「えー?}
「のばしても、絵は絵です」
「ええっ?」
「増やしても、絵は絵!」
「えー」
「それは、Aだよね?」
「・・・やっぱすごいな。神城さん」
「うれくないけど、ありがとう?」
「あっ、蟻といえばさあ」
「もーいいから!話が進まないよ?!」
本気で春馬くんを、にらみつたら、
「いや、真面目な話さあ」
と真面目な表情に、なった。
「蟻ってさ」
「やっぱり、蟻じゃない!?」
叫んだ私は、悪くないと思う。
春馬くんは、うるさげに、ちょっと顔をしかめるけど、なんで!?私の方が正論だよね?
「神城さんって、ほんと短気だな」
「はじめて、言われたんですけど?!」
私は気の強さを自覚しているけど、決して、短気じゃない。
するとは春馬くんは、前歯で下唇噛んで、じっと私を見つめてきた。
それは、ほんの一瞬だったけど、やけに私の目にやきついた仕草だった。
「俺は、神城さんは、東京に行くべきだとおもう。だって、神城さん短気じゃないか」
「だっての意味がわからないんだけど?」
「短気は損気っていうけどさあ?むしろ、長所でもあると思わないか?」
「どうして?」
「クールな奴より沸点は低いかもしれないけれど、それだけ一瞬で、なにかに夢中になれるって、ことだろう?神城さんは、いつも泣きそうな顔しているくせに、人前に出ると、背筋をピンと伸ばして、絶対に弱みをみせない。そういう切り替えの早さは、すごいと俺は思う」
「そんなこと、はじめて言われたっていうか、やっぱり屋上で、助けてくれたり、私のロッカーに折りたたみ傘を入れてくれたり、スリッパを借りてくれたのは、村上くんだったんだね?」
「そんなふうに、いじめにあう学校に、神城さんは、ほんとうにいたいの?」
とても静かな眼差しが私をつつみこむように、見ていた。
「・・・・だって、ほかに行くとこなんてー」
そこまで言いかけて、春馬くんが何を言いたいのかわかった。
「あのスカウトの人って、面倒くさそうだけど、いいひとっぽいし、言っちゃなんだけど、東京にいけば、神城さんクラスの美少女は、たくさんいるだろう?」
「・・・ほんとに、言っちゃだめだよね?女の子に」
春馬くんは不思議な表情で笑う。
「芸能科のある学校に転校すれば、もう悪目立ちも、なくなるだろ?」
「・・・そうかもしれないけど」
「それに演技もうまいし?」
「ただの部活だよ?」
「そうだけどさ。一生懸命やってたじゃないか」
「よくみてるね」
「野球部の全員が神城さんファンだから、練習さぼって、俺まで付き合わされた」
ーのぞき。
って、犯罪だよなあ?ってぼやいてるけど、
「のぞきっ!?」
「べつに着替えとかじゃないし?ただの練習風景だよ」
といわれて安心したけど・・・。
そういえば、
「私、昼に一応、村上君に、告白したよね?」
「へっ?告白?」
「真央にー、柴原さんたちにOKさせられていたよね?」
「ああ、なんかすごい女王バチみたいな?赤木のもと彼女?」
「なんで例えが、いつも虫なの?」
「やっぱり蟻の話ききたいの?今日俺がさあー」
「どう考えても、いま必要ないよね?!」
「なんでっ?!すごい感動話なのに?!」
「ただの蟻の行列の話だよね?!」
「・・・なんでお俺の唯一の動画しっているの?」
「村上くんをみていたから」
私はじっと春馬くんをみつめた。
脳裏に真央が言った偽装彼氏の話をおもいだす。
―偽装も何も。
「過程はどうであれ、私たち彼氏と彼女に、なったよね?」
「ーたぶん?」
「そうなの!」
言い切った私に、春馬くんは、笑った。
「ほら、やっぱり、短気だ」
「村上くん限定でね」
「ーそれで?」
「東京に私が行くまで、私と付き合ってほしいの」
その時、私は付き合ってほしいとだけ伝えたけれど、春馬くんは、ぎゅっと下唇を前歯で噛んだ後、
「わかった。神城さんが東京に行くまで男除けになるよ」
そういって笑うと、夜空をみあげた。
なにかを嚙みしめるように。