第8話 彼女と彼氏の名前。
私は頬杖をついて、まだ寝ている春馬くんをみつめる。
「ほんとうに、なんで「あいうえお」作文?しかも、私限定だよね?」
よろこんでいいのか、かなしんでいいのか、本当にわからない。
私がはじめから、春馬くんにとって特別な存在だったって、思ってもいいのかな?
てもさ。
「もう少し、言葉にしてくれてもいいのに」
春馬くんの愛情表現は、かなりわかりにくい。
意地悪とか、ツンデレとかでもなく、あまり口にしてくれない。
むしろツンデレが羨ましくなるレベルで、真剣な言葉は、あまり口にしてくれない。
ただ、茶化すようには、言ってくれるけれど。
いつも照れくさそうに、笑ってごまかす。
ー笑ってごまかして、くれていたんだよね?
ずっと言いたい言葉を飲み込んで、スマホの画面ごしに、私を支えてくれたひと。
だって、春馬くんは私のことを、いろいろな機会で目にすることが多くても、私からは、真央か春馬くん自身からの連絡がこない限り、春馬くんの顔はみれない。
今朝、始発で東京を飛び立った私を、福岡空港まで迎えにきてくれた春馬くん。
背が高くなっていて、成人式の時より大人びた笑顔に、正直ビックリした。
修学旅行の時、南九州の田舎から、九州で一番の福岡を自由行動でまわった時は、まだ春馬くんは、方言も丸出しの田舎者で、車と人の多さに目を丸くしていた。
でももう4年以上、福岡に住む春馬くんは、故郷のにおいはしない。
都会と田舎が、ほどよくまじりあう、この地方都市と同じように、かっこいいけれど、決して垢抜けてない春馬くん。
空港の到着口から、少し離れた待ち合わせの場所で、壁にもたれていた姿は、けっこう様になっていて、すごくドキドキした。
…口をひらいた瞬間から、春馬くんは、やっぱり春馬くんだったけど。
成人式の時には、私は事務所から派遣されたガードマンやマスコミに、かこまれていたから、遠目にしか春馬くんをみれなかった。
真央ですら、ほとんど会話できなくて、他の成人のみんなに、迷惑をかけてしまった。
故郷の親善大使を、任命されていたから出席したけど。
13歳で実家をはなれて、たったひとりで東京で暮らしていた私。
しかも、あんなギラギラした華やかな世界で、その年代では、第一線といわれる立場にいる私。
春馬くんよりずっとかっこいい人も、財力がある人も、プロって名がつくスポーツ選手にだって、知人はできた。
遊び慣れしてない真面目なひとだって中にはいて、そういう人たちからも、好意を告げられたことはある。
13歳での初恋が。
13歳からの遠恋が。
「こんなに長く続くなんて、私も春馬くんも、わからなかったよね?」
つい眠る春馬くんの髪に、手が伸びて、慌ててひっこめる、
ぎゅっとその手を、にぎりしめた。
ダメだなあ。
すぐに春馬くんに、触れたくなる。
ずっと、ふれていたい。
でも、その寝顔をまもりたい。
ーねぇ、知ってる?春馬くん。
春馬くんがスマホの画面ごしに、いっつも前歯で唇をかむたびに、私は別れ話をされるのかと、身構えちゃうことを。
そのあとの、本当にくだらない春馬くんの、あのわけがわからない「あいうえお」作文ですら、別れ話じゃないから、すごくうれしくて、たまらなくなるんだよ?
さっき、春馬くんが泣いてくれた理由が、私には嫌ってほど、わかるんだよ?
ーだって、私も同じだから。
わがままな私が、春馬くんを手放したくないんだよ?
そばにいないくせに、独占したいんだよ?
私は演技だけど、他の人とキスをして触れ合っているのに。
ー春馬くんには、キスどころか、他のだれにも、触れられたくないんだよ?
私は雑誌でさえ、万人にむけて笑いかけてるのに。
春馬くんには、誰にも笑いかけて、ほしくない。
ーほんとは、真央ですらそばにいるのは、嫌なんだよ?
私からお願いして、しかも春馬くんとの恋を、いちばん応援してくれているのに。
「春馬くんの車に、最初にのった女の子が、真央ってきいて、しばらく真央からの電話もメッセージもスルーしちゃったんだよ?」
真央にはわかってたみたいで、呆れて、許してくれたけど。
ーほんとうに、私って嫉妬深いなあ。
巳年うまれたからかなあ。春馬くんは午年だけど。
私は12月生まれで、春馬くんは3月。
午年の春に生まれたから、春馬。
私の特別な大切な名前。
年子のお兄さんは辰年の10月だから竜生って、名前らしいけど。
年子だからって、干支が1つ違いとは限らないんだなあって、おもった。
だって、それで言うと学年で二つ違いの私の姉は、早生まれだから、干支はひとつしか違わないし。
そういえば、姉の親友で、私を演劇部に強引に誘った先輩が、こんど結婚するって、言ってたなあ。
ー結婚かあ。
真央の話では、中学時代同じクラスだった子たちの何人かは、もう子持ちらしい。
「・・・結婚、かあー」
私はもう一度春馬くんの寝顔に、むかって呟いた。