第3話 彼女と彼氏とファーストキス
けっきょく春馬くんは、親ムカデを一匹だけ部室の裏の土に、うめた。
「お前が雄であることを祈ってる」
アーメンなんて、十字とるけど、
「ムカデの雄雌なんてわかるの?」
「さあ?ためしにyouを探してみたけど、素人じゃむりみたい。youって手厳しいよな」
「youって、誰?」
「自転車のタイヤの中身」
「高いけど、最近の自転車は、チューブレスだよ」
「えっ?マジ?」
「お父さんが言ってた」
春馬くんが本当にショックって、顔で私をみてきて、首を傾げる。
悲しそうな表情で、
「わおん」
「イ〇ンの電子カードじゃないから」
「わおん」
「和音はいりません」
「わ」
「・・・それは正解」
自転車のタイヤは、まるい。
「ーって、話が前に、すすまないから!」
ほんとに、なんなんだろう?このやりとり。
かるく睨むと春馬くんは、気まずそうに目をそらした。
そう、まだこの頃の春馬くんと私には、距離があった。
私が春馬くんとのやりとりに、つかれながらも呆れて、笑って返せるようになったのは、いつだっただろう?
春馬くんは、気まずそうに咳払いをする。
全校集会でダジャレに失敗した校長先生みたい。
気まずくなるなら、最初からやめといたら、いいのに。
呆れる私の前で、春馬くんは首を傾げた。
「それで神城さんも、ムカデを見にきたの?」
「なんでそうなるの?村上くんの姿が、進路指導室の前にある廊下からみえたから、会いにきただけだよ?」
ムカデに会いに来たわけじゃない。あくまで、春馬くんに会いに来た。
春馬くんは、納得したように頷いたけど、
「ああ、あの有名なMr.Sinatra」
「たぶんいまの若い人は、しらないよ」
「ええっ?あの有名なgoing my wayを?」
「そー。話し戻して、いいかな?」
まったく、いつになったら、話が前にすすむんだろう?
「それでムカデの生態なんだけどさあ」
「ムカデは、もういいよ」
気持ち悪いし。
なんでそこで、きょとんとするのかなあ。
まあ、春馬くんだし、仕方ないんだろうけど。
だって、修学旅行で、どこにでもいる蟻の行列だけを唯一動画で撮っていたいた人だ。
真央が強引におくりつけた班全員の写真や動画がなければ、彼の修学旅行の思い出は、その蟻の行列だけだったに違いない。
真央が強引に、とってくれたツーショットは、いまでも私の宝物だ。
スマホには流失防止でいれてないけど、自宅のパソコンには、何枚もコピーして、絶対になくさないようにファイルしている。
・・・自分で考えて、ちょっとひくかも。
でもしょうがないとも思う。
遠距離でそばにいれない私に、真央がたくさんの写真を送ってくれていた。
春馬くんとのテレビ電話をスマホでしている時は、私も写真機能や動画機能をしようするけれど、なんだかものたりない。
きょう、春馬くんにあって、物足りなさの原因は、よくわかったけれど。
スマホの画面じゃ、体温も汗のにおいも、なにもわからない。
-あの日の汗くさい春馬くんも、なんともいえない野球部の部室のにおいも。
写真やスマホ越しでは、教えてくれない。
あの日のムカデも、夏の焼けるような陽射しも、春馬くんの表情も、会話も、
ーすべて、覚えている。
「そういえば、なんで進路指導室?」
ようやく春馬くんから、まともな質問がくる。
「ー東京の学校に、転校する準備」
春馬くんは、一瞬かすかに口をひらきかけて、またきゅっと下唇を前歯で噛んだ。
そして、
「ほー?」
「フクロウじゃないから」
「ほーほーっ」
「キジバトでもないし」
「ほーぅ」
「ミゾゴイでもないよ」
「・・・レアな鳥を、知ってるなあ」
「おじいちゃんが趣味で、野鳥の会に入ってるから」
「あ。そ?」
「阿蘇は遠いよ?同じ九州だけど」
「じゃあ、つぎはー」
って、もういいから。
「春馬くん」
私は低い声で、春馬くんを下の名前で呼んだ。
「春馬くん?」
びっくりしたように、後ろをふりかえるけど、
ー誰もいない部室があるだけだよ?
「えっ?神城さん、霊感あるの?」
なんでほんとうに怖そうなの?
「ありません!もうっ、黙って」
「えっ?」
私はほんの少し移動して、春馬くんの唇に、自分の唇を重ねた。
その頃の春馬くんは、あまり変わらない身長だったから、簡単にキスができた。
よくあるドラマみたいに、歯もあたらずに、私は春馬くんに、キスをした。
ほんの一瞬、だったけど。
私と春馬くんの大切なファーストキスは、告白と同じで、怒りから生じた行動だった。
―春馬くんは、私を笑顔にさせる天才だけど、一番苛立たせる存在でもあったんだ。
13歳の夏。
ムカデの話で。
なんなら、そのムカデに触った彼と。
汗でびっしょりだった、春馬くんと、
ーはじめてキスをした。