第2話 彼女と彼氏のムカデ事情
13歳のあの夏も、蝉の声がうるさかった。
南国九州の片田舎にある私の故郷は、陽射しが本当に肌を焼くように、つよい。
東京や福岡とも違う南国というしかない強い陽射し。
とても暑くて、グランドには、人影もまばらだった。
熱中症になったらこまるから、早朝練習かエアコンのきいた校内での筋力トレーニングをする部活が多くなっていた。
私はまだ書類の手続きで、教師と話をしている親から距離をとって、ぼんやりしていた。
私にとって母校でも、私は卒業をしない学校。
これからまったく違う場所で、生活を始める私は、いつかこの場所を、懐かしいと感じるのかな?
私は2学期から転校するから、ほんの少し東京の学校生活の方がながくなる。
すこし感傷的な気分になるのは、当たり前だよね?
そんなことを思いながら、何気なく廊下の窓から、グランドをみていた。
夏休みでも練習中の春馬くんがいる野球部の部室が見えたのは、偶然だった。
ううん。
その頃には、もう自然に、私は無意識に、春馬くんをさがしていた。
春馬くんには修学旅行の2日目の夜に、告白騒ぎに巻き込んでしまったことを、謝った。
春馬くんはカリカリと、坊主頭を手でかきながら、
「まあ、あのスカウトさんしつこそうだったし?あの場面じゃ、俺しかいなかったよなあ。みんな神城さん狙いだし」
って妙に、納得された。
まあ、春馬くんなら、そう思ってるだろうとはおもってたけど。
ー春馬くんだし?
そうして、春馬くんとの話のながれで、私は東京に行く気に、なっていた。
いま、私が女優をしているのは、春馬くんがきっかけで、
でも、そのことに1番傷ついている春馬くん。
いま、目の前で泣き疲れてしまった春馬くん。
涙でボロボロになって、目が腫れている。
いつも噛みすぎて、少し血がにじんだ唇をひきむすんで、いつも言いたい言葉を、飲み込んでいてくれた優しい私の彼氏。
たいせつな、たいせつな、
―村上春馬くん。
日本中を探したら、きっと同じ名前の人は、たくさんいるだろう。
それくらいありふれた名字と名前。
私の明日菜って名前はわりと最近だと思うけれど、春馬は昔からあったと思う。
おなじ年代の子だって、いるだろう。
けれど、私にとっては、春馬くんは春馬くんだけ。
でも大勢の人にとっての神城明日菜は、私だけ。
そんな世界に住んでいる私と、サラリーマンの春馬くん。
実際にそばにいたのは、あの3か月だけ。
つきあって、10年目のカップル。
つきあって遠距離で、10年目のカップル。
前者はすごいねと感心されても、後者は、本当につきあっているの?ときかれることが、ほとんどだろう。
だって私たちが本当の意味で付き合ていたのは、中2の5月から8月までのわずかな間で、それだって私はレッスンや新しい学校のことで、よく学校を休んで東京にいた。
でもいつだって春馬くんは、私の心にいてくれた。
私が告白した時には、もう東京に行く気になっていた。
それなのに、春馬くんに、私とつきあってほしいとたのんだ。
せめて転校するまで。
そう言った私に、
「わかった。神城さんが東京に行くまでの男よけになるよ」
小さく唇をかんで、頷いてくれた春馬くん。
あの頃から、私は優しい春馬くんを利用し続けている。
スマホをあまりみない彼にせがんで、アドレスを手にいれて、夜に、休みの日の朝に、ううん、準備で東京に行ってる時だって、電話した。
電話をかけたり、メッセージをするのはいつも私の方で、それはいまも変わらないかもしれない。
ーなんとなく、理由は、わかってるけど。
夏休みのその日、春馬くんは野球部の部室の前で、ほうきを片手に、地面をじっとみていた。
また、蟻の行列でも、みかけのかな?
5月の修学旅行でつきあって、毎晩のようにメッセージやテレビ電話で話をして、春馬くんのことは、なんとなく理解ができはじめていた頃だった。
進路指導室をのぞくと、お母さんと先生は、まだもう少しかかりそうだ。
私は母に一言告げて、昇降口にむかった。
野球部のユニフォームをきている春馬くんを直接見るのは、最後になるかもしれない。
でも他の部員がいたら嫌だなあ。
春馬くんとつきあってるって、学校中にひろがった噂なのに、いまだに私は告白されている。
むしろ、告白の回数は、なぜか増していた。
とくに目立つ存在でもない春馬くんが彼なら、自分にもチャンスがあるっていう自惚れと、春馬くんに対する蔑みと、なにより私が二学期には、いなくなるから。
フラれた相手をみないですむ。
彼らの自尊心は保たれて、逆に春馬くんを憐れんで、満足していくのだろう。
それに、後輩の女の子たちからも告白されたりもした。
彼女たちは、純粋な憧れだったけど。
告白率があがるってことは、再告白率もなぜかあがる。
春馬くん以外の野球部員から、私はまた告白されていた。
身近に春馬くんを知っているからこそ、彼より優ってると、なぜか思うらしい。
春馬くんは、気にしてないけど、
ー私は面白くないよ?
だって、私のたいせつな初恋の相手なんだから。
なんて思いながら、そっと校舎の片隅から、野球部の部室を観察してみるけれど、どうやら春馬くんだけが掃除をしているらしい。
なんでだろ?
掃除は一年生の仕事じゃないのかな?
不思議に思いながら、近づいても相変わらず春馬くんは地面をみたまま。
「村上君?」
そう。
この時はまだ私は、春馬くんを名字で呼んでいた。
私の言葉に春馬くんが顔をあげて、驚いたように目を瞬いた。
「えっ?神城さん?」
春馬くんも、苗字にさんづけだった。
「こんにちは。何をしているの?」
ふつうに問いかける。
ーふつうだよね?この場合。
でも、春馬くんはこの頃から、春馬くんで、きょとんと目を見開いた。
「はっ?」
「はっ?」
ーなに?
「へっ?」
「へっ?」
ー意味は?
「ふっ?」
「ふっ?」
ー首傾げてるけど、
「ほっ?」
「ーひ、がぬけてるよ?」
つい、つっこんだ。
なんで負けた気分になるんだろ?
「ーあれ?」
もう意味不明。
「それ?」
私も意味不明。
「どれ?」
なんでついていけるの私?
「これ?」
地面を指さす春馬くん。
いつも思うんだけど、このやりとり何なんだろう?
わかってしまう私もどうかとは、思うけど。
春馬くんの視線を追って、私はものすごく後悔した。
叫ぼうとする私の口を、慌てて春馬くんがふさぐ。
「ちょっと、時と場合を考えて?!」
それ、私のセリフじゃないの⁈
ペシペシ腕をたたいたら、素直に春馬くんが手を放してくれた。
相手が春馬くんじゃなかったら私は、手が離れた瞬間に、もう一度悲鳴をあげてやったのに。
そうしたら、春馬くんは教師に呼び出され、親も呼ばれて、みんなにも無視される中学時代を、過ごせたかもしれない。
ーまったく笑えない。
へんな想像をしてしまったのは、その時みたものを、あまり思い出したくなかったから。
だって黒々とした15センチくらいのムカデなんて、誰がよろこぶんだろう?
春馬くんがほうきを持っていない手には、ムカデ退治のスプレーがある。
「部室に、いたんだ」
春馬くんが、そう言った。
うん、それは見たらわかる。
「捨てるところに、まよっていたの?」
「いや、家族をさがしてる」
「はっ?」
思わず問い返した私は、正しいはず。
なのに、
「大丈夫。俺は虫歯がない」
「私もないけど、そっちの歯じゃないから?!」
「はっ?」
「・・・葉っぱじゃないよ?」
「はっ?」
「・・・派閥つには興味ないよ?」
「はっ?」
「・・・刃物には気をつけようね?」
「はっ?」
「・・・波なんかこないよ?」
「・・・・・」
「・・・・・・」
「すごいな神城さん」
「村上くんだし、ね」
「適応力、半端ないな」
「村上くん限定でね」
ほかに、こんなふざけたやり取りしないし。
ほんとに、なんで私わかるんだろ?
毎回毎回、会う度に、こんな会話をしていたら、私の反射能力も上がってる。
私は呆れて、もう一度春馬くんを見上げて首を傾げる。
「家族って、なあに?」
「え?」
「話が進まないから、もうダメだよ?」
「えーっ」
しまった。こんどは「ー」バージョンが残っていた。
これは、まずい。
「アルファベットも禁止です」
「もー」
「鳴き声も禁止」
「れー」
「音階もだめ」
「・・・・」
「・・・・手ごわいな」
複座そうな顔しないでよね。私の方が複雑なんだから。
なんで私こんなことに、毎回、毎回つきあっているんだろ?
溜息をつくと、じっと春馬くんをみつめる。
ームカデは、視界にいれたくない。
こんどは、ようやくまともに、返事がかえってきた。
「いや、ムカデって、一匹いると必ず2匹いるって、いうだろ?」
「うん、つがいで行動するんだよね?」
その話なら、私でも知っている。だって、ここは、南九州の片田舎だ。
でも春馬くんは、首を左右に振った。
「いや、それは間違い」
「どういうこと?」
「そもそもムカデは、母子家庭だ」
「母子家庭?」
「そうだよ。オスは育児に参加しないし、やることやったら、さっさと逃げる」
「なんか、最低だね」
ー春馬くんの言い方が。
「いや、そうしないとメスに食べられちゃうだろ?人間でもさあ、結婚したとたんにATM化するわけだし」
「夢がないなあ」
まあ、そういう家庭も多いとは、思うけど。
ームカデの繁殖と一緒にしないでほしい。
すると春馬くんは、真剣な顔になる。
というか、ムカデに私って、負けてるの?
って、思うくらい楽しそう。
「けっこうムカデって、子育てをしっかりするんだぞ?子供が2回脱皮するまで、1か月も母ちゃん飲まず食わずで子供を守るし。だから、もしかしたら、子ムカデいないかなあと」
言いながら、キョロキョロ地面や壁を、見ないでほしい。
私もつい探してしまう。
春馬くんとは違って、恐怖心、からだけど。
「いたらどうするの?」
「危ないから、コレ」
とスプレーをみせてくる。
「結局、退治するんだね」
「掃除をおしつけたヤツの靴にいれてやろうかと思ったけど、あんなくさい靴にいれたら、ムカデがかわいそうだし?」
私はふつうに、その人がかわいそうだけど、春馬くんをいじめてるなら、そうしてもかまわないとも思う。
「そうなんだ。それで村上くんだけが、掃除しているの?」
「いや、なんか退治していたら、みんな帰った」
「ーそう」
なんとも言えずに、私は地面をむく。
春馬くんが野球部で嫌がらせをうけていることは、なんとなく気づいていた。
それが私のせいだということも。
「俺、そんなに、ムカデ好きにみえるのかなあ」
なんて真剣に首をかしげているけど、気づいてないんだろうな。
ー春馬くんだし?
「どうした?」
「ううん。じゃあ、みんな帰ったんだね?」
「薄情だよな」
軽く肩をすぼめる春馬くんは、まったく気にした様子はない。
「悔しくないの?」
「ん?」
「それは、やめて」
「あっ、やっぱりダメか」
「その単語で喜ぶの、小さい男の子だけだし」
「そう?」
「そうだよ」
「あれ?」
「ーどれ?」
「これ?」
スプレーして死んだムカデからでている小さな点々はー。
仕方なく私は答える。
「こ?」
ーあまり思い出したくない思いでかも?
いまさらだけど、中2の私って、すごい。
私、なんで春馬くんに、恋したのかなあ。
かるく溜息をつくと、お酒の残るマグカップに、手を伸ばした。