第21話 彼氏と彼女のトイレ事情
ふりしぼるようにして、やっと、でた言葉は「嫌だ」だけだった。
ずっと、言いたかった言葉。
明日菜がスカウトされた修学旅行の夜に、明日菜を異世界人じゃなく女の子だと思った夜に、あの時には、もう俺は明日菜が芸能人になるのは、嫌だった。
そう、はじめからずっと、俺は嫌だったんだ。
グラウンドの隅で、バット素振りしながら見上げた屋上で、泣きそうな顔で、寒さに震えている明日菜を、豆粒みたいに遠くにみたときから、俺はずっと嫌だった。
俺の知らないところで、知らない女の子が俺には、よくわかんない理由で、いじめにあっているのが、嫌だった。
また明日菜が、俺の知らないところで、身勝手な人間に、傷つけられることが嫌だった。
そばにいないなら、守ることもできないじゃないか。
スマホ越しに寂しいとなく明日菜は、でも絶対に、帰るとは言わなかった。
みんなに、迷惑かけるから。
お仕事をもらえない子たちに、悪いから。
はじめは、そんな理由で頑張っていた。
俺は表面では優しい言葉を言いながらも、帰りたいって、明日菜がいうのを、ずっと待っていた。
でも明日菜はいつのまにか、女優という仕事に誇りをもって、俺んかより、先に、歩いていた。
それは、明日菜の作品を多くの人が、見て感動してくれて、応援してくれるからだ。
ひたむきな彼女の頑張りが、多くのひとを魅了していった。
でも、明日菜が頑張れば頑張るほど、俺はどうしていいか、わからなくなった。
だって俺には、明日菜しかいないから。
明日菜以外は、考えられないから。
俺は明日菜以外のやつとキスしたくないし、抱きしめたくもないし、一緒にいたいとすらおもえない。
ー柴原や軍曹は、別枠だけど。
そういえば、いまは、何時だろう?
いつのまにか、上下左右のいつものドタバタは、なくなっている。
とすると、もう夜の9時すぎてるのか?
自分が泣いていて、凛ちゃんの泣き声すら気付かなかった。
いや、むしろこの場合、俺と明日菜のほうが騒がしかったんじゃないか?
一尉も軍曹も遠恋中の明日菜が、東京からきていることは、知っているんだし。
やばい、マジで、恥ずかしい。
彼女に泣かされてる俺、村上春馬22歳。
童貞。
って、そもそも一尉が、こんなものくれなきゃよかったんじゃないか?
そうしたら、いまごろ明日菜は、新品の布団に寝てたんじゃ?
俺は、一尉がくれたメッセージつきの小瓶と箱を見る。
ほんとに、なんなんだよ?
彼女も未経験なら、これを使ってあげたほうがいいって。
知ってるよ!そりゃあ、俺自身は、経験ないけどさ。
飲み会とかになると、ヤローもオンナも会話が、えげつないからな。
特に大学生なんて、そのことしか、頭にい奴らもいるんだし。
くしゃりと、紙袋をにぎりつぶす。
中に入ってた小さな瓶と小箱は、トイレットペーパーの上におく。
いや、こんなところに置いといたら、明日菜がトイレに来た時に困るよな。
そういえば、明日菜は、トイレ大丈夫か?
ふと気配をさぐってみるが、ドアの前にはいないようだ。
ーえっ?
まさか?
俺は、立ち上がり、トイレのドアを思いっきりあける。
室内は、ガランとしていて、人の気配がない。
明日菜に貸したはずの黒いトレーナーも、リビングの椅子に、きれいに畳んでおいてある。
慌てて、玄関に向かうと明日菜の靴もない。
「うそだろ?」
まさか、東京に?
いや、この時間だと、柴原の家か?
でも明日菜が、柴原の家を知っているのか?
あいつの家は、通勤に便利だからって理由で、福岡の中心部にある。
地理に不慣れな、しかも、明日菜がひとりで?
いや、でも、柴原は、いまー。
俺は慌てて、財布とスマホとカギをとり、靴をはくのももどかしく、つっかけた状態で玄関をあけー、
「あれ?トイレから、でているじゃないか?」
目の前には、心底不思議そうに首をかげる青いスェット姿の一尉と、迷彩柄のスェットー(パジャマまで迷彩色かよ)の轟木純子軍曹夫婦と、
「あっ、よかった。春馬くんトイレから、出てきてくれたんだね」
泣きそうな顔で笑う、明日菜が、いた。
あれ?
「なんだ。一尉のところに、トイレを借りに行ってたのか」
「なんで、そうなるのよ」
ほっとした俺に、明日菜は顔をしかめた。