⑬ 春馬とスマホ
夏休みにバイトがしたい。
突然、高校一年生になった次男の春馬がいいだしたのは、夕飯時。
部活をしている長男より珍しく次男の春馬が先に帰ってきていた。
長男は自転車で30分ほどの距離にあるこの地域でいちばんの進学校に通っていて、中学とは違う文化系の部活に入っていた。
対して、春馬は、県でいちばんの進学校にはいり、電車とバスでも、かなりかかる上、いつも真央ちゃんと帰ってきていた。
春馬と同じく、珍しく早く帰宅した旦那が言った。
「なにかほしいものでもあるのか?」
「ースマホ」
「持ってるじゃないか?」
「もう一台ほしい」
「買い換えるなら、あなた入学祝いも、いらないって断ってたから、私たちが買ってあげるわよ?」
私が言うと、春馬は首を左右に振って、もう一度言った。
「スマホがもう一台欲しい。使用料は小遣いから払うから」
「要するにいまのヤツとは、べつの回線でもう一台欲しいのか?」
旦那の言葉にこくん、と頷く。私と旦那は顔を見合わせた。
無口な旦那だが、さすがにこの時ばがりは、意見は同じなはず。
「どうして?」
「まあ、いいぞ?」
「えっ?」
驚いて、つい旦那をみると、
「えっ?」
旦那も驚いて、私をみていた。
そうなると、不思議なもので、私のほうがおかしいのかと思うから不思議だ。
なにしろ、旦那は、本気で驚いている。
ーここに、長男はいない。
いつも私と同じことを思う子はいない。
この空間にいるのは、3人。
多数が有利なら、春馬と旦那が有利になる。
ー家族という小さな集団さえそうなる。
私は旦那と春馬を見比べる。
ふたりはじっと黙って私を見ていた。
私はため息をつく。
「なんのために欲しいの?」
「ー情報漏洩防止?」
「ようは?」
「彼女との専用電話がほしい」
春馬が少しだけ照れくさそうに笑った。
この子のこんな表情は珍しい。
いつもなにを考えているか、よくわからない子だから。
年齢とともに、というか、真央ちゃんとであってから、この子は学んでいってる。
彼女ってことは、真央ちゃんか。まあ、お年頃だし、お小遣いで支払っていくならいいのかしら?
長男は、いろいろなアプリをいれて、たまに私が目をむくくらいの金額があり、旦那がかなり注意して、長男には、制限をかけた。
でも春馬には、必要ない。ほんとうに基本料金内で収まって、使わない分は、長男にまわっている。
中2の夏休みに、一時的に、通話料があがっていたけど、すぐに落ち着いていた。
あの頃から、たしか真央ちゃんと知り合いになっていた。
真央ちゃんと出逢って、春馬は変わっていっている。
なら、いいのかしら?
「バイトは、もう決まってるのか?」
「うん。柴原の和菓子屋さんの雑用。畑の収穫とか、荷物運びとか」
「夏休みの課題は?」
「バイト終わりに柴原とやる」
「生徒会は?」
「柴原と行く」
「相変わらず真央ちゃんだけ、なのね?」
私があきれて言うと、私譲りのちょっと茶色がかった瞳をひとつ瞬いた。
「ー?唯一無二ってこと?」
「まあ、そうだろうな?」
「柴原が唯一無二は確かだよ?」
あら?さっき、彼女、の話をした時には照れくさそうにしたのに。
今度の春馬は、さも当たり前のようにうなずいた。
そして。
あれから何年かしら?
ーいまねてる。
春馬の福岡のマンションにデミオをとりに行った時、社会人になった春馬は、照れくさそうに、けどやさしい顔でそう言った。
ああ、
ー春馬が照れてる。
あの、春馬が、
ー感情をだしてる。
よかったね?
ほんとうに、よかった。
私と旦那はうれしくて、広川SAで明日菜ちゃんのファンに、とても愛想よくご機嫌に対応したわよ?
息子の大事な子だもの?私たちの新しい家族だもの?
そりゃあ、愛想良く対応したわ。
旦那は市役所勤めよ?クレームを愛想良くながす人よ?
そして、かならず守秘義務があるから、
相手に危険性を語っていたけど。しっかり、相手の車もいっしょに写真やドライブレコーダーにおさめて、
ー明日菜ちゃんの事務所に、対応をまかせていた。
簡単にネットで相手を晒して傷つけるなら、自分も同じリスクがある。
ー匿名?
ありえないよ?
海外サーバー?
相手を傷つけるなら、法の元におえるんだよ?
自分の生活を捨ててまで、見ず知らずの他人のことを冗談半分で嘲ることに、
ーほんとうに、意味がある?
まあ、それなら、かまわないけど。
私には春馬が大切にしている、私が大切にしている人たちが笑ってるなら、いい。
きっと、ネットの怖さも、情報の大切さも両方知っている子たちの世界になる。
傷ついた子たちがつくる世界は、傷ついたままでは、ないだろう。
ーどちらにいくにしても。
ただ、八代インターから、またながい、かくとうトンネルをくぐり、そして様々な23個のトンネルをぬけたら、人吉インターは、
ー青い空がひろがっていた。
南国九州のまぶしい光に、私は目を細めていた。
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