⑧ 春馬のあそび
土曜日に半日で仕事を終えて帰宅すると、妻が困ったように、二階だての屋根をみていた。
もとは平屋だったのを、子供部屋をつくるために二部屋分、二階を増築していた。
積み木の長方形を横にして、その端っこに小さな四角形をおいたような家だ。
子供部屋の窓からは、簡単に屋根にいける仕組みなっていた。
その屋根の端っこで春馬が、じーっと地面を覗き込んでいる。
「なにをしているんだ?あいつは」
「それが何も言わずに、あそこで地面を覗いているだけなの。もう落ちやしないか、ひやひやしてて」
そわそわする妻の言葉で、俺は春馬が何をしたいのかを理解した。
「なあ、春馬の靴の中で、いちばん靴底のクッション性能がいいやつ、どれだ?」
「えっ?たしか、ただの運動靴のこれだけど」
妻から靴をうけとって、俺はの春馬もとにむかった。
・・・屋根は雨風に吹き曝しになる場所で、当然のように、俺の靴下は汚れた。春馬のスクールソックスは白だから、もう真っ黒になっている。
「春馬?」
俺が声をかけると、春馬はちらっとだけ、俺をみて、また地面に目を戻そうとしたあと、もう一度、びっくりしたように、俺をふりかえった。
俺は笑うのをおさえるのに、必死だった。
貴重な春馬の二度見だ。
今年でこいつは、いくつになったか?
小4か?
ぼちぼち人間関係ができ始めて、おとなの基礎関係みたいなものが、構築されていく年代だよな。
そういえば、最近は2分の1成人式。
そういう言葉もあったな。たしかに、めでたく思春期にはいる10代になる。
ー小学四年生。
きっと、いろいろなことが、また春馬のなかで、変化していくのだろう。
自分と他人との違いを、もうこいつは、あきらめてしまっている。
春馬は長男に比べると無口だ。興味をもつものも、ひとりで遊べるものばかりをしている。
妻が心配してサッカークラブにいれて、持ち前の運動神経で、てきとうに流しているようだ。
春馬が一番好きなのは、リフティング。
庭先で延々とあそんでる。
ーひとりで。
あいつは変だ!
長男が怒って、
ー中学校じゃ、絶対に野球部にしてやる。
・・・野球もある意味個人競技では?
まあ、長男なりの春馬へのやさしさだろう。
「お父さん、僕の靴?」
このころの春馬は、口かずが少ない以外は、長男よりもかわいかった。
俺のことを、親父ともよばす、自分のことも、僕と呼んでいた。
目線はずっと、俺が持っているシューズに、釘付けだった。
俺はタイル張りの屋根のを壊さないように、慎重に歩きながら、春馬の場所までいった。
春馬は屋根先ぎりぎりで、下をみていた。
「とんで、みたいのか?」
俺がきくと驚いたように、妻譲りのすこし茶色がかった瞳が大きくなる。
まったく誰が春馬のことを、無表情だって?
俺は呆れながら、階下の妻をみたが、妻はそれどころじゃないようだ。
ジェスチャーで、俺にはやく春馬をおろせと言ってくる。
俺は無視して、春馬に言った。
「そのままだと、足を怪我するぞ?」
「うん」
「だから、これをつかえ?」
「いいの?」
「けど、芝生の上だけだぞ?あと、雨や風の強い日は、やったらダメだぞ?」
「ありがとう!」
ぱっと顔を輝かせて、春馬は靴を履くと、やわらかな芝生に、あっさりと、とんで着地した。
ー妻の悲鳴を俺は無視して、笑顔の春馬のブイサインをみた。
むかしの平屋の一軒家だ。
屋根の高さは知れていた。
それでも春馬は、裸足だとケガをする可能性があるし、叱られるとわかっていて、けど、ただ、とんでみたかったんだろう。
ー大丈夫だって、わかったうえで。
靴を思いつかなかったのは、家の中で靴をはいてはいけません。
ー妻の教えを守ったから。
室内で、はいていい上履きは、そこが薄いし、外に着地したら、土足になってしまう。
春馬の頭を、混乱させていたんだろう。
俺は、屋根の上から、しゃがんで春馬位の目線になる。
・・・意外と高いな。
よくあいつは、こんなことがたのしいなあ?
その日以来、何年か春馬は、屋根からとんで遊んでいた。
最後にはめんどくさくなって、外から色々な物を利用しながら、屋根までのぼっていたから、隣人からほんとうにサルだと、間違われていたらしい。
そんな遊びも、もうしないだろうな。
あれは、春馬の感覚あそびだ。
きっと、ふわっと空中に浮いた瞬間に、問答無用で落下する。
ー自宅でのフリーホール。
で、絶対にケガをしない方法を探していたんだ。
春馬は、たまににそういう遊びをして、一度でも危険だと判断したら、周りがやっていてもやらない。
ほんとうに、ひとり遊びが好きだった。
ひととおり遊び終わったら、フードをかぶって、扇風機の前でゴロゴロしている。
「・・・あの子は、将来どうなっていくのかしら」
妻が溜息をついて、俺もいまだから言えるが、正直、不安がなかったとはいえない。
中2で、春馬とにたナニカをもつ真央ちゃんが現れて、ほっとした、
すくなくても、春馬のことを理解してくれる仲間がいる。
そして、
「はじめましてお父様」
にっこりと菜の花みたいな春のやさしい、きれいな娘が俺たちにはできた。
・・・真央ちゃんじゃないのか。
と俺でも思ったのは、内緒だ。