第17話 彼女とお風呂と経験値
春馬くんの悲鳴のような声が、一瞬、きこえたものの、それ以後、ぴたりと物音はしなくなった。
相変わらずのファミリー物件は、上下左右に騒がしい。
春馬くんが春頃に、赤ちゃんの夜泣きサイクルを覚えたと、げっそりしていた理由が、やっと、わかった。
入社したての頃だったから、研修がきついことを、そう表現していたのかな、と思っていた。
だって、春馬くんだし。
こんな環境じゃ、確かに、赤ちゃんの夜泣きも、しっかりきこえそうだ。
きっと、春馬くんの前に住んでいた人は、耐え切れずに、ひっこしたんだろうな。
上下左右の喧騒は、静かな春馬くんのお家を挟んでいて、それぞれのお家には、直接とどかない。
そう考えると、なんか部屋まで、春馬くんらしい。
いつでも、やさしく周囲をなごませてくれる彼。
私のオアシスみたいな、春馬くん。
もし彼がいなくなったら、私は他の誰かを探したり、するんだろうか?
春馬くんと違う男の人を、好きになる?
ーなれるのだろうか?
今日のために、少し値のはる入浴剤やブランドのシャンプーリンスに、ボディソープ。
保湿剤も香水も、いろいろと、寮の後輩やスタイリストさんやマネージャーからも、アドバイスをうけた。
みんな、私が未経験だと知ると、驚いていたけど、春馬くんを知っている後輩たちは、納得していたし、マネージャーは、いつも隙だらけの私を守ってくれた。
田舎育ちの小娘なんて、あっと言う間に、餌食になったって、おかしくないし、コロナで打ち上げがなくなって、一番喜んでるのは、私のマネージャーかもしれない。
演技のために、色気をだすために、ただの興味や、経験したい、って理由で、あっさり身体を許す子たちもいれば、お金のためにバイト感覚の子もいる。
もちろん、彼氏一筋な子もいるけど、私のまわりは、みんな二十歳前には、経験していた。
でも急に、コロナの緊急事態宣言がでて、私たちは、どこにも行けなくなって。
春馬くんは、福岡で社会人になった。
学生と社会人は、うまくいかないと、真央が前にもらしていた。
ううん、周りの子たちも、地元にいた彼氏と最初のうちは、遠恋をたのしんでいたけれど、2年は長い。
みんな、別れてしまっていた。
そして、あっさり、いつの間にか、他の誰かと経験していった。
私の肩書も、モデルから、女優へと、いつの間にか、変わっていて、私がもらう役は、少女漫画のヒロインや、ヒロインのライバル役が多かった。
最近の少女漫画は、女の私でさえ「えっ?」ってなるものが、多い。
正直にいって、未経験の私には、ハードルの高いキスや、描写も多かった。
そして、ただ唇をふれあわせるだけ、の経験しかなかった私は、一瞬で、彼らの標的となる。
春馬くんとは、想像すらしたことのない深いキスも、服の上からさりげなく、胸やおしりを触れることも、耳をかまれることにも、なれてしまった。
役にはいってしまえば、カメラがまわってしまえば、私は平気だった。
そうして、私は春馬くんじゃなく、いろいろな人と「経験」をつんでいる。
そして、それを、春馬くんは、観ている。
シャワーで、いつもよりも丁寧に、隅々まで身体をあらって、入浴剤をいれたバスタブにかる。
よくよく考えたら、朝は、まだ東京にいて、いま福岡だ。
思ったよりも、身体はつかれていたらしい。
春馬くんが、幽霊と間違えた(なぜ?)ファミリー向けの給湯システムは、優秀で、一定の温度で湯温を、たもってくれている。
追い炊きもあるのに、使わないなんてもったいないなあ。
ぼんやり湯につかっていると、上下左右の喧騒が、いつのまにか小さくなっていた。
もう夜の9時に、さしかかる時間帯。
小さな子供はふつうに眠し、それよりも大きい子たちも、それぞれ自分の時間を楽しんでいるのだろう。
ふと、あの悲鳴からこっち、春馬くんのリアクションがないことが、気になった。
春馬くんのことだから、なにか、また突拍子のない行動にでていないといいけど。
もしかしたら、車で眠るとか言い張りそう。
それは、こまる。
私は勇気をだして、バスタブをでた。