実力差
僕は深呼吸をして開始の合図を待った。時計の長い針は一二を短い針は二を指した。すると、どこからともなく陽気な音楽が流れ始める。店員さんだろうか、フェアリーティアラ関係の女性がステージに立ち、注意事項やら説明をさっと終わらせる。
司会の女性がステージを出て、マイクで話を進める。番号を呼ぶと野村さんがステージに上がっていった。無名の人物なので黄色い声援などはなかったが、やば~やらかわいい~とか、好印象を観客に抱かせる。
僕のいる場所から野村さんの姿は見えないので様子がとても気になる。
司会者の女性は野村さんの着ている衣装のコンセプトを話し、お客さん達に教え終わると次の番号が呼ばれた。どうやら野村さんの番は終わったようだ。
(野村さんはいったいどんなポージングを取ったのだろうか。見たかったな……)
番号が呼ばれるほど緊張の度合いが上がっていき、手が震えてきた。手をギュッと握ると拳の中から、汗がしたたり落ちる。手汗は他の人がわかりにくいからまだいい。ただ、脇汗も結構深刻だった。
僕は汗っかきだったのかと思うほど体から汗が湧き出てくる。今更、止めようにも止められない。
(白色のシャツでよかった。鼠色とかだったら確実に終わっていた。今度、ファッションショーがあるなら脇用の給水パッドを持ってきた方がいいな。そうしないと、せっかくの服が汗で濡れているなんて悲劇でしかない……)
五番、六番、七番と呼ばれていく。ここまで着たら逆に緊張しなくなり、やってやるぞと言う感情しかなかった。
「では続いて九番の方、よろしくお願いします」
僕は返事をしてしまいそうになったがグッと堪え、音楽の曲調に合わせて歩みを進める。
曲調がエイトビード(四分の四拍)だったので、ステージ中央に少し早めに向かった。目の前には六○人以上の人が集まっており、僕の方に携帯電話を向けている。以前のように頭が真っ白になってポージングが何も出来なくなるわけではなく、しっかりと行えそうだ。
(僕はマネキンだ。服を見せなければならない。そうなると、前側を隠すようなポージングや背中、側面しか見えないようなポージングは駄目だ。必ず守らなければならないのは、僕を見ている人全員に服がカッコよく見えるようにすること)
色々な要素をギュッと集め、僕が取ったポージングは脚を肩幅に開き、左脚に重心を乗せ、緊張感を解く。胸は張った状態で袖なしロングコートの上前身の端を持ち、内側を見せるように少し開け、今から何かを取り出そうとする瞬間で止めた。
視線は観客の方を向き、少し上の方を見る。視点が合わない方がマネキンっぽいと思ったのだ。
シャッター音がパシャパシャと鳴り、連写機能を使っている人もいて今の姿を写真で撮られているのかと思うと、心臓が潰れそうだ。
司会者による服の説明など、耳に入るわけもなく、シャッター音が無くなってきたと同時に音楽と司会者の声が耳に入って来た。
「では、続いて一〇番の方どうぞ、よろしくお願いします」
僕は司会者の声を聴き、気を少し緩める。携帯電話の連写機能を使っていたのは誰なのだろうと思い、視線を会場の方に向けて気づいた。
先ほど着ぐるみを着ていた僕に話かけて来た女の子とお姉さんの二人が僕の方を見て興味津々の瞳をしている。なぜだろう、恥ずかしいはずなのに胸に内から何か熱い感情が芽生えた。長居していられないのでスタスタと歩いて行く。
ステージ裏に到着し、今まで息をしていなかったのかと思うほど過呼吸になって両手を膝に置き、息を整える。
ただ、呼吸をしているだけで全身が震えており、なぜか笑みがこぼれた。
ずっと無心状態で感情を表に出さないよう心掛けていたので、今、頭の中にパッと浮かんだ言葉が『しゃっ! やってやったぞ!』だった。もう、バレーボールの全国大会でサービスエースを取った時と同じくらいに飛び跳ねたい達成感を得ていた。
僕の呼吸は安定し、面を上げると目の前に泣きそうな表情をしている野村さんが立っていた。両手を前に出しハイタッチを求めてくる。
僕は野村さんの小さな手に自分の手を合わせた。まだ、ファッションショーが終わったわけではないので静かにしなければならない。
僕と野村さんは司会者さんの邪魔にならないようステージの出口から、ステージを覗き見ていた。女性は皆、とても綺麗で惚れ惚れする。男性は皆カッコよく、憧れた。
「では、最後に一八番の方どうぞ、よろしくお願いします」
音楽がエイトビートから、フォービート(四分の四拍)になり、遅くなった。そのせいか、とてもゆったりとした空気感になる。ステージの出口から入口が見え、響さんが歩いてきた。
「え……。な、何、あれ……」
響さんは一歩一歩の仕草に無駄が全くない。すでに役に入っているのか指先まで僕の見ていた響さんじゃないみたいだ。
ステージに響さんが現れると会場から黄色い声援が轟く。きゃ~っ! わぁ~! すっご! やばぁ~! と言う、猿の動物園かと思うほどの奇声で耳を塞ぎたくなるほどだ。そんな状況でも響さんの表情は一切変わらず、ステージの中央に着いた瞬間に止まった。
皆、中央に着いてから一呼吸おいてポージングするのに響さんは到着した状況がポージングになっていたのだ。わけがわかんない……。
ポージングは手に嵌めているグローブの端を持ち、ギュッと入れ直しているような仕草だった。外科医がゴム手袋を嵌める仕草に近い。
ベテラン刑事とか、殺し屋とか、バイク乗りとか、響さんの行ったポージングだけで沢山の背景が見える。
だが、今着ている服装は藍色の長いストレッチパンツに白の長袖シャツ、その上から袖なしのパーカーを着ており、どの職業かはわからない。
でも、何かしらの職業を営んでおり、休日に仕事の癖を出してしまったような物語が浮かんできた。あまりにも印象に残るその姿に僕は言葉を失う。自分とはあまりにもかけ離れている実力差に笑いが出てしまうくらいだ。
響さんは牡丹さんと感じる部類が違った。
牡丹さんは自分で商品を魅せている。響さんも魅せている状況は同じだが、彼の服を着ている自分を想像できてしまった。今まで見て来たモデルさん達はカッコいいなとか、可愛いなくらいしか思わなかったのに……。
響さんの姿を見たら、ステージに自分がいるような感覚に陥ったのだ。見かけ、体格、何もかも違う。でも合成写真のように僕が響さんの位置と入れ替えられる。正直怖い……。
響さんはマネキンで服を着させられているだけにも拘わらず、現実感が漂っていた。
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