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熱中症

「あ、戻ってきた。じゃあ、後は……」


 牡丹さんは僕から離れ、大きな声で今後の予定を話していた。九時に開店しているということ、午前一一時にファッションショーが開催されるということの二点を伝え、二匹の鯉と入れ替わる。


 牡丹さんが出ていくと周りの撮り子達は塵尻になった。


「はぁ、はぁ、はぁ……。お待たせしました。着替えるのに手間取ってしまって……」


 野村さんは真っ赤な鯉の着ぐるみを着ていた。脚には白いスパッツを履いており、綺麗な曲線だった。


「じゃあ、ようやく仕事開始ですね。パパ鯉は美人なお姉さんとイチャイチャしてたみたいですけど……、現を抜かさずにしっかりと働いてくださいよ」


「パパ鯉?」


 僕は小さな鯉に変なあだ名をつけられた。


「名前で呼ぶのは知り合いに気づかれそうで怖いので、あだ名の方が良いかと思いまして。黒い鯉はお父さんなのでパパ鯉。赤い鯉はお母さんなのでママ鯉。私は子供の鯉なので子鯉と言うあだ名でどうでしょうか?」


「まぁ、別にいいですけど……。ママ、パパ呼びは子供っぽくないですか?」


「別にいいじゃないですか。あだ名なんですから」


 柚希さんは僕の持っていたプラカードを持って人の方を向く。


「フェアリーティアラ福井駅前店にてゴールデンウィークセール中です! ぜひ足をお運びくださ~い!」


 柚希さんの通る声が駅前に響く。


 野村さんはポケットティッシュの入った紙袋を持ち、手渡しをしていた。まさかのティッシュ配りと並行運転で仕事をする羽目になるとは……。まぁ、ただ立って声を掛けるよりはポケットティッシュを配った方が、効率が上がるか。


 野村さんは僕にも紙袋を手渡してきた。


「パパ鯉も、手伝ってください」


「え、僕、プラカードを持って……」


「大丈夫です、パパ鯉なら出来ます。多分……。根性で乗り切ってください!」


「えぇ……」


 プラカードは結構大きいのに僕はポケットティッシュ配りまでやらされる羽目になった。初めはてこずっていたが、途中からはすんなり渡せるようになった。ただ、背の高い鯉からポケットティッシュを貰おうとする人はおらず、可愛い声を出す小さな鯉とたたずまいで美人とわかる赤い鯉からしかポケットティッシュを貰っていく人はいなかった。


(背が高いだけで威圧感があるのか、僕はティッシュ配りが向いていないみたいだ)


 九時三〇分ごろから始めたアルバイトは暑さと気力の戦いだった。


 着ぐるみの中がとにかく暑い。風通しがないので、蒸し蒸ししていて自分の汗でふやけてしまいそうだ。


 僕と野村さんは日々走っているため体力には自信があった。ただ、柚希さんだけ足下がふらついており、倒れそうだった。僕はすぐさま駆けつけて声を掛ける。


「子鯉さん。大丈夫ですか?」


「ちょ、ちょっとダメかもしれません……」


「わかりました。ママ鯉さん。僕と子鯉さんはいったん履けます。僕はすぐに戻って来るので、その間、この場をお願いします」


「わかりました。万が一、子鯉さんが気を失った時は救急車を迷わず呼んでくださいね」


「了解です」


 僕は柚希さんをお姫様抱っこしながら有料駐車場のある方向へと走る。柚希さんには意識があったので、まだ重度ではないと思うが、なるべく早く対処しなければ……。


 今は五月だが、駅前が日向だったのに加え、着ぐるみの状態だ。熱中症になるのは必然なので、もう少し時間が経ったら休憩を取ろうと話していたところだったのだが、少し遅かったようだ。


 そもそも、高校生に危険な仕事をさせるなよ。まぁ、柚希さんが経験者だったらしいから、任せられてたんだろうけど、上からのプレッシャーとストレスで疲れてしまったんだな。もっと早く気づいてあげればよかった。


「柚希さん、大丈夫ですか?」


「は、はい……、大丈夫……です。少し立ち眩みがしただけなので……、少し休めばもとに戻ると思います……」


 柚希さんは弱弱しい声を出していた。僕の腕に抱えられている鯉はあまりにも軽く、衰弱している。彼女の体は本当に子供の用で心配になる重さだった。


 牡丹さんの車に戻ってくると柚希さんの持っているスマートキーに反応して鍵が開いた。


 僕は柚希さんを着ぐるみから出そうと思い、背中のファスナーを開ける。


「ひ、疋田君……」


「今、着ぐるみから出しますから安静にしていてください」


「そ、その……」


 僕は柚希さんの話しを聞きながら着ぐるみのファスナーを持ち、開けた。すると、すごい熱気と柚希さんの匂いが車に充満する。汗のにおいなのか、僕の頭がくらくらした……。


 天然のサウナかと思うほど着ぐるみの中は暑く、柚希さんを早く出さなければ、危険だと判断して細い腕を掴む。僕の大きな手で柚希さんの腕を掴むと細すぎて親指と人差し指が容易に付いてしまった。さすがに細すぎると思いながらも、着ぐるみから引き出す。


「私……、内着しか着けてなくて……。多分、透けちゃってる……と思いますから、見ないでもらえると……助かるんですけど……」


(ゆ、柚希さん、もう少し早く言ってほしかった……。い、いや、ギリギリ見てない。白い内着に二カ所だけモモ色の色素があったなんて見ていない。胸の無い柚希さんはすごく可愛い男の子だと思えば何とかなるのでは……、いや、においがすでに女の子で無理だ)


 僕は胸の部分を見ないように注意しながら柚希さんを介抱する。とりあえず僕も着ぐるみを脱ぎたい。さすがに、この格好で美少女に何かしていたら犯罪者だ。


「柚希さん、辛いと思いますけど、僕の背中のファスナーを開けられますか?」


「ん……、かがんで……ください」


 僕は柚希さんに背中を見せてかがむ。数秒後にファスナーが開けられ、着ぐるみから抜け出せた。


「はぁ、はぁ、はぁ……」


 僕は自分の上着を車から取り、柚希さんの胸を隠す。彼女の頬は熱り切り、汗が滲み出てテカテカに光っていた。呼吸するたびに柔らかそうなピンク色の唇が動く。不純だが、滅茶苦茶厭らしい……。小学生みたいな見た目なのに……、こんなのはおかしい。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。


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