誓い
さぁ、話をしよう。
獣人とナナシは村の集会所にいた。
過去のことを
現在のことを
そして、未来の話をするために――――
「さて、どこから話したもんか。」
テムズはあの日の話の続きをする。
「話せる範囲でいいよ。」
「そうはいかねぇんだ。お前には本当に悪いことをしたな。」
謝罪を受けることなんて何もない。
何もなかった。
自分は知らぬところで守られていたのだから。
王都に行く。
それがどれだけ危険なことかわかっていなかった。
自分だけではない、獣人と行動を共にする以上人間の町に出ることには危険が付きまとう。
少し考えればわかったはずなのにな。
「いいんだ。自分は――――」
「何もいいわけねぇだろ!」
ラントは叫んでナナシの言葉を遮る。
「てめぇはどうして勝手に人間の町に行った!」
「おい、ラントぉ。それは話がついたはずだろよぉ。」
「あんな説明で納得できるかよ。テムズ、てめぇもそうだ。どうしてこいつを王都に行かせた!」
テムズが王都に行かせたと語るラントの言葉を疑問に思う。
ノルと王都に行ったのはナナシ自身の意志だ。
「ノルが王都に行くときは一人で行かせるって言ってただろ!てめぇはナナシを王都に行かせないと言ってたよな!?」
「ああ、そうだな。それを言われちまうと耳が痛ぇぜ。」
王都に出向いたのはナナシの意志、それに違いはない。
でも、考えるとおかしなことがある。
ノルが獣人の隠し事について何も知らなくても、ナナシとは王都に行かないようにさせることができたはずだ。
それをテムズはノルには伝えなかった。
代わりに伝えたことと言えば王都に出向くときにはナナシに変装をさせること。
どう考えてもそこに王都に行かせないようにするという意思は感じられない。
「後ろめたくでもなったかよ!てめぇはその男に何を期待してやがる!」
「……はぁ。その日が来た。ナナシを見てそう思った…ただそれだけだ。」
獣人の間に緊張が走る。
ナナシは星の王ではない。
それでも獣人にとっては自分たちに友好的な人間で、
そして人間の国にとどまってでも待ち望んだ可能性だった。
「なにを……。っ!あいつにさえ無理だったんだぞ!それをっ!今更人間一人に何ができる!!!」
「お前はナナシのこととなると否定的になるなぁ。…ラント、お前は言っていたな。どうしてナナシを村に入れるのかってよぉ。お前、どうしてあの時ナナシが星の王じゃねぇって言わなかった?どうして今日になって言う気になった?」
「それは……。」
「本心を言わねぇ、お前の悪い癖だ。お前が言わねぇお前の本心、言い当ててやろうかぁ、ラント?」
今にもテムズにとびかかりそうな勢いのラントは毛を逆立たせ喉を鳴らす。
「この村に関わるってことは獣人のいざこざに巻き込まれるってことだ。そういやナナシを王都に行かせねぇように言ったのもお前だったな。誰よりも仲間思いのお前のことだ、気持ちはわかるぜ。ナナシが王都に行くのは危険だからな。」
「そうだ!こいつが人間の町に行ったら俺たちがあぶねぇ!俺は今度こそ――――」
「今度こそなんだ?獣人を守るか?どうしてお前がそう背負い込む?」
「そんなこと当然だろ!俺たちがどうしてここにいるのかっ!忘れ……。」
「そうだな、当然のことだ。星の王の願いを守ることは俺たちにとって当然のことだ。お前がそう背負い込もうとするのもわかってるつもりだぜ?なんせお前は誰よりも星の王に懐いていたからな。そんなお前が、あいつとの約束を守ろうとするのは当然のことだよなぁ。」
ラントは拳を握り手を震わせる。
力なく小刻みに腕を震わせテムズから少しずつ後ずさる。
ラントの姿は今までの様子からは想像できないほど弱弱しくなっていた。
時々何かを言おうと顔を上げるが言葉が発せられることはなかった。
「お前自分で矛盾したこと言ってると気づかねぇか?星の王との約束を守ろうとしている、だけどその日が来るのを恐れている。ナナシは村には入れねぇ、それでも人間の町に行くな。星の王は俺らに関わったから死んだ、だからきっとナナシもそうなると無意識に考えちまっている。」
「――――っ!違う、違うよ……俺は!」
「誰よりもナナシを星の王と重ねて見ちまっているのはお前だ、ラント。」
ラントはテムズの言葉を否定することはなかった。
ラントも内心のどこかでは自覚していたのだろう。
ラントはナナシが村に来てからその名を呼んでいない。
仲間だと思っていなかったからかもしれない。
それでもナナシの名前を呼ばなかったのではなく呼べなかった。
どうしてもナナシを星の王と重ねて見てしまっていた。
「お前たちももういいな?」
テムズは集まった獣人の顔を見渡し、決意を問う。
声を上げる獣人はもういない。
ただ誰もがテムズの顔を見て静かにうなずいた。
「ナナシ、俺は獣人がこの国にとどまる理由をなんて言った?」
「贖罪のため、そう聞いた。」
「ああ、そうだ間違っちゃいねぇ。でもそれだけじゃねぇ、俺たちはあいつとある約束をした。」
「約束?さっき言っていたその日とかいう奴か?」
「ああ、そうだ。俺たちは星の王が最後に残した約束の日をこの国で待ち続けている。それがいつかはわからねぇ。でもあいつは命を懸けてそれを伝えるために俺たちの前に立ちはだかって、そして……俺たちの前から光の粒になって消えちまった。」
「消えた?星の王は死んだのではなかったのか?」
「わからねぇんだ。でも……いや、間違いなく星の王は死んでいる。」
テムズは矛盾したことを話している。
それでもその口調からは確信めいた思いを感じ取れた。
「王都に行ったのならもう知ってるよなぁ。俺たちの村を囲んでいる結界のことを。」
「……ああ。さっきテルに聞いた。」
「だったら話は早ぇ。あれがいつから、どんな理由であそこにあるかはわからねぇ。でもわかることはある。それは真実を人間には見えず、俺たちには感じ取れるようにできてある。それがなんであるか、心当たりなんか一つしかねぇ。」
テルは結界を魔法の可能性があると言った。
「あれは魔法、あるいはそれに近しい何かだ。その気配を獣人は感じ取ることができる。……星の王が消えるその時も、俺たちは同じような感覚を感じ取った。」
それは星の王が魔法を使ったことを意味した。
星の王が迷い人かもしれないということか?
いいや、違う。
テルは星の王が人間だと言い切った。
人間は迷い人のように魔法を使うことができないはずだ。
それなら星の王はどうして魔法を使えたのだろう?
「ラントが…いや、だけじゃぁねぇな。俺たちがお前さんに人間の町に行ってほしくなかったには保身のためなんかじゃねぇ。お前さんの身の危険を案じてだ。」
「もしかして自分が迷い人かもしれないからか?」
「いいや、そうじゃねぇ。たとえお前さんが迷い人だとしても、俺たちがわからねぇのに、人間にはそれがわかるとは思えねぇからな。」
確かにそうだ。
人間は何百年という月日を要して迷い人をこの世界から追いやった。
もしもその存在を感知できる人間がいるというなら、それほどの時間を必要とすることはなかったはずだ。
「理由は、まぁお前さんの容姿が星の王と似ているからだ。星の王はこの国の人間の一部に恨まれているからな。」
「恨まれている?それは…獣人を助けたから。」
「いいや、それも違う。お前さんには想像はつかねぇかもしれねぇが、この国の人間と獣人はまぁそれなりにいい関係を築いていた。星の王も俺たちのような異物を取り込んだり、めちゃくちゃなことをする割には民にも慕われていた。若王だったが人を引き付ける魅力があった。」
だがそれは反転した。
獣人は人間を見限り戦争を起こした。
民は星の王を恨んでいる。
その時の星の王の心境は測れたものではない。
それでも王は獣人の前に立った。
地位も名声も尊厳も、そして命を投げ捨てて獣人を救って、約束を残して死んだ。
「星の王は言った。いつか必ず獣人と人間が笑いあえる日が来るとあいつは言って死んだ。あの時は叶わなかった俺たちの願い。星の国を取り戻して、星の王の汚名を晴らす、その日を迎えるまで何があっても俺たちはこの国を離れることはしねぇ。それが俺たちがあいつと交わした約束だ。」
テムズが語った贖罪という言葉の本当の意味を知れたような気がした。
ナナシを見て獣人は泣いていた。
ナナシを迷い人だと思ったからではなく、救世主だと思ったのでもなく
星の王が目の前に現れたと、そう思ったから。
ずっと――星の王に救われてからずっと罪悪感を抱えて生きてきたのだろう。
それはナナシが星の王ではないとわかってもなお消えることはなかった。
だからこんなにもナナシが村に帰ってきたことを喜んでいる。
星の王は獣人にそう思われるだけの何かを残していったのだろう。
――それを、嫉妬してしまうほど羨ましいと思うのだ。
……獣人を助けたいと思った。
嘘、偽りのないその感情はどこからくるものなのか掴めずにいた。
だから記憶を早く取り戻したいのだと思っていた。
でも、今は違う。
迷い人だからと期待されているからではなく、星の王都容姿が似てるとかでもなく
ただ憧れただけだった。
テルに拾われて、助けられてその姿を美しいと思った。
星の王の最後を聞いてどうしようもなく嫉妬する。
星の王と容姿が似ていることを、今は偶然だと思いたくはなかった。
抱いた憧れも、胸の張り裂けるような嫉妬も、全部自分のものだ。
こんなにも強く思うのだから。
間違いようもなく、これはナナシの本心だ。
この先、どんな真実があろうと――自分は獣人の力になろう
それがきっと――今、自分がここにいる理由なのだから。
もう――迷わない。
「星の王は、国の民に恨まれるほどのことを…この国の王はいったい何をした?」
「ああ、そうだよな。お前さんは知っていなくちゃならねぇよな。……星の王は国の民と共に俺たちの前に立った。何者かの指示で動かされていた兵士を止めるために、俺たちともう一度話をすると言ってあいつは俺たちの前に立った。
国民はあいつについてきた、星の王がそうするように、俺たちとの対話をしに。そういう人間だ、この国の人間は…それに気づくには少し遅かったがな。
早馬できたあいつは俺たちを説得した。聞き入れるやつらは誰もいなかったがそれでもあいつは俺たちに語り掛けた。殴られ、罵声を浴び、それでもあいつは引かなかった。
やがてこの国の兵士が追い付いて、戦闘が始まるって時にあいつは――――」
覆うまいと顔の近くで手を震わせる獣人達。
涙を流し、己を罰するかのように唇を噛む。
それでも悲痛の叫びをあげる者はいない。
今にも嘆きたい気持ちを必死に抑え堪える。
獣人は自分たちが犯した罪から目をそらさずに受け止めていた。
「星の王は獣人と星の国の兵士がぶつかる前に、魔法を使って兵士たちを消しちまっている。それも国民が見てる前でだ。」
国民の前であえて星の王は魔法を放った。
敵となった獣人にではなく、自国の兵士に。
その光景を目にした民の気持ちは想像もつかない。
それでも信じていた王が犯した蛮行に何を思ったか。
信じようとしていた獣人が彼らの目にどう映ったかは想像がつく。
この国の人間が星の王を恨むのは仕方がないことのように思う。
「……兵士は、死んでしまったのか?」
「いや、おそらく死んではない。少なくともすべては死んでいない。」
「それはどういう――?」
「帰ってきたやつがいるんだよ。そいつは星の王が魔法を放って、気づいた時には隣の機械の国にいたそうだ。ほかにもいくらか帰ってきたやつがいる、だから少なくとも全員が死んでいるということはない。」
「それでは…死んでいないのなら星の王が今も恨まれるなんてことにはならないのではないか?」
「そう簡単にはいかねぇんだよ。そいつらはもう聖教徒の中に取り込まれちまって、この国の乗っ取りに利用されている。」
聖教徒、昼に見た白装束の……
「確かお前さん、ジルには会ったんだよな?」
「ああ。」
「あいつは未だに俺たちに協力してくれている数少ねぇ人間の一人だ。そういう人間がどういう奴か。」
「……この国の兵士。それも星の王に近しい。」
「ああ、そうだぜ。ジルはもともと傭兵だったがあるきっかけでこの国の騎士になった。その時から星の王とはそれなりの仲だった。他にも騎士団長にテルのギルドの長に俺やテルのような例外、それが獣人に手を貸してやれる奴らだ。」
「テルもテムズも……獣人ではなかったんだな。」
「黙ってて悪かったな。俺も真っ当な人間とは言えねぇが、少しばかり先祖が人間様に喧嘩を売っちまってな。立場的には獣人とかわりゃしねぇよ。……まぁ、それで俺らは戦争を起こしたわけだ。真実を知って、戦力を整え、実質裏から国を支配していた聖教徒に戦争を吹っ掛けた。
――――そして俺たちは負けた。
星の国の人間の憎悪に満ちた目を見てひるんじまった。何もかも遅かったのさ。そんな中であの王様が一人で戦っていたことを知った。負けて、逃げて、隠れるようにひっそり暮らして、ずっと待っていた。あいつが最後に言ったその日を待ち続けた。」
そんな時――だったのだろう。
獣人たちの前に記憶のない男が現れた。
その男は星の王都容姿を同じくし、獣人の手を貸すようなお人好しで――
そんな男が獣人の目にどのように映ったかは、もうわかる。
すべてを隠して、巻き込みたくなくて――――
それでも――――――
「すまねぇ、俺たちにはもうなにもねぇ。自分を守る術も、星の王との約束を守る知恵も、俺たちにはもう、希望に頼るしかできねぇ!――――手を貸してくれ、ナナシ!」
テムズは頭を地につけ願う。
周りの獣人も同じように頭を下げる。
ずっと、ずっと――気の遠くなる時間を待ち続けた。
交わした約束を、残された奇跡を、来るかもわからないその日を信じて待ち続けたのだろう。
現れた希望に縋らなければならないほどに追い詰められて、それが申し訳なくて――――
獣人はあの日、堪えてきた涙を流した。
きっと自覚も、覚悟も自分には足りていない。
獣人の力になりたい……。
馬鹿を言え、自分に何ができる。
すぐ不安になって、疑心に苛まれ、頼られたから大丈夫などと都合がいいにもほどがある。
獣人のことを何も知らなくて、救いたいなどとよくも思ったものだ。
――――それでも。
頭ではどう考えようと、どれだけ自分を貶めようと。
心は彼らの力になりたいと、叫んでいる。
自分ではない何かが、そうあれと語り掛ける。
――――ああ、ナナシ。お前はそういう奴なんだな。
『――――よかった。』
テムズの方に手を添えた。
「もとよりそのつもりだ。言っただろ?自分は獣人に救われている、と。……恩を返す時が来た、ただそれだけの話だろ?」
この選択が正しいかは答えが出ない。
でも、間違いではないことは確かだ。
心に従うのは、生ける者の本能だと思うから。
「――――すまねぇ。」
「でも、こっからどうするかだよなぁ。」
雰囲気お構いなしにテルは場の空気をぶち壊す。
「いっそのことお前をこの国の王様にでもしちまうか?」
「いやっ!?自分に王様なんて大役務まるわけが――――」
「冗談だよ。何本気にしてんだ。」
テルは馬鹿にしたような顔をして鼻で笑った。
いつの間にか場は和んでいた。
これでいいのかもしれない。
自分たちは人間と獣人の融和、つまりは平和な世界を求めて戦うのだ。
笑いながら、明日の予定でも話すかのように話は進んだ。
「まぁ王様になるべき…いや、ならなきゃならなかった奴なら他にいるしよ。」
「なるべき?…ああ、さっき言っていた会ってほしい人間ってもしかして……」
「ああ、そいつのことだ。聖教徒に国を支配されてから、行くとこもなくて今も引き籠ってやがる。」
国を支配されていくところがない?
それにならなくてはならなかったって……。
「……まさか。」
「ああ、そうだぜ。星の国第二王子、先王アルトルの、――弟だ。」