殻の星
迷宮区の中を歩く。
右に左に同じような道が続き、道中にはよく扉が見られる。
しばらく歩くと前に進んでいるのか、後ろに戻っているのかもわからなくなった。
扉を開き建物の中に入る。
いいや、ここはまだ外だ。
天井が吹き抜けていて青空が見える。
次第に平衡感覚も狂ってくる。
いつの間にか地下に来たのか通路には天井がある。
いいや、もしかすると建物の中なのかもしれない。
ここまで来るのにいくつか扉をくぐったはずだ。
もはや入り口も、そして出口がどこにあるのかもわからない。
――――なるほど、迷宮区とはよく言ったものだ。
ノルの後ろに引っ付くようにして歩く。
こんな場所でノルを見失っては帰ることはできないだろう。
一度迷えば出られなくなる、というノルの言葉は嘘ではなかったと実感する。
時折誰かから見らているような感覚を覚える。
気のせいだと思いたいが何度も続くとさすがに気味が悪い。
ともあれ人がいるというのもどうやら本当らしい。
道を歩いているとどこからか笑い声なども響いてくる。
反響して不気味に聞こえるが今回に限りそれも安心に変わる。
「もうすぐ着くぜ、ナナシ兄。」
「そうか。でも、ノルは凄いな。よくこんな複雑な道を覚えられるものだ。もしかして迷宮区の道すべて覚えているのか?」
「全然だぜ。俺が知ってるのはジルの店への行き方だけだ。ここに住んでる奴らだって全部は覚えてねぇだろうな。」
ここに住んでる人間は出口さえ分かればいいという感覚なのかもしれない。
それにしても現地の人間がすべて把握しきれないとは驚きだ。
それだけ迷宮区が複雑かつ広大だということだろう。
「ここで自由に動き回れるのは俺の知る限りじゃ……テル姉とラント兄、あとはこの国の王族くれぇかな。」
「…王族、か。」
「ここはもともと王様たちが国から出るために作られた道だからな。それを星の王がただの道じゃもったいないって住む場所のないやつらに貸し与えたらしい。でもどこかの道が王城まで続いてるって噂だぜ?」
「それを知っているテル達はなんなのだ……。」
「テル姉もラント兄も鼻がすげぇいいからな。臭いで行き先がわかるらしい。」
「テルもなのか?」
ラントの方はなんとなく理解ができる。
彼は風貌が狼のように見えた。
鼻がいいと言われれば納得はいく。
それでもテルは見たところは人間だ。
だからつい驚きを隠せずにノルに聞き返してしまった。
「テル姉はすげぇんだぜ!足も速ぇし目もすっげぇいい!力も親父に負けねぇくれぇ強いんだ!」
目を輝かせながら話すノルの目を見てそれが事実だと確信する。
盗賊が簡単には襲ってこないと言ったノルの言葉の意味が今になって理解できた。
そんな人間離れした人間を襲う者はきっといない。
「……今度からテルを怒らせないようにしなくてはな。」
「だぜ!昔ラント兄がテル姉を怒らせて殴られたとき何日か寝込んだからな!」
あの屈強そうなラントがそうなってしまうのなら、きっと自分がテルに殴られてしまえば生きてはいないだろうな。
背筋に冷たい何かが走りすぎる。
「おっ!着いたぜナナシ兄!」
ノルが指さした先には扉があった。
迷宮区にある扉はどれも似たような形なので違いが判らない。
でもこの場所が何でも屋なのは理解する。
物が多すぎていて外にまで溢れている。
「こんな管理方法で盗まれたりしないのか。」
「ジルはそんな細かいこと気にするやつじゃねぞ?それにここにあるもんは盗品ばっかだし。」
「へぇ、そうだったの……え、今なんて?」
ノルは制止するナナシの言葉を聞かずに扉を開く。
中から光があふれ目がくらむ。
「ああ、客か?……って、なんだノルか。」
「なんだってなんだよ、久しぶりに来たのに酷くねぇか?」
「すまねぇな、お前が来るのは知ってたからな。」
「なんだよそれ。あ、でも今日は連れがいるんだぜ!」
「そうらしいな。」
「それも知ってるのかよ、驚かせがいがねぇなぁ。まぁいいや!ナナシ兄も入って来いよ!」
手招きするノルに従い店の中に入る。
外から見た通りここは何でも屋と呼ばれるに相応しい。
ノルが言っていた通り食べ物に変わった杖、服や剣なんてものも置いてある。
それらに囲まれるようにして座る片足の男。
おそらくこれが店主だろう。
「……あんたは。いや、冗談だろ。」
ナナシの姿を見て頭をかく。
困ったような顔をする店主の姿はどこかテムズと重なった。
「どうしたんだ?ナナシ兄の顔に何かついてるか?」
「あー、そうかい。ナナシね。それがあんたの名前か。」
「そういうことになっている。実は記憶がなくてな。」
「それで名無しか。あいつが考えそうな名前だな。」
「あいつ?」
「テルだよ。あいつに拾われたんだろ?」
確信したように話す店主。
何でも屋に情報が集まるというのも本当らしい。
「だったら話が速い。今日は自分のことを知らないか尋ねるためにここに来させてもらった。」
「なるほどね、記憶探しか。王都では何も情報は得られなかったのか?」
「――――?そうだがどうしてそんなことを聞く?」
「……まぁな。この国でここまで来るのは訳ありの人間ばかりだ。」
「自分は訳ありというわけではないのだが……。」
「いいや、あんたは十分にそう言われる条件を満たしてるぜ。」
何かを知っている。
それが何かはわからないが店主は続けて語る。
「あんた今、獣人のやつらと一緒にいるんだろ?」
一瞬言葉に詰まる。
いや、何も驚く必要はないのかもしれない。
ノルはこの店によく来ているようだし、テルのことも知っている。
獣人のことを知っていてもおかしくはない。
「隠す必要はねぇぞ。俺はあいつらの協力者だ。今のあんたと同じようにな。」
「そう、だったのか。」
「いや、すまねぇ。少し違うな、俺はこの国の人間だ。流れでこの国に行きついいたが訳あってこの国の人間の兵士になった。」
「それがどう違うというのだ?」
「……悪いな、俺はあんたのことを知らねぇ。でもあんたのことについては語れるぜ。」
「……ジル?」
「お前にこんなこと言っても仕方ねぇのはわかってる。でもそれでも言わせてもらうぜノル。今回の獣人の手は卑怯だ。何も知らねぇ奴を利用するなんて。王都に来たのもどうせたまたまなんだろ。」
確かに今日はノルの付き添いだ。
王都に行くことも今日決まったことで、テムズに許可は…とっていない。
「来させるわけがない。あいつらが許可するはずがねぇ。それとも後ろめたくなったか?黙っている事実に。」
「隠している?何のことだ?」
「ノル、お前は外に出てろ。」
「なんでだよ!俺は――――。」
「いいから出てろって。メメ!ミミ!ノルと外で遊んどけ。」
「了解、チチ様。」
「了承、トト様。」
店の奥から双子の子供が姿を見せる。
嫌がるノルの腕を掴むと扉をけり開けて外に消えた。
「今のは……。」
「俺の娘だ、まぁ拾い子だが。あんたらが今日ここに来るのもあいつらが教えてくれた。」
来る途中に感じた視線はあの双子のものだったようだ。
でもどうしてそんなことを?
店主がわざわざノルを外に出した理由もわからない。
獣人のことについての話にノルが邪魔になるのか?
隠されている話があるなんて思いたくないが……。
「あんたさ、この国に今は王様がいないってことは聞いてるのか?」
「それは…ああ、知っている。」
「へぇ、そりゃ意外だ。誰が話した?」
「いや……ノルから聞いた。今日の朝。」
店主は淡々とした口調でナナシに問いかける。
その問いにナナシは戸惑いながらも答えた。
「ノルから、ねぇ。あんた、今の自分が置かれてる状況ってやつを理解しているか?」
獣人の味方をする。
それはすなわち人間を、少なくともこの国の人間を敵に回す行為だ。
店主は獣人が卑怯だと言った。
もし、獣人が何かを黙っていて、それが獣人が同情を促してナナシに協力を仰ったことだというのならそれは勘違いだ。
「自分は人間だ。獣人の味方をすることが何を意味するかも理解しているつもりだ。」
「理解している、か。獣人から奴らの先祖の話でも聞かされたか?」
「ああ、そうだが……。」
「一つ答えてくれや。あんたはどうして獣人にそう入れ込む?」
「助けられたからだ。目が覚めて、何もわからず一人でいた自分を人間だからと差別せずに獣人は受け入れてくれた。」
そうだ。
助けられたから、自分は獣人を助けたい。
その思いは獣人の現状を知ってより強くなった。
たとえ獣人が戦争を起こしたのだとしても。
たとえ獣人がこの国の人間であったとしても。
助けられた、その事実が消えることはない。
「なるほどな、やつらの歴史を聞いてあんたはそう思ったのか。人間との融和、それがあいつらの目的だからそう考えるのも仕方がないか。でも、こうは思わないか?あんたが助けられたのには理由があるから、逆に助けているのはあんた自身だ――とな。」
「それは……。」
店主の言葉に体が反応する。
心の中の秘め事を暴かれた気がした。
――――獣人の昔話を聞いてから考えないようにしていたことが一つある。
「そう、なのかもしれない。自分は迷い人という存在かもしれないらしいからな。」
「迷い人?……ああ、御伽噺の魔法使いか。……はっ、見当違いもいいところじゃないか。あんたがあの伝説の魔法使いだって?ああ、そうかもなぁ…そうかもしれない。でも、あんた…それを自覚できているのか?そんなわけがねぇよな?だったら、自分探しなんて面倒なことをする必要なんてない。」
店主は笑ってそう言い放つ。
その通りだった。
ナナシは迷い人かもしれないから獣人の村にいることができている。
特異な存在で、それは獣人にとって特別な存在だ。
でも――もし自分が迷い人などではなかったら?
自分はあの村にいることはできない。
いてはならない存在なのではないか?
その可能性は十分にある。
そのはずなのに獣人はナナシを村にいさせている。
まるで迷い人だと確信を得ているように。
「局所的な情報しか与えられてねぇんだ、そう考えちまうのも無理はない。それともあんた自身がそう考えたいのか?何も教えてもらえず断片的な情報であんたは自分に都合のいいように言い聞かせている。自分は記憶がないのだから仕方がない――と。」
店主は同情しながらナナシの胸中を推測する。
感情を逆なでし、ナナシの本心を本心を引き出そうとしている。
問い詰められている自覚はある。
それでも挑発とも取れるような言葉にナナシは不快な感情をあらわにする。
目覚めてからはじめて覚える感情の制御ができず、言葉に怒りがにじみ出た。
「……たしかに自分は何も知らない。だから獣人を助けたい理由も大したものではないかもしれない。それでも、それでも助けられたから今度は自分がっ!彼らを思うのは間違いではないはずだ!」
「ああ、悪いな。あんたの思いを否定してるわけじゃない。俺もやつらに協力してる一人だ、気持ちはわかる。俺は善人とはいかないがあんたはどうやら違うらしい。あんたは善人で、それでいてお人よしってやつだ。だから、だろう…いや、だからこそだ。」
「……何が言いたい?」
「獣人はあんたが敵になるわけがないと確信している。なんたってあんたが、あんたという存在そのものがやつらにとっての救いになっているからな。」
店主は笑うのを止めナナシの目を真っすぐと見つめた。
空気が張り詰める。
場の雰囲気が変わった。
背筋をなぞる汗が冷たさを伝え、緊張を増幅する。
小刻みに震える手を紛らわすように力を籠める。
「もう一度言おう。俺とあんたじゃ立ち場が違う。俺はこの国の元兵士であんたは違う。俺はこの国の人間にとっちゃどうでもいい人間で――――あんたは違う。」
店主が言っていることが理解できない。
それでも背筋が凍るような嫌な感覚がする。
ずっと自分が何かを勘違いしていたような。
「あんたさ、似てるんだよ。本人だと言われれば信じちまうほどに。」
鼓動が早まり息がしづらい。
獣人は嘘をついていない。
でも、今まで真実も語られていなかった。
「あんた――――星の王本人なんてことはねぇよな?」
店主の言葉に嘘はなかった。
出会った時からずっと嫌味も好意もすべてを隠さずに語っている。
だからこそ思うのだ。
嘘であってほしい、と。
店主は元はこの国の兵士、国を守り王を守る立場の人間だ。
星の王の顔を知っているのは当然だ。
王都にいた国民とは違い一目見た時から感を働かせていたのだろう。
記憶のない自分と当時を知る店主。
どちらの意見が本物なのかなど聞くべくもなく明らかだ。
ナナシは記憶をなくした星の国の王かもしれない。
それだけが偽りのない可能性だ。
――――ああ、そうなのか。
頭の中で点と点が繋がったような気がした。
ずっと頭の端で気がかりだったことが理解できた。
腑に落ちたというのに何も気が晴れた気がしない。
テムズたちはナナシのことを迷い人だと言った。
きっと都合がよかったのだろう。
星の王も迷い人も獣人を救う存在だ。
だから獣人は記憶のないナナシに迷い人という隠れ蓑を与えた。
真実を隠して獣人の史実だけをナナシに伝えた。
それを店主は卑怯だと言ったのだろう。
ノルを連れ出したのは店主の優しさだった。
ノルは獣人の村の一員ではあるが獣人の起こした戦争のことよく知らない。
同じく星の王のこともよく知らないのだろう。
獣人の中で星の王の死は秘密にすべきことだった。
それをノルはナナシに話してしまった。
星の王と容姿を同じくするナナシに……。
それが不用意からのことだったかはわからない。
いや、きっとノルは何も伝えられていない。
ノルが知っていたら今日ノルと共に王都に来ることなんてできなかったはずだ。
――でも、それはやはりおかしいのだ。
「あなたも言っていたよな。星の王はいないって、星の王は死んでいるのだろ?」
「それも実際のとこどうかはわからねぇ。星の王の最後を見たのは獣人だけだ。でも生きてることにもしておけねぇ。この国の人間の多くはあの王様恨んでいる。」
「……それは、獣人を助けたからか?」
「まぁ、それが理由だわな。」
店主はナナシの目を見つめた。
動揺し星の王そのひとかもしれないという真実を耳にして、自らの存在に揺らぐナナシにあることを伝えてもいいものかと考える。
星の王に尽くす義理がある。
盗賊であった身を、奪うだけだった人生を人間にしてもらった恩がある。
星の王の身に最後何があったかはわからない。
もしも目の前にいる男が本当に星の王だというのなら、記憶をなくしてもこの国に戻ってきた。
それが偶然だったとしても、これはきっと意味のあることだ。
違ったとしても、偶然だとしても、これは奇跡で、この人間の責務だ。
無関係でいられるはずがなかった。
【ああ、本当に――――難儀な男だ。】
目の前の動揺する男に真実を告げることに決める。
答えは初めから無いに等しかった。
「あの王様は――――。」
店主が口を開いたその時だった。
「そこまでだ。」
扉が開き覚えのある声を聞く。
「やっぱりここにいたのかよ。獣人のやつらがお前がいないって大騒ぎだぜ。」
後ろに振り向きその声の主の姿を見る。
「あーあ、ひでぇ顔だな。」
「テ…ル。どうして?」
「お前を探しに来た……つもりだったが、遅かったみてぇだな。」
仕方ない、そんなことを言いたげに笑うテルに何を言えばいいかわからない。
どうして黙っていた。
自分はお前たちにとって何なのか。
言いたいことはたくさんあるのに何も言葉にできない。
喉が熱くなり口から鉄の塊を出しているようだった。
「やってくれたな、ジル。」
「来るだろう、とは思ってたがな。お前らにそんなこと言われる筋合いはねぇよ。俺はこの国の人間として、やるべきことをやっただけだ。」
「よく言うぜ。そんなことちっとも思ってねぇくせに。」
「で、実際のとこどうなのよ?もうわかってんだろ、この兄さんが何者かって。」
「そうだな。」
「っな!?」
「悪いなナナシ、今まで黙ってて。もう、獣人のもとに戻りたくねぇと思ってるかもしれねぇ。でも、今日は帰ってこい。信じられねぇかもしれねぇけど、全部話すから、だから…帰ろうぜ。」
差し伸べられたテルの手を握った。
どうしてその手を握ったかはわからない。
何もわからなくて、もうどうしようもなくなって。
それでもただ、獣人と話をしなければならないと思った。
「帰るのか?」
店主はナナシに問う。
「あんたが何者かは俺には本当のところはわからねぇ。でも、何か困ったことがあったらここに来い。なんたって俺は何でも屋だからな、助けてやるよ。」
テルに手を引かれ虚ろな顔で村への帰途につく。
自分の帰るべき場所はどこなのかわからず、何が正しいのかもわからない。
自分が前を向いて歩けているのかもわからなくなった。
空に輝く星は無慈悲に目の前の道を照らす。
それでも前に進めと言われているように。
自分にはその輝きが眩しすぎて目をつむった。
繋がれた手に力を籠め、ただ縋るように歩いていた。