運に勝る感はない
アステラと出会ってどれくらいの時間が流れたか。
ようやく扉は開かれた。
勢いよく開かれた扉にアステラは驚き、ナナシの陰に身をひそめる。
「遅かったじゃないか、テル。」
「んなこというなって、これでも急いできたんだ。」
「急いで?」
ただ迎えに来るのに何を急ぐ必要があったのかと不思議に思う。
テルはアステラのおびえた様子を見る。
「随分懐かれたようだな。まぁ、当然か。」
こうなることがわかっていたかのようにテルはため息をこぼす。
「アステラ――。」
「まっ、まだ僕はこの部屋をでっ、出ません。」
「わかってる、今日はナナシを迎えに来ただけだ。お前はまだここに居ろ。」
「……へ?」
アステラは拍子抜けしたように肩の力を落とす。
テルはアステラをこの部屋から出そうとしていたはずだ。
ナナシと引き合わせたのもその思惑があったからこそのはず。
「いいな、誰が来ても扉を開けるな。」
そう言ってテルはナナシの手を引き部屋を出る。
「ちょっ……そんな急に!アステラ、またな!」
「えっ……はっ、はい。」
部屋に一人残るアステラはひどく寂しく見えた。
石造りの壁に囲まれ光もないこの部屋に兄がいなくなってからずっと隠れ住んでいた。
きっと、それは辛く寂しい日々だったに違いない。
「――――あっ、あの…ナナシ、さん。」
アステラの声でナナシは歩みを止める。
「ぼっ、僕…ナナシさんといられて楽しくて、こんなの久しぶりで――――。まるで…兄さんが帰ってきてくれたみたいで、ナナシさんは兄さんみたいに優しくて――――。」
言い淀むアステラの様子を尻目にテルは先に階段を進んでいった。
二人きりにしようと気遣った、ようではない。
いつもと様子が違うテルに急いだと言ったテルの言葉がよみがえる。
「ナナシさんさえ嫌でなければ、また……ここに、来てもらえませんか?」
「ああ、当然だ。また、いろんな話を聞かせてくれ。」
アステラを一人残してナナシは部屋を後にした。
テルを追いかけるように階段を進む。
てっきり扉の前で待っている者かと思ったが、扉の前に来てもテルの姿は見当たらなかった。
先に出たのか?
前にむやみに扉を開けるなと言われたしあまり考えられないが。
少し待つ、か?
――――いいや、時間がおしい。
扉に手をかけ開けようとしたその時、
――――コンッ
と、扉が鳴った。
「――――テル?」
扉が開く様子はない。
テルは姿を見せず、静寂が続く。
扉が鳴った、いいやそんなわけがあるわけか。
扉がひとりでに音を出すものか。
誰かが扉を叩いたのだ。
それが迷宮区で何を意味するかはもう、知っているはずだ。
「――――っまさか!?」
勢いよく扉を開く。
目の前にテルの姿はなく、見慣れない道が続くばかり。
「――――なん、だよ…これ。」
落ち着かなければならない。
扉を叩いたのが何者かはわからない。
テルだとは思いたいが、それでも何か不測の事態が起こったのには違いないだろう。
急いだ、と言っていたがこの王都で何か起こっているのだろうか。
この迷宮区で一人動き回る危険性をもう知っている。
それでもここで立ち止まっているのはよくないような気がする。
「進む、しかないか。」
アステラだけは守らなければならない、なぜだか強くそう思った。
もし扉を叩いたのがテルだとしたらアステラ、もしくは自分を逃がそうと思っての行動だろう。
一緒にいるのはまずいかもしれない。
迷宮区で迷ってもテルなら見つけてくれる、情けない話だがそう期待するしかない。
とはいえこの暗さ、灯りもなしに歩くのは不安だ。
仮面、は置いていった方がいいか。
今は逆に目立ってしまう。
「アステラから離れて、かつ身を隠せる場所でも探すか。」
理想はジルの店にたどり着くことだが、道を覚えていない。
彷徨うように迷宮区を歩く。
右へ、左へ――――
もうどこを歩いているかもわからない、アステラの部屋への戻り方も。
時々天井が開け空が見える。
暗がりの道続きでわからなかったが今は夜のようだ。
星明りもなく、人気もない。
暗躍するにはいい日、なのだろう。
「そっちは終わったか!」
何処からか聞こえてきた声に咄嗟に身を隠す。
「いいや、また動いた。だがこれで司教様が言ってたことが証明された。」
「ああ、間違いなくやつらは迷宮区のどこかにいる。」
外套で身を隠す怪しげな者たち。
迷宮区で何かが起こっているのは間違いないらしい。
「おい!こっちを手伝え!」
「何かあったのか?」
「わからねぇ、だがとんでもなく素早いやつがいる!もう何人もそいつにやられちまった!」
新たに合流した仲間に連れられ怪しげな者たちはその場から立ち去った。
「なんだったんだ、いったい……。」
何者かはわからない。
でもテルが急いでいたのはあの者たちが原因だったのは違いないだろう。
やつらは動いたと口にしていたが、それは迷宮区のことだと思う。
だったら会話に出てきた素早いのはテルのことだろうか。
なんにせよテルが逃がしてくれたのだとしたら、今テルが目立ってくれているのは好機だ。
どうにかジルの店までたどり着かなければ。
迷宮区を走って回る。
どういうわけかあちこちの扉が開いたままにされている。
「どういうわけだ、これは……。」
おかげで多少道を間違う機会が減っているが、なにか嫌な予感がする。
テルのおかげか、運のおかげか、あれから怪しげな者たちには出会っていない。
いや、ジルの店も見つかっていないのだから運のおかげということはないのだろうな。
迷宮区を彷徨ってもうどれくらいの時間が経っただろうか。
道なりに進んできたが一向に目的地にたどり着ける気がしない。
テルが陽動をかってくれていたのだとしても、そろそろ限界なのではないだろうか。
悪い予感だけは当たるもので、怪しげな者たちを見かける機会も多くなってきた。
テルやアステラは無事だろうか?
そんな思いだけが積もる。
「……待てよ?」
このままジルの店を探していても埒が明かない。
怪しげな者たちの目的もよくわからない。
だが、迷宮区で何かを探しているような様子だった。
ならその邪魔くらいはできるのではないだろうか?
「ものは試し、だな。」
閉まったままの扉を開き中を確認する。
そして扉を閉めてから扉を叩きもう一度開く。
景色は変わり前回と道が変わっていることを確認する。
迷宮区の道を動かすのに何か特別な力が要らないことの証明はできた。
――――だったら。
閉まったままの扉を見つけては叩いてその場から離れる。
たまに開いている扉を閉めたりしてその行為を繰り返した。
間接的にテルの邪魔をしているような気もするが、道を覚えていると言っていたし怒られない…と信じたい。
「おい!?なんだあいつ!?」
何処からか聞こえてきた声に顔を振り向ける。
視線の先には外套を着た者たちがいた。
「やばっ――――」
さすがにやりすぎたのか、とうとう怪しげな者たちにナナシは見つかった。
近くの扉に逃げ込みすぐに扉を叩いた。
念のために別の扉に入りもう一度扉を叩く。
落ち着いてから扉を開き怪しげな者たちがいないことを確認する。
「――――っはぁ。どうにか撒けたか。」
しかし追ってくるとは思わなかった。
どうにか早くテルに合流したいところだがこちらから見つける術がない。
「どうしたものか……。」
途方に暮れていたその時、どこからか歌声が聞こえてきた。
とても澄んだ綺麗な歌声。
魅了されたように、追手のことも忘れナナシはその歌声に引き寄せられた。
雲で隠れていた星が姿を見せ、光が地上を照らす。
広場のように見えるその場所の中央、一人の子供が歌を歌い踊っていた。
不気味な夜、晴天とはいえない夜空の下、目には痛々しい包帯、煌びやかな衣装を纏っているわけでもない、それでもその在り方がとても綺麗で美しく見えた。
「――――誰、ですか?」
物陰から覗いていたナナシに向かって子供は問いかけた。
「――――えっ。」
急に話しかけられて驚き固まった。
物音をたてた覚えはない、それなのに子供は正確にナナシのいる方向へと振り返った。
「あ、すみません。急に話しかけてしまって……。僕、いつもそうで…それで他の人にも気持ち悪いって――――」
「あ、いや。違う!少し驚いたのは事実だがそんなこと考えていない!」
咄嗟に否定するあまり強い口調になってしまった。
ナナシは子供にさらに不安にさせてしまうと心配する。
が、ナナシの不安をよそに子供はナナシに笑顔を向ける。
「ふふ、そんなに慌てないでいいですよ。」
手玉に取られているようでどうも調子が狂う。
テルとはまた違ったやりにくさがある。
「――――ふぅ。しかし本当に驚いた、まさか気づかれるとは思わなくてな。」
「物音がしたので誰かいらっしゃるのかな、と。」
「物音?そんなに大きな物音をさせていただろうか?」
「いいえ、僕は目は見えませんが耳はとてもいいので、人の声、足音、服のこすれる音……。それだけでも周りにどれだけ人がいるかもわかりますし、どう動いているかもなんとなくですがわかるんです。」
「それは凄いな。」
目を包帯で覆っているのも目が見えないからだと納得する。
中世的な声で性別はわからない。
この子はどうしてこんなところで歌を歌っていたのだろうか。
「えっと……そういえばまだお名前を聞いていませんでしたね。」
「そういえばそうだったな、自分はナナシという。」
「ナナシ、さん……。変わったお名前、ですね?」
「そうだな、名前がないから名無し…変わった名前かもしれないが案外自分でも気に入っている。」
「なるほど、素敵なお名前ですね!」
「別に無理して誉めなくてもいいんだぞ?」
「いいえ、つけられた方の思いやりが伝わるいいお名前です。それに僕も同じような理由でつけた名前なので。」
「同じ?」
「僕の名前はムメイ、無名の旅人ムメイと言います。」
無名、なるほど確かに同じだ。
目の見えないというこの子が旅人だと言ったことに多少驚きはしたが、耳の良さでそこを補っているのだろう。
「旅人、だったのか。じゃぁこの国には観光で来たというところか?」
「はい。星が綺麗で人の温かみがある国、そういう噂を聞いてきたのですが…今日は生憎の天気のようですね。」
「わかるのか?」
「はい、今日は空気が澱んでいて嫌な風が吹いています。天気がいい日にはその日の空を想像したりして楽しめるのですが……。残念です。――――それに、今日は辺りが騒がしいようですね。」
ナナシには何も聞こえなかった。
それでもムメイが言っているのはきっとあの怪しげな者たちのことだ。
「周りに数人…囲うようにしていますね。」
「なっ!?」
逃げようとするナナシの服の袖をムメイは不間で制止する。
「待ってください、こちらに気付いてるような動きはしていません。今、動いてしまえば逆に見つかってしまいますよ。」
「そう、か。」
「それより、暇つぶしに僕の歌を聞いてくれませんか?」
「歌?そういえばさっきも歌っていたな。」
「はい。僕は吟遊詩人、歌を歌って旅の路銀を集めているんです。」
「そうだったか、道理で綺麗な歌声をしているわけだ。」
「ふふ、ありがとうございます。」
ムメイは照れ隠しをするように口を隠して笑った。
ただ、そう嬉しそうにされても少し心苦しい。
「気持ちは嬉しいが…すまない!自分はお金を持っていない!」
「そんな、結構ですよ。暇つぶしって言ったでしょう?それに報酬ならもう貰いましたよ。二度も歌声が綺麗だと言われて僕、嬉しいんです。」
「そう言ってもらえるのはありがたいな。」
一つ咳払いしてムメイは歌を歌いだす。
――――それはいつか聞いた騎士物語。
一人の少年の冒険のお話。
少年は旅に出た。 退屈な日常を終わらせるために。
少年は精霊と出会う。 精霊は少年の友となった。
そこは精霊の里。 生命の故郷。
少年は力を手に入れた。 願いを叶える力。
しかし少年に望みはない。 叶えたい理想はない。
少年の心には穴が開いていた。
それを埋めるように少年は旅を続けた。
讃えられ、称賛され、――それでもその穴が満たされることはなかった。
その穴の正体に気付いた時、すべては手遅れだった。
少年の手は赤に染まり、少年は化け物になっていた。
少年は願った。 生まれて初めての心からの願い。
少年は自らの死を願った。
こんな化け物が生きていていいはずがないと。
少年は誰よりも優しく、その優しさは誰にも理解されなかった。
「――――悲しい、話だな。それに聞いた話と全然違うように思う。」
「聖剣物語、ですか?あの物語は大衆受けするように書き換えられたものですからね。今のは元となった原本の一部、ロイド・バートリ―の冒険譚の僕なりの解釈です。」
「一部?他にもあるのか?」
「はい。レイン、グラン、オロカ……家名は変わりませんが名前が異なるものは複数存在します。」
アステラが興味を出しそうな話だな。
「そういえばナナシさんはどうしてこんなところに来たんですか?」
「ん?道に迷ってたら君の歌声が聞こえてきて……。」
「つまり道に迷ったんですね。」
「お恥ずかしい限りで……。」
そうだすっかり忘れていたが急がなければいけないんだった。
テルが来てくれる気配もないし、やはり自力でどうにかしなければならない。
「お困りでしたらお力になれると思いますよ?」
「本当か!?でも、旅人と言っていたが迷宮区の道とかわかるのか?」
「そこは旅人の感ですよ。旅人はどの道をどう行けば目的地に着けるかわかるんです。」
「なるほど……そういうものか。」
「はい!そういう者なんです!」
自信ありげに答えるムメイの姿を見るに嘘ではないのだろう。
もしかしたらムメイも精霊憑きなのではないだろうか。
いいや、それは聞かない方がいいだろう。
「では、お願いしようかな。」
「はい!任されました!ナナシさんの探し人は……むむぅ……。あちらの道におられます!」
自信満々にムメイは一本の道を指さした。
探し人、ということはテルのことだろうか。
ジルの店の場所を知りたかったのだが、それは言わなかった自分が悪いだろう。
「今は辺りに人もいないようですし、道が変わる前に行かれた方がよいかと。」
「そうだな、いろいろ世話になってしまったな。」
「いいんですよ。このお礼はまた出会ったときにいただきます。」
「それはありがたいが…また会えるような言い草だな。」
「ええ、また会えますよ…必ず。旅人の――――」
「感か?」
「はい。」
旅人の感、それを確かめるためにも今は進むとしよう。
暗い道をムメイの言葉を信じてただ進む。
分かれ道もないおかげで迷わず進めているがこの先に本当にテルはいるのだろうか。
目の前には壁が見えるようになり右と左への分かれ道が見えてきた。
「いや、どっち……。」
悩みながら進んでいるとうっすらと人影のようなものが見えた。
「――――まっ!」
止まろうとするも勢いで止まれず、左から歩いてきた何者かと衝突する。
背筋が冷える、ここまで何とかうまく回避してきたつもりだがそれもここまでだろうか。
「おい、あんた……何者だ?」
……女性?
恐る恐る顔を上げるとそこには怪しげな者はではなく一人の女がいた。
赤いロングの髪に貫かれるような鋭い目つき、腰には長剣を携えている。
そのたたずまいからも只者ではないことを知らしめる。
「あ――――なんっ、で……。」
ナナシの顔を見るなり女は固まって動かない。
「あっ……しまっ――――」
ナナシも慌てて顔を隠すがもう遅い。
どうしよう――――
どうすれば――――
あれだけテルに注意されていたのに……。
結局ラントの言ったとおりになったではないか。
「――――っぁ。」
女は息をのみ、表情を柔らかくしてナナシに問う。
「もしかして、兄ちゃんテルの言ってた連れか?」
「――――えっ?」
優しく笑いかけたその女性にきっと自分は――――