ちゃんとした後日談・改
――彼と話し合ってから、一ヶ月近く経過した。
あれから、私は、エルクウェッド様に連れられて、妃教育が休みの日は毎日のように様々な場所を訪れることとなった。
お忍びの状態で、図書館に行って好きなだけ本を読んだし、劇場に行って劇やダンスを鑑賞したり、サーカスを観たりもした。
彼は、驚くほどに沢山の娯楽の場所を知っていて、私はその度に驚くことになる。
しかも、彼は劇団の団長やサーカスの座長といった人とも知り合いであったらしく、親しげに話していたのだった。
そして、その度に頼まれ事をされては、それを易々とこなしていた。
それを見て私は、凄いと称賛することになる。
もちろん、その気持ちに嘘偽りはない。
……いやまあ、流石に下半身にアヒルの顔をつけて真顔でバレエを踊り出した時は、どうしようかと思ったけれど……。
でも、空中ブランコに乗って、空を舞い始めた時は思わず拍手してしまった。
彼は、常に私に対して「何も考えずに楽しめ」と、言っていた。
なら、もういっそ開き直って楽しむしかないと思ったのだ……。
彼は何でも知っていたし、何でも出来る『賢帝』である。
けれど……それは、私が彼をそのようにしてしまったからであるため、時折、複雑な気分になってしまう。
私が彼を『賢帝』にした。
してしまった。
……彼は、それを望んでいなかったかもしれないのに。
きっとこの国にとっては、彼が『賢帝』である方が良いのだろう。
けれど、そうなることを彼が望んでいたのかは分からない。
だって、彼は私が死ぬことを望んでいない。
時間を巻き戻すのを望んでいない。
――なら、『賢帝』にはなりたくなかったのではないだろうか?
私は、それをエルクウェッド様に聞くべきなのかもしれない。
だって、私は――もう少しで、この国の正式な皇妃となるのだから。
♢♢♢
気が付けば、式典の前日。
明日は、皇妃となった私を皆に披露する大事な日だ。
一応、結婚式も兼ねているらしい。
なので、明日をもって私は、本当の意味でエルクウェッド様の『最愛』となるのだ。
けれど、それでも──
「不安か?」
私の後ろから、そのように彼が声をかけてきた。
現在、私は明日に向けて準備や調整をしている最中であり、エルクウェッド様に髪を結ってもらっている途中であった。
「……はい、申し訳ありません」
「貴様は今までよくやってきた。なら、失敗するはずがないだろう? まあ、ある程度の失敗なら、こちらでフォローしてやる。安心しろ」
彼は、何も心配はいらないと、語りかけてくる。
彼は、出会った時からいつも優しかった。
彼は、いつも私のために何かをしてくれた。
だから、
「いいえ、実は明日のことではありません」
「なら、何だ?」
「今後のことです」
彼は、私の髪を手慣れた様子で梳きながら、「話してみろ」と促す。
だから、私は今まで胸のうちにしまっていたことを彼に思い切って告げたのだった。
「この先私が死ななくなったら――エルクウェッド様は『賢帝』とお呼びされなくなってしまうのでしょうか?」
それは、彼に対してあまりにも失礼な問いかけだった。聞くべきではない質問だった。
けれど、それでも聞いておかなければならない。今後のためにも。
「私は、エルクウェッド様のおかげで、明日でちょうど一か月連続の生存となります。もうセミに勝っているかもしれません。マンボウには、負けていますが……」
そう、私はついに一ヶ月の生存が可能なところまで来ていたのだ。快挙である。
それもこれも、エルクウェッド様が、何度も死に繋がる不幸から私を守ってくれたおかげだ。
本当に、彼は命の恩人であった。
何しろ、私を外に連れて行ってくれた時も常に私を助けてくれたのだから。
その度に奇声や奇行をおこなっていたけれど……。
でも、彼のおかげで常に新鮮で楽しい経験が出来た。
私が最初に死んだのは、初めて皇都に行くとはしゃいでいる時に馬車に轢かれた時で、結局皇都に行くことを諦めるのに、十回以上死ぬ必要があって、それ以来、あまり色々な場所に行かないように気をつけていたのだ。
だから彼には、本当に感謝の心で一杯だった。
それと、図書館に置かれていた図鑑を見て知ったのだが、どうやらマンボウは割と長生きする魚だったらしい。
結構ショックである。
私と同じ死にやすい仲間だと思っていたのに……。
「でもそれだと、いつか限界が訪れるかもしれません」
彼は私のループに巻き込まれて、その後そのまま腐ることなく努力を続けた。
だから、『賢帝』と呼ばれるようになった。
けれど、今の状況だと、彼には他者より優れたアドバンテージが無くなってしまうのだ。
ループによって使用可能となる膨大な時間と、時間の巻き戻りによる擬似的な未来予知。
その二つが。
彼は、本当にそれで良いのだろうか。
それとも、『賢帝』でいたくはないから、良しとするのだろうか。
私には、分からなかった。
そして、彼の答えは――
「何だ、そのことか」
大したことなどない、とあっさりとした口調で応える。
「なあ、ソーニャ。一つ聞く」
「何でしょうか?」
「――世界中の国の統治者の中で、ポールダンスをプロ並みに踊れる者は、どれだけいると思う?」
「えっ」
予想外の質問だった。
そのため、私は固まってしまう。
え、それは一体どういうことなのだろうか……? ポールダンス??? しかもプロ並み????
混乱する私をよそに、彼は答えを言った。
「おそらく、十人もいないだろう」
「十人もいるのですか……」
「まあ、多分いるだろう。そして、次に――ブレイクダンスだ」
「ブレイクダンス……?」
「そう、それだと、居ても一人か二人くらいだろうな。ポールダンスとブレイクダンスを踊ることが出来る統治者は」
「ポールダンスとブレイクダンスを踊ることが出来る統治者……」
常に荒ぶってそうなイメージが、私の中に浮かび上がる。
彼は、さらに言葉を続けた。
「そして、コサックダンスもそこに加えるとしたら――おそらく、世界中、誰もいない」
エルクウェッド様は、「私を除いてはな」と、楽しそうに笑うのだった。
「結論を言う。私は今後も常に『賢帝』で有り続ける。貴様が心配するようなことなど、万が一にも有り得ん」
彼は、「そういうことだ」と、断じたのだった。
私の不安をばっさりと切り落としたのである。
「……なら、エルクウェッド様は、『賢帝』になりたくないと思ったことはあったりしますか……?」
私は、思わずそう聞いてしまっていた。
彼は、それにもすぐに答える。
「いいや、無い。なれるのならなっておくべきだ。皇族として、この国のことを考えるのならな。だが――」
――あえて無理になる必要はないと思っている。
彼は、私にそう言ったのだった。
「私は、割と負けず嫌いでな。何事も手を抜かず、貴様のループに巻き込まれた時であっても常に毎回真剣に取り組んだが――それは、私だからそうしただけの話だ。まあ、なにが言いたいかというとだな、正直に言うと、私は――別にループに巻き込まれていなくとも、問題なく皇帝になってこの国を治めることが出来ていた。流石に今ほどではないかもしれんがな」
彼は、目の前に置かれた鏡越しに、私に視線を合わせる。
「私は、一応、幼い頃から物覚えが良くて勤勉だという評価を受けていた。皇帝になった後は、先代の皇帝程度の治世は期待できるだろう、とな。だから、貴様のループに巻き込まれたことで本当に助けられたのは、実は一度きりだけだ」
それは、おそらく暗殺者に襲われた時の話だろう。
ああ、そうか。その一度きりだけなのか……。
「物事というものは、案外なるようになるものだ。だから、貴様が気負う必要はない。とにもかくにも、貴様はさっさと、他者と同じ時間の流れに慣れろ。今の貴様の時間感覚は、例えるなら、空想上の長命種族に近しいのだからな。貴様は、きちんと人間なのだろう?」
彼の言葉に私は、固まることになる。
「私が人間、ですか……?」
「それはそうだろうが。貴様は、いつ人以外の生き物になった?」
「……いえ、前に私を人間とは思わないと言っていた人がいましたので」
私は、あの時の暗殺者の女性を思い浮かべる。
私を心の底から恐怖し、嫌悪していた、彼女の目を思い出す。
おそらく、あれが本来の反応なのかもしれない。
私の実情を知った時の。
でも、
「馬鹿馬鹿しい。貴様は、ただ死にやすいだけの人間だ。恐れて何になる」
彼は、そう何事もないのだと言うのだった。
だから、私はふと聞き返してしまう。
「そうでしょうか?」
彼は、肯定した。
「そうだ」
彼が放ったのは、たった三文字の短い一言。
けれど、その言葉に対して、私はいつの間にか、小さく笑みを浮かべていたらしい。
鏡には、私の緩む口元が映っていた。
私は、鏡越しに彼を見つめる。
いつしか、私の胸のうちは軽くなっていた。
――これもきっと彼のおかげだ。
そう思っていると、ふと鏡越しに彼と目が合うことになる。
「……」
「……」
私たちは、数秒見つめ合うことになる。
そして、
「アアーッ!!」
「エルクウェッド様!?」
彼は突然、私の背後でレッサーパンダの威嚇ポーズを行なったのだった。
……何故かここ最近、何度も彼はそれを行うのである。
おそらく彼の中でマイブームとなっているに違いない。
そして、レッサーパンダに負けないくらい、どうしてか物凄く可愛い雰囲気が彼から出ているのだった。訳が分からない。
――もしかして、私も何かしらのポーズを取って、彼に返した方が良いのだろうか?
最近、そう思うようになってきていた。
万が一、何かの合図の可能性もあるし。
なので今回から、意を決して現在の彼の真似をするべく、とりあえず私も彼と同じように、頭上に向かって手を上げてレッサーパンダの威嚇ポーズを行ってみることにしたのだった――
次は『真・ちゃんとした後日談』です。
よろしくお願いいたします。
 




