ちゃんとした後日談 7
将軍と出会った後、エルクウェッドは、『祝福』と『呪い』を研究している国立の研究所に向かった。
用事があると、所長から呼び出されたのだ。
本来、出向くべきは所長の方なのだが、彼女はエルクウェッドと比べて負けず劣らず多忙の身であり、その上あまり身体が強くは無かった。
何度か宮殿に呼んだことがあったが、その度に貧血で倒れて医療室に運ばれていたので、「いやもう、今後はこちらから向かう。無理して来ないでくれ」と、エルクウェッドが言ったという過去があった。
研究所に着くと、すぐに三十代半ばの女性が、手を広げて出迎える。
「いやあ、よく来ましたねぇ、皇帝陛下。お待ちしておりましたよぉ」
目に隈を作った細身の女性は、白衣を身にまとっており、見るからに不健康そうだった。
彼女は、「ご無沙汰していますねぇ」と、間延びした口調でエルクウェッドに話す。
だが、彼は彼女の姿を見て、眉をひそめたのだった。
「所長、貴様、また寝ていないな? そろそろ身体が壊れても知らんぞ」
「ご安心ください、休日は一日中、寝ておりますので」
彼女の『呪い』は、【休日は一日中ほとんど目を開けていられない】というものだった。
エルクウェッドは、「ほう」と、目を細める。
「ちなみに聞いておくが、貴様の前の休みはいつだ?」
「確か……十日前だった気がしますね?」
彼女は、とぼけた表情で、そうエルクウェッドに告げる。
故に、彼は心の中で「もう駄目だな、これは。重症だ」と、呟くことになる。
「悪いが、次倒れたら、貴様を所長から外すことを考えておくぞ」
「それは困ります。好き勝手に、研究が出来なくなってしまいますからねぇ」
彼女は、少し真面目な口調で「気をつけます」と、言った。
「まあ、いい。それで、用とは何だ?」
「三つあります。まず一つ目は、この論文をどうぞお目通しいただきたいということですね」
そう言われて、渡された論文の紙束にエルクウェッドは、さっと目を通す。
「――『神々が与え給う『祝福』と『呪い』の関係性について』、か。なるほど、興味深いな」
「はい。皇帝陛下に支持していただいている『神が自らの『祝福』と『呪い』を与えた者を見物して、面白がっているのではないか』という私の論をさらに考察する内容が、そこに書かれておりまして、実に面白いと思いました。しかも、それを書いたのは、何と公爵家の御令嬢だというのですから、驚きですよぉ」
「ん? その御令嬢とやらは、もしや研究所に何度か足を運んでいる者か? それと、常に微笑を浮かべている?」
「ご存知でしたか。そうです、確か後宮入りしていたと聞いておりましたねぇ」
どうやら、この論文を書いたのは一番目の妃であるらしい。
「なるほど、分かった。後で、よく目を通しておく」
「ご感想、期待しておりますよぉ」
所長は、楽しそうに笑った。
「それで、次は何だ?」
「二つ目は、私の実験のご協力の依頼ですねぇ」
彼女は、時折、エルクウェッドに対して個人的な実験の依頼を行っているのだった。
彼の『祝福』は、現状唯一無二のものだったため、所長としては、時間があれば何が何でもデータを取りたいらしい。
「まあ、それは別に構わん。いつものことだからな」
「ええ、ご理解いただけて嬉しい限りです。もちろん、皇帝陛下の『祝福』の詳細な情報については、他者に知られないよう、細心注意を払っておりますので」
エルクウェッドの『祝福』と『呪い』は、一般的に公表されていない。
端から国の記録として存在していないのだ。
故に、国立研究所も把握していないのが現状であったが、しかしエルクウェッドは、その所長にだけ教えていた。
何しろ、この国の者だけが有する二つの力について、現在のこの国で最も深く理解し、最も多くの情報を有しているのが、この所長であるからだ。
彼女は、自身の研究欲に正直であり、金や権力には全く関心を示さないという実に分かりやすい性格であった。
そのため、エルクウェッドは彼女を、幼い頃から世話になっていた宰相や将軍のように信頼することが出来たのであった。
「皇帝陛下の『祝福』は、他者の『祝福』や『呪い』の効果をどれだけ軽減させられるのか、まだ完全に分かっていませんからねぇ。今後も、実験を続けさせていただきたいと思っています」
「まあ、確かにそうだな。だが、一応ではあるが、かなり強力な効果のものであっても、私の『祝福』の効果が発揮することは分かっているぞ」
「? と言いますと?」
「たとえるなら、何かしらの条件を満たすと世界が滅ぶ、みたいな『呪い』であっても、おそらく軽減させることができる」
彼女は、それを聞いて不思議そうに首を傾げた。
「皇帝陛下、そのような強力すぎる『呪い』は、未だ確認されておりませんよぉ? 多分、この先もそのような強力すぎる力を持つ者は現れないと思われますが?」
エルクウェッドは、「まあ、ただのたとえ話だ」と、彼女に対して気にしないように言ったのだった。
どうやらこの国で最も優れた研究者である彼女であったとしても、あの少女の二つの力が有り得ない存在だと認識しているらしい。
そういえば、最初は自分もそう思っていたなあ、とエルクウェッドは、昔の頃を思い出すのだった。
「三つ目は、何だ?」
「皇帝陛下へのお祝いです。――ご結婚、おめでとうございます」
その言葉を聞いて、エルクウェッドは驚く。
「……貴様から、常識的な言葉をかけられるとは、まさか思わなかったな」
「私にも常識というものがありますよぉ。面倒なので、いつもはゴミ箱に捨てているのですが」
……やはり駄目だな、この女性は。感心した自分が馬鹿だった、とエルクウェッドは再度思うことになる。
「祝ってもらったところ悪いが、厳密にはまだ婚約という状況だな、今は。皇族の婚姻は、式を挙げて初めて認められる。このことは、法律に詳しい人間でないとまず知らんだろうが」
「そうなのですか? そういえばまだ式は挙げていませんねぇ。お呼びしていただければ、血を吐いてでも行きますが」
「本当に吐くなよ。……まあ、後一ヶ月ほどに予定している。来られたら来い」
流石に無理に招待は出来ない。
何せ彼女は、宮殿にある医療室の皆勤賞受賞者なのだから。
そしてエルクウェッドは、今日彼女が言っていた三つの用事を把握した後、いつものように尋ねる。
「――所長、貴様は、どんな時に『幸せ』だと感じる?」
彼女は、即答した。
「当然、研究しているときですよぉ」
「だろうな」
彼は、もうすでに予想出来ていた。
「ずっと研究出来るのなら、この先結婚をしなくても構いませんし、死んでも構いません。それくらい幸せなのです」
「まあ、もうすでにその言葉を体現しているから、貴様は」
エルクウェッドは、彼女の言葉を聞いて、「やはり、自身の『呪い』のデータを取るために、一ヶ月の休暇を取って死んだようにぐっすり眠り、三日目で生命の危機を覚えた部下の研究者によって無理やり休暇を取り消されて出勤させられた奴は、言葉の重みが違うな」と、思わず感心してしまうのだった。




