『皇帝』視点 5
後半からコメディ要素あります
エルクウェッドは、ループに巻き込まれる度にいつも毒吐いていた。
当然だ。そのループがいつ起きるのか、いつ終わるのかが一切不明であるし、苦労して終えた仕事や役目も場合によっては、そのすべてが水の泡と帰るのだから。
それで罵らない人間がいるというのなら、その者はもう諦めて思考放棄しているか、よほどの聖人君子かのどちらかであろう。
しかし、そんなことを考えるエルクウェッドだが、常にループすることが煩わしいものだとは思っていなかった。
そして、その最大の象徴となる出来事が起きたのは、彼が十六歳の誕生日を迎えた時である──
♢♢♢
──抜かった。
そう、床に倒れ、大量の血を吐きながらエルクウェッドは、思った。
彼の胸元は、真っ赤に染まっている。
足元には、その原因である一振りのナイフが転がっていた。
「──早く! 早く医師をここに呼べ!! 一刻も早くしないと殿下が手遅れになってしまうぞ!!」
「──命令だ! 逃げた賊は、必ず生きたまま捕らえろ! 皇国の兵士の誇りにかけて、この報いを受けさせるんだ!!」
「──殿下!! しっかりしてください!! お気を確かに!! 殿下ッ!!」
周囲から、さまざまな声が聞こえてくる。
しかし、そのどれもが遠く、そしてくぐもって聞こえる。視界もぼやけてきた。体が凍えるように寒い。
今現在、彼の命の灯は徐々に消えかかっていた。
一瞬の出来事であった。
彼は、暗殺者の手にかかったのだ。
エルクウェッドが出席していたのは、十六歳となった彼を祝うために開かれた宮殿での舞踏会である。
その際は、大勢の貴族や他国からの要人も数多く招かれた。
ゆえに、会場の警備も優れた兵士たちを配備し、万全の体制を整えていたのだが──
──だが、それでもその凶行はこうして起きることとなる。
一体どうやったのか方法までは分からないが、エルクウェッドを狙った暗殺者は、他国の要人の一人に扮装して会場に紛れ込んでいたのだった。
基本的に舞踏会の会場に入る者は皆、所持品の検査を受ける。
兵士、使用人、シェフ、音楽隊、貴族、他国の要人等々──
そこに例外は誰一人としていない。
しかし、検査の厳しさについては、身分によって異なっていた。身分が高ければ高いほど、その検査は甘いものとなる。
暗殺者は、そこに付け込んだのだ。
舞踏会が始まった後、他国の要人に扮した暗殺者は、にっこりとした笑みを浮かべながらエルクウェッドに近づく。
エルクウェッドとしては、他国の要人が挨拶と共に祝いの言葉をかけにきたのだから、対応しないわけにはいかない。
彼は、目の前の相手と握手を交わそうとした。
そして──
……紛うことなく不意打ちであった。
たとえ、熟練の兵士であっても意識の隙を突かれれば成すすべもない。
暗殺者は、素早い動きで彼の胸に隠し持っていたナイフを突き立てたのだった──
♢♢♢
──薄れゆく意識の中、エルクウェッドは「ああ、ここまでか」と悟る。
どうやら、自分はこのまま死ぬことになるらしい、と。
そして、先ほどのことを思い出す。
自分を襲った暗殺者は驚くほどの凄腕だった。その気配も立ち振る舞いもまるで、他者に違和感を感じさせず、まったく気づくことが出来なかった。そして逃げ足も速い。警備の隙間を縫うようにして素早く逃走していた。……果たして警備の兵士たちがあの者を捕まえられるかどうか。
……それに、そもそもの話一体、どこの誰からの刺客だろうか。
自分の命を狙う理由を持つ者はたくさんいる。
残念ながら、まるで絞り込めない……。
そのようなことを考えるが、思考は段々と鈍くなり、何も考えられなくなっていく。
そしてその代わりとして、今まで体験してきたことが走馬灯として、次々に彼の脳裏に蘇っていくのだった。
しかし大半が、ループに巻き込まれた時の記憶だった。
……なるほど、自分にとってそれらこそが最も印象に残ったことであるらしい。
若干不服ではある。
毎回毎回苦痛でしかなかったからだ。
生き地獄だった。
毎回ブチ切れていた。
けれど、今際の際に思い返してみると、
──もしかしたら、そこまで悪くはなかったのかも、しれないな……。
そう心の中で思いながら、彼の命は……。
♢♢♢
──次の瞬間、エルクウェッドは前日に巻き戻っていた。
彼が絶命しかけたその時、名も顔も知らぬ者が『祝福』を発動させたのだ。
彼の胸に傷はない。
当然だ、すべてがなかったことになったのだから。
「……そうか」
彼は、ひとりごとのように、おもむろにそう呟く。
そして、その次の瞬間、弾かれたような勢いで行動に移したのだった。
「──警備隊長! 誰でもいいから、明日の会場の警備隊長をここに呼べ!! それと、会場の見取り図を持ってこい! 会場外の情報も詳細に記載されているやつだ!! 急げ!!」
エルクウェッドの大声に慌てて、警備隊長の兵士が駆けつけてくる。
そしてエルクウェッドは、彼に対して、用意された見取り図を指し示しながら、即座に警備網の穴を指摘したのだった。
「こことここ。ここもだ。あと、ここもだな。警備をきちんと固めろ。絶対に配置を動かすなよ。仮に賊が侵入した場合、混乱中にここらを狙われると容易に逃げられるぞ」
次に彼は、会場入りする者の所持品検査をどのような身分であっても厳しくするよう、厳命した。
「無論、たとえ私であっても、それは変わらん。分かったな?」
「……ええ。ええ、承知いたしました。殿下のご命令とあらば、是非もありません。……しかし、殿下、一体どうなさったというのですか?」
舞踏会の前日に警備の配置を変えようとするなど。
いくら自分が主役の舞踏会であったからといっても、突然の思い付きがすぎる。
そのような目を警備隊長はしていたのだった。
なるほど、その抗議は正当なものだ。
何しろ、会場警備の責任を任されているのは、警備隊長である彼に他ならない。
誇りをもって仕事を行う。出来た良い兵士だ、彼は。
エルクウェッドは、内心満足げに笑う。
そして、考える。
警備隊長に対して、一から説明することは難しい。
ならば、こうしよう。
ゆえにエルクウェッドは、鼻を鳴らしわざと尊大な口調で言った。
「──貴様に問う。この私が、今までに一度でも間違えたことがあるか?」
その瞬間、警備隊長は表情を引き締め即座に敬礼する。
「はっ、愚問でありました!! 大変申し訳ございません、皇太子殿下!!」
リィーリム皇国皇太子エルクウェッド・リィーリムがそう言ったのだ。
自国を憂うというのならば、彼にすべてを委ねるべきである。
──彼は、正解しか選ばないのだから。
警備隊長は、迅速に自分の部下に命令を下したのであった。
♢♢♢
──翌日。
舞踏会は開催される。
すでに他国の要人を招いているのだ。残念ながら、暗殺者が怖いから中止するなどどいった理屈は通らない。
──そもそもの話、警備が完璧であるならば、その必要もないのである。
舞踏会が開始された後、一人の男が警備の兵士たちによって取り押さえられた。
それは、他国の要人。──否、それに扮した暗殺者であった。
エルクウェッドの指示によって検査が全員に厳しく行われ、彼は凶器を持ち込めなかった。
そのため、現地調達をする必要があり、その場面をエルクウェッドの指示によって彼をマークしていた兵士たちが取り押さえたのである。
会場の出入口はすぐさま封鎖され、暗殺者は迅速に尋問にかけられることとなる。
結果的に、暗殺者は全てを白状するのだった。
依頼主のこと、刺客は他にいないこと、変装元である要人の居場所等々……。
再度検査が行われ、また今回のように何者かが要人や貴族になり替わっていないかの確認も行われる。
そして、もう安全だと最終的な判断をした後、舞踏会を再開させたのだった。
♢♢♢
翌日、エルクウェッドは舞踏会の後始末に追われることになる。
そして、わずかな時間を使って休憩している時、ふと目を瞑った。
彼は、独り言を呟く。
まるで、今どこにいるのか分からない相手に対して、自分の気持ちを伝えるように。
「礼は言っておく。――貴様のおかげで助かった。業腹だが、借りが出来たな。後で必ず返すから、きちんとつけておけよ」
彼は今までループに巻き込まれるたびに毒吐いていた。
いつも、良い記憶などなかったからだ。
しかし、
「――今回は悪くなかった」
そう彼は、言った。
そして、おもむろに目を開ける。
――前日に巻き戻っていたのだった。
エルクウェッドは、その事実を認識すると、両目を大きく見開いて絶句する。
そして、「……そうか」と呟いた。
「……なるほどな。そうか、そういえば貴様はいつもいつもいつもいつもいつもいつもいつもそうだったな……」
エルクウェッドは、無意識に周囲を見回して巻き戻った現在の状況を確認する。
それが、もはや彼の長年の癖となっていた。
場所は舞踏会の会場。
おそらく時間的に、暗殺者は捕らえられていないはずだ。――ああ、あそこか。見つけた。
そして、自分の隣には警備隊長が待機している。
――ならば、丁度良い。
「警備隊長」
「いかがいたしましたか、殿下?」
「実は、今私は酔っている。先ほど、間違えて酒を飲んでしまってな」
「……は?」
隣にいた警備隊長が、急にどうした、と驚いたような声を上げた。
「無論、飲酒は二十歳からということは知っている。故意ではない。許せ」
「はあ、そうですか……」
警備隊長は、相槌を打ちながら内心首を傾げることになるのだった。
隣に立つエルクウェッドが一体何を言いたいのか分からなかったからだ。
困惑する警備隊長に対して、エルクウェッドは言葉を続ける。
「一応確認しておくが、貴様には私が怪しいと言ったあの男が見えるな?」
「はい。ええ、もちろん見えますが」
「所持品検査はきちんと行なった。つまり、奴は何も凶器の類を所持していないということ。それと、体格的に私の方が力がありそうだ。足運びと歩幅を見ても……格闘術の技術は待ち合わせていないようだな――よし、これはいけるな」
「殿下、一体何を……?」
「何、気にするな。最近、気を張り詰め過ぎたと思っただけだ。たまには羽目を外すのも悪くない。――とにかく、貴様はあの男をよく見ていろ。目を離すなよ?」
その後エルクウェッドは「後は任せた」と言って、突然全力ダッシュするのであった。
そして、
「――アアアアアアァーッ!! やっぱり、最悪だなッ!! チクショウめェェェェッ!!!」
たまには良い気分になっていたのに。
台無しだよ。
彼はブチ切れながら、ちょうど後ろを向いていた暗殺者の男の背中にドロップキックを決める。
不意打ちを受けた暗殺者が「フグゥ!」と変な声を上げながら綺麗に吹き飛び、床をごろごろと転がる。
そう、彼が今から行うのは、自らの胸中にて暴れ狂う憤りを解消するための──八つ当たりであった。
「ちょ、殿下ッ!? 何をなさっているのですか!? いけません、殿下!! 殿下ァ!!!」
慌てて警備隊長が止めに入るが、エルクウェッドは構わず、倒れている暗殺者を追撃する。力尽くで押さえつけ、暗殺者の変装を強引に剥ぎにかかったのだ。
「殿下、おやめください!! どうか、お気を確かに!! 確かにこれが一番手っ取り早いですが、万が一間違っていた場合どうするおつもり――あ、殿下!! 殿下!? 駄目ですよ、いけません、公衆の面前で、そこまで脱がしては、ちょっ、見えてます! 殿下! 殿下アアアアアアアアアアアア!!!!」
舞踏会の会場に、警備隊長の悲鳴が響いたのだった。
♢♢♢
翌日から『皇太子殿下が自身の誕生日パーティー中、酒に酔った勢いに任せて要人に化けていた暗殺者をはっ倒した』という冗談のようだが本当の情報が国内中にばら撒かれることになるのだが、その暗殺者は実は一部の他国からめちゃくちゃ多大な懸賞金がかかっている大物であることが後に判明したため、その一部の他国からの評価がびっくりするほど上がり、「やっぱり、殿下はスゴイぜ! こうでなくっちゃな!!」と誰の異論もなく彼の偉業の一つに加わることとなったのだった。