ちゃんとしているかもしれない後日談 23
私と皇帝陛下は、落下する。
しかし、そのまま地面に激突してしまうようなことはなかった。
落下中に気付いたのだが、飛び降りた真下には、やや高めの生垣があったのだ。
そのため、落下の衝撃が吸収されて、私たちは無事に下まで降りることが出来たのだった。
彼は、生垣に体ごと着地した後、額を手で押さえて、どうしてか弾かれたように笑い声をあげた。
面白おかしそうに、「やはり、たまにはこういうのも悪くはないな」と、呟いたのだった。
「おい、娘──無事か? 怪我もないだろうな?」
「はい、大丈夫です、皇帝陛下」
彼の言葉に、私は返事をかえす。
そして、「よし」と彼は頷くと、着地した生垣からまず先に私を降ろす。
その後、彼も降りてきたのだった。
「しかし、貴様、悲鳴の一つも上げんかったな。それとも、気でも失っていたか?」
「実はその、落下死の経験は、数えきれないほどありますので……それなりに慣れております」
「嫌な慣れ方だな……」
彼は、私と言葉を交わしながら、「よし、行くぞ。こっちだ」と、視線を投げる。
今、現在、私たちがいるのは、後宮の敷地内にある宮園であった。
後宮に併設されるような形で整備されたその園は、広大で、様々な美しい草花が咲き乱れている。
そして、高い生垣によって、その園内にある道は、まるで迷路のように入り組んでいた。
「正規の道程ではないが、ここを抜けてしまえば、厩舎の近くに出る。つまり、もう少しの辛抱だ」
私は、「分かりました」と頷く。
どうやら、もう少しらしい。
私としては、残念ながらこの宮園には足を踏み入れた経験が無い。
けれど、その代わり彼はどの道を通れば、どの場所に出るといったことを完全に記憶しているようであった。
私が、彼の自信に満ちた様子を見て凄いと思っていると、頭上から「一刻も早くお二方を保護するんだ! 急げ!!」と、後宮警備隊の隊長の慌てた声が聞こえてきた。
「皇帝陛下! ソーニャ様! 今、そちらに人員を向かわせますので、どうかその場を動かないでください!!」
「いや、要らんといったはずだぞ」
「な、何をおっしゃっているのですか!? お二方に何かあってからでは、遅いのですよ!! 今すぐ、行きます!! 絶対に動かないでください!!」
彼女の言葉は、尤もなものであった。
しかし、皇帝陛下は、「そうか。まあ、こちらに追いつけたなら、考えてやろう」といって、足を進める。
なので、私もその後に続く。
「……良いのですか?」
「良い。送られてきた人員が、全員、あの隊長のように、まともな思考を有しているか分からんからな」
「それは……確かに」
「まあ、当然確実に信頼できる人間をこちらに向かわせるだろうが、やはり進むのに時間がかかるだろう。待ち時間も、馬鹿にならん。故に却下だ」
どうやら、彼は迅速に後宮を出ることを目的としているらしい。
そのため、人数が増えてしまえば、それだけ移動速度が下がることを懸念しているようであった。
本当に、彼は兵士たちをあてにするつもりはないらしい。
だから、その分、彼は一層周囲を警戒する。
「ここは、見晴らしが良くない。だが、それは敵も同じだ。さっさと突破するぞ」
そして彼は、周囲を警戒しながらもさも愉快そうな声音で言った。
「さて、私たちの取ったこの行動は、おそらく敵としては想定外であったはずだ。何しろ、近道のために建物から飛び降りる皇帝など、どの国を探してもいないだろうからな」
「それは、そうでしょうね……」
確かに大陸中を探してもいないと思う。
その上、彼は女装もできるし、蛇も捕まえられるし、妃教育も受けているし、サーカスの曲芸だって出来るし、急に変な声だって上げるのだ。
おそらく、そんな皇帝は、世界で彼だけである。
「つまり、今から残った敵は慌てて私を殺しに来るぞ。奴らが私を暗殺するために計画してきて、今日動いたということは、私を仕留めるための準備が整った状況だということなのだからな。だが、それは後宮内に限っての話だろう。後宮を出てしまえば、奴らに出来ることは尻尾を巻いて逃げることだけだ」
彼の言葉に、思わず納得してしまう。
なるほど、だから、彼は現在、早く後宮を出ようとしているのか。
後宮内に留まれば留まるほど、自分の命を危険に晒す可能性が高まっていく。
けれど、おそらく反対に後宮を出てしまえば、暗殺者たちは、彼に手を出すことは出来ない。
そして今までの準備は無駄になり、その仕事は完全に失敗となるのだ。
変装して紛れ込む方法も、流石に二度は通用しないだろう。
だから、暗殺者にとっては、今回こそが最大の機会であり、最後の機会でもあったのだった。
「――さあ、私が後宮を出るのが先か。それとも、間に合うのか。それにネズミである奴らが、ネコである私をどう狩ろうとしてくるのか。実に見物だな」
まあ、ネコはネコでも、熊猫だがな、私は、と彼は愉快そうに笑みを浮かべた。




