ちゃんとしているかもしれない後日談 11
一番目の妃の彼女の様子を見て、意外だという感想を私は抱くことになる。
なぜなら、彼女は皇帝陛下に対してもっと食い下がるものだと思っていたからだ。
けれど、今こうして彼女はあっさりと、『最愛』の座を諦めた。
一体、これはどういうことなのだろう。
もしかして、皇帝陛下はこの状況を事前に予測していて──
「何ィ……?」
彼もまた、怪訝な声を上げたのだった。
──あ、これ皇帝陛下も予想外だった感じだ。絶対そうだ。
私は、思わずそう思ってしまう。
「おい、貴様。何のつもりだ。私の予想よりも手を引くのが早すぎるぞ」
「それは真でしょうか、皇帝陛下。ならば、どうやら私は今回に限って貴方様を出し抜くことが出来たようですね。とても嬉しく思います。まあ、もっとも──」
彼女は、楽しそうに微笑を浮かべる。
「──私としては、最初からお二人を祝福するつもりでいましたが」
彼女は、そう告げるのだった。
しかし、皇帝陛下は警戒の態度を崩さない。
「一応、確認しておく。何かしらの罠か?」
「いいえ、残念ながら何も考えておりませんよ。私は、ただお二人が結ばれたことを喜ばしいと思っているだけなのでございます。それ以上でもそれ以下でもありません。それに──そもそもの話、一介の妃が、『賢帝』たる皇帝陛下のご決断に異を唱えるなど、あまりにも浅ましく、そして愚かしいことではありませんか」
流石に身の程は知っているのだと、彼女は、真顔で言ったのだった。
そのため、私は「……うん?」と、疑問を抱くことになる。
あれ? さっき皇帝陛下に対して、異論はあるって……。
「最終的に撤回しましたので、異論はありません。そういうことです」
どうやら、私の顔に思ったことが出ていたらしい。
一番目の妃は、そう私に向かって声を上げるのだった。
あ、そういう理論なんだ……。
言葉って難しいな……。
「もしも万が一、皇帝陛下が短絡的に決断を下したのであれば、こちらとしても身を呈してお諫めしなければなりませんでしたが……どうやら、考えた末でのご決断のご様子。であるならば、敗者である私は、馬に蹴られる前に潔く退場すると致しましょう」
まあ、まだ納得しかねる部分はあれど、それだけなのですよ、と彼女は言うのだった。
「皇帝陛下は、常にこの国のためにご尽力してくださいました。そして、それは今後も変わることはないでしょう。常に民衆を正しい道に導いてくださるのです。ならば、私程度の人間がその道を遮るなどあってはなりません。公爵家の人間として、私の矜持がそれを許さないのです」
だから──
「ソーニャ・フォグラン。皇帝陛下が貴女をお選びになったのです。なら、貴女の存在は必ずや国益にかなうのでしょう? 私としては強く期待しておりますよ。けれど、もしもこの先、貴女自身によって、この国の平和を乱すことになるのであれば──この私の全力をもって貴女を排除させていただきますので、どうかくれぐれもお気をつけくださいませ?」
彼女は微笑みながら、そう私を睨みつけるのだった。
彼女が私に向けたのは、純然たる負の感情。
――殺意だった。
私にとって、最早それは日常的に浴びているありふれた他者からの感情の一つでしかない。
けれど、彼女を目の前にして、私は動けなくなる。
違う、これは。
いつも感じているようなものではない。
短絡的ではなく、ただひたすらに重圧的。
まるで、真綿に首を絞められているような感覚に陥るのだった。
これまで私が迎えた死は、どれもすぐに死ぬことが出来た死だ。けれど、彼女のは──
──ただでは殺さない。絶対にありとあらゆる手段を用いて苦しめて殺す。
肉体的な死だけでは済まさない。
精神的な死をも味わわせてやるのだと。
一番目の妃は、そのような目をしていたのだった。
……ああ、なるほど。
確かに、これは苦しく辛い。
私は、今彼女から殺気を向けられたことにより、初めて皇帝陛下の気持ちを理解することが出来たのだった。
「――おい、そこまでにしておけ」
皇帝陛下が、声を上げる。
そして、一番目の妃の視線から私を庇うようにして、私の前に立つ。
彼は非難するようにして、声を低めて言った。
「――此奴は、驚くほどか弱い。ストレスで死んだらどうするつもりだ」
「いえ、あの、そこまで貧弱ではありませんが……」
彼の言葉に私は思わず、そう声を上げてしまう。
もしや彼は、私のことをハムスターかウサギと勘違いしているのでは無いだろうか……。
それか、マンボウか。
いずれにせよ、同じ人間だと認識してくれているのか怪しく思えてきてしまった。
彼の言葉に、一番目の妃は謝罪する。
「申し訳ございません。つい、楽しくなってしまいまして」
「貴様、そろそろ刑務所にブチ込むぞ。自重しろ」
彼は、「後宮には危険人物しかおらんのか……」と、溜息を吐く。
「とりあえず、貴様を説き伏せる手間が省けただけ良しとする。それで、望みは何だ?」
彼は、そう言った。
それにより、一番目の妃は、嬉しそうに笑う。
「やはり、分かっておられたようですね」
「それしか考えられんだろう。貴様、『最愛』の座には興味が無かったな?」
……え、興味がない……?
皇帝陛下の『最愛』になることについて、興味がない……?
私は、彼の言葉に思わず驚いてしまう。
――いたんだ、私以外に『最愛』に興味無い人……。
そう、思いながら、二人の会話を聞く。
「ええ、実は私、以前から『祝福』と『呪い』について研究しているのです」
彼女は、「まだ、趣味の範囲程度ですが」と謙遜するようにして言う。
「研究所にも何度か足を運ばせていただきました。一応、論文も書かせていただいております」
「いや趣味の範囲か、それは?」
「ただの謙遜です。揚げ足を取らないでくださいませ。もちろん、睡眠時間を削るほどに熱中しておりますよ。現状この国の者しか有していない特異な力であり、研究が進めばいずれこの国に役立てることが出来るかもしれませんから。とても、楽しいです。――ああ、それと来年に、国立研究所の入職試験を受ける予定ですので、『最愛』にはなれません。第一志望はそちらの方ですので」
「……道理で、何もしなかったわけか」
彼はそう呟く。
どうやら、心当たりがあるらしかった。
そして彼女は、その様子を眺めながら彼に要求を伝える。
「それでは、皇帝陛下。未公表である貴方様の『祝福』と『呪い』について、後ほどどうか詳しくお聞かせください。信頼のおける少数にしかお話していないという、国の記録にもないその二つの力。とても興味がございます。おそらくどちらか片方は、類例の少ない貴重な効果を有しているとお見受けしますが、いかがでしょうか?」
「なるほど、合点がいった。後宮入りしたのは、それが目的だったか」
「はい。それと、後宮内にある図書館にも興味深い資料が色々あるとお聞きしておりましたので、是非とも拝見したいと思っておりました」
彼女は、素直に頷くのだった。
「もしもお話頂けるのであれば、今後私は、他の妃に肩入れせずに中立の立場を取ると誓います」
「――そうか。分かった。いいだろう」
彼は、そう即答する。
そして、
「なら、追加で私を除いた国の記録にない未公表の新種の『祝福』の事例を百ほど教えてやるから、こちらの味方になれ」
「はっ、えっ……!?」
その提案に、一番目の妃は、驚きに目を見開くのだった。