ちゃんとしているかもしれない後日談 8
私は、息を呑むことになる。
前方から、歩いてくるその女性は、まぎれもなく一番目の妃であった。
一番目。
それは、つまり後宮入りした妃の中で最も地位が高く、最も権力を有し、最も皇帝陛下の『最愛』に近かった人物なのである。
そのような女性が、今、姿を見せた。
そして、それをただの偶然だと断じることなど、今の私に出来るはずがない。
彼女は、おそらく何かしらの考えを持って私たちの前に現れた。
私は、皇帝陛下の警戒が一段と強まったのを見て、そう思わずにはいられなかった。
一番目の妃は、次第にこちらへ近づいてくる。
そして、
「──あら、御機嫌よう皇帝陛下。それと、後ろの方は、どなたでございましょうか?」
彼女は、「申し訳ありませんが、ご紹介いただけますか? 妃の方なのでしょうが、見たところ簪を身に着けておられないご様子ですので」と、口元を扇で隠して、まるで今、偶然自分たちと出会ったのだという口調で、そう皇帝陛下に語りかけてくるのだった。
対して彼は、「ああ、貴様も元気そうだな。どうやら後宮での暮らしに馴染めているようで重畳だ」と、応じる。
「しかし、よりにもよって、貴様が現れるとはな。相変わらず、手が早いことだ」
「はて、一体何のことでございましょうか? 私はただ偶然にも、廊下を歩いていると、前方から皇帝陛下とその方がお見えになったため、声をかけた次第でございます」
彼女は、「ですので、それ以上もそれ以下でもありませんよ」と、言う。
「まあ、いい。そういうことにしてやろう」
皇帝陛下は、そう皮肉げに言った後、一番目の妃の質問に答えるのだった。
「この娘は、五十番目の妃だ」
「あら、そうでしたか。初めまして。是非ともお見知りおきくださいませ」
そう言って、彼女は私に視線を向けてくる。
とても綺麗な女性であった。
歳はおそらく、皇帝陛下と同じくらいにように見える。
先ほどの二人の話振りからすると、どうやら互いに顔見知りであるらしい。
そのようなことを考えながら私も「ソーニャ・フォグランと申します。よろしくお願いいたします」と、頭を下げて挨拶を行った。
「あら、可愛らしい方ですわね。まるで、噂に聞く皇帝陛下の好みの女性そのもののような方ではございませんか。──もしや、あの噂は真実だったのでしょうか?」
「ふざけるな、断じて違――ああーッ、くそっ!? 本当にそうなってしまったな……!」
皇帝陛下は、「ちくしょうめ……ッ」と、小さく罵るようにして呟くのだった。
そして、
「――そうだ、真実だ。実は私は、そのような人間なのだ。分かったか!」
「え、まさか本当に?」
「そうだ、悪いか!」
「いえ、その……そうなのですね」
彼は何故か、開き直るようにして、告げる。
……え、私のような者が本当は皇帝陛下のタイプということ……?
そうだったんだ。
でも、彼は何故怒っているのだろうか……。
一番目の妃の人も、彼の言葉を聞いた後、何故か一歩後退っているし……。
そう、不思議に思っていると、皇帝陛下は「それで、何の用だ」と、一番目の妃に言う。
「何も無いのなら、私は先を急ぐぞ。良いな?」
「ええ、特にはございません。お引き留めして申し訳ありませんでした――と、先程まで私としては言いたかったのですが、一つお聞かせください。確か、今日は二十八番目の妃の方と共にいる予定だったと記憶しておりますが、何故現在、その方と共におられるのでしょうか?」
当然の質問であった。
それに彼は、どう答えるのだろう。
そう思いながら、私は皇帝陛下を見守る。
彼は言った。
「悪いが、その必要は無くなったからな。私は今日――」
毅然として。
何も恥じることがないと言わんばかりに。
「――この娘を『最愛』に決めた」
と。




