ちゃんとしているかもしれない後日談 7
宰相様は、いつも宮殿の方で働いている。
そのため、私と皇帝陛下は、一度後宮を出る必要があった。
「ここを出たら馬に乗る。絶対に蹴られたり、落ちたりするなよ。分かったな?」
そう、念を押すようにして言われて、私は彼と一緒に歩きながら、何度も頷いたのだった。
流石に、そのようなことにはならないと思う。
確かに過去にそういった経験をして命を落としたことは何度もあるけれど、細心の注意を払えば大丈夫なはずだ。
それに、馬は無意識のうちに特に気をつけようと考えている私の死因の一つである。
何しろ、五歳となった私が初めて経験した死こそが、馬による原因であったのだから――
私は、そのようなことを考えながら、今すれ違った侍女の人を横目で追う。
実は先ほどから、侍女や女性兵士の人たちと何度も私たちは、廊下ですれ違っていたのだった。
そして、その度に彼女たちが皇帝陛下の後ろを歩く私を見て、何かしらの言葉を口にするのではないかと、常に緊張していたのだが……。
……あれ? 誰も反応を示さない……?
確か、女性料理人の時もそうだ。
どうしてかは、分からないけれど、皆、私という存在に触れようとしないのだった。
何せ私は、五十番の妃。
今日は確か、二十八番目の妃が皇帝陛下と共に行動することになっているはずなのである。
ならば、誰かがそれを不審に思っても良さそうなのに。
そう疑問の思った私は、そのことについて皇帝陛下に質問してみることにしたのだった。
彼は、「ああ」と、答える。
「私たちの前では、騒いでいないだけだろう。皆、仕事に勤勉な者ばかりを選んだからな」
彼は、「だから、裏では恐ろしいほど噂しているだろうな」と言うのだった。
「それで、貴様。まだ気づくことはないか? それが分かったのなら、他のことも分かるはずだ」
そう言われて、私は首を傾げることになる。
私が、まだ気づいていないこと……?
何だろう。
少し考えてみる必要がありそうだ。
そう思って頭を捻る。
そして、一つあることに気づく
「……そういえば、まだ他の妃の方に遭っていません。理由は、分かりませんが……」
「ほう、正解だ」
皇帝陛下は、「褒めて遣わすぞ、娘」と、愉快そうに笑うのだった。
「それに、まだこうしてきちんと呼吸も行っている。私としては、もはや貴様を国宝に指定したいくらいだ」
彼は、「憎いな。この、歩く文化財め」と、またよく分からない褒め方をしてくるのだった。
「……ええと、それで、もしよろしければ、是非とも理由を教えていただけないでしょうか?」
私は、「妃たちと遭わないことの」と、強調して彼の反応を待つ。
今回はスルーすることに決めたのだった。
彼は、私に言う。
「おそらく待っているのだろうな」
「待っている? 何をでしょうか?」
「自身以外の妃が、私たちに話しかけることをだろう」
だから、全く妃たちの姿が見えないのだと彼は答えるのだった。
私は、その言葉に首を捻ることになる。
彼の言葉の意味が、あまりよく分からなかったからだ。
「どうやら説明が足らんかったようだな。つまり、私たちと遭遇すれば、その妃は嫌でも私たちに話しかけねばならなくなる。それを避けるために、誰も廊下を出歩いていないというわけだ。侍女たちの噂や、自分たちの有する情報網で大半の妃は、今の私たちの位置について少なからず把握しているだろうからな」
そう、彼は自身の言葉を補足するのだった。
「たとえば貴様が、私の『最愛』の座を狙っていたとする。そして、ちょうどそこに、私とわけの分からん妃の二人がいたら、貴様はどうする?」
そう問われて、私は「ええと、」と考えながら返答する。
「多分、いえ、きっと皇帝陛下と私――ではなく、そのわけの分からない妃の方に声をかけると思います」
「では、その妃がまさかの『最愛』に選ばれていた場合、貴様はどうする?」
「当然、抗議すると思います。何しろ、わけの分からない相手なのでしょうし……」
「そうだな。そして、そのように私に文句を言った場合、その者は私に悪印象を持たれる恐れが十分にある。そうは、思わないか?」
彼は愉快そうにそう言ったのだった。
そのため、私は彼の言葉に対して、「ああ、確かに」と納得してしまう。
先程の彼の言葉の意味をようやく理解する。
つまり、他の妃たちは、誰かが私たちに抗議することを待っているのだ。
最初は嫌だから。
皇帝陛下に嫌われてしまえば、その時点で『最愛』になれないから。
故に、誰かが文句を言えば、その後に自分が続けば良い。
そうすれば、自分への被害はある程度抑えられる。
それにもしかしたら、自分以外の妃たちも同じように続くかもしれないし、その場合は、実質被害をゼロにすることだって十分可能かもしれない。
彼の話は、おおむねそのようなものであった。
「だから、貴様が言っていた『今日』の分の最後の不幸は、もしかしたら訪れんかもしれんぞ?」
そう言われて、「そうかもしれませんね」と、同意することになる。
私が経験し、以前回避した『今日』の分の死に繋がる不幸は、合わせて三度あった。
一度目は、毒蛇。
二度目は、女性料理人による不慮の事故。
そして、三度目は他の妃による犯行であった。
この調子であれば、もしかしたら、私たちは何事もなく後宮を出ることが出来るかもしれない。
そう思っていた時だった。
「――まあ、そこまで上手くはいかんか」
同時に、皇帝陛下が舌打ちをするようにして、声を上げる。
彼の視線を追うと、前方から一人の妃が歩いてくるのだった。
私は簪を見る。
そして、思わず驚く。
私たちに向かってゆったりとした足取りで歩いてくるその女性は――一番目の妃であったのだった。




