ちゃんとしているかもしれない後日談 3
「──やはり、上着の裾当たりを持っていてくれ。基本的に片腕しか使えぬと思うと、何かこう、無性に不安になってきた」
皇帝陛下の手を取って少しした後、「やっぱり両腕が空いていないと落ち着かない、ごめんね」というようなことを彼から言われて私は「あ、はい」とその言葉に従うことになったのだった。
なので、私は彼の上着の背中部分をちょんと、つまんで、その後をついていくことになる。
何だろう、これ……。何だろう……?
まるで、小さい子供になったような気分だった。
思わず、他人が怖くて、兄の後ろに隠れてばかりいた幼少期時代の記憶を思い出してしまう。
目の前の皇帝陛下の背中は、とても広く見えたが、本当に何なのだろう、これ……何だか次第に緊張感が薄れていっているような気がする。
そんなことを思っていると、彼は「よし、出発するぞ」と声をかけてくるのだった。
「しっかり、私の後をついてこい。絶対に私から離れるなよ?」
私は、頷く。
そして、その後「あの……」と、声を上げることになったのだった。
「何だ?」
「あちらに転がっていった小刀を拾ってきてもよろしいでしょうか……?」
私の視線の先には、先ほど皇帝陛下に弾き飛ばされた愛刀がある。
出来れば、回収していきたかった。
いつ何が起きるか、分からないからだ。
皇帝陛下には悪いとは思うけれど、やはり、万が一の備えとして懐に持っておきたいと思っていたのだ。
彼は私を死なせないと言ってくれた。
けれど、たとえ彼であっても対処できないことは必ずあるだろうから。
「……いや、悪いが駄目だ。今日、刃物に触れることを禁ずる。絶対に、たとえ爪先であっても触れるなよ? 全部、私が何とかするからな? 貴様は、とにかく今は息をして生きているだけでいい。それ以上は、望まん。いや、本気で」
彼は、そう若干緊張した声音で、震えながら言うのだった。
そんな……。
あれは、私が子供の頃からずっと身に着けて、お世話になってきたかけがえないのない御守りなのに……。
しかし、皇帝陛下が駄目だというのなら、今日に関しては諦めるしかない。
けれど、それなら、
「……いや、待てよ? 貴様のその髪に刺した妃の証としての簪も十分危険だな。よし、悪いがそれも今すぐ外せ。大丈夫だ。代わりに髪は、きちんと私が結ってやるから、安心しろ。いや、本当に。頼むから」
彼は、私が思いついたことを口にしたのだった。
そして、すぐさま彼は、私から簪を取り上げる。
これで、私は凶器となる物を何も持っていない状態となってしまった。
そのため大きな不安が押し寄せてくる。
こんなことになったのは本当に久しぶりだ。
自死出来る物を何も持っていないなんて。
この先、大丈夫なのだろうか、と心配になりながら、私は大人しく化粧台の前に座り、皇帝陛下に自分の髪を結ってもらうのだった……。
……あれ? 皇帝陛下、ものすごく上手に私の髪を結ってくれたのだけど、どういうこと……? 何で……????
彼の腕前は、もはや宮殿の化粧師並みであったので、思わずびっくりしてしまうのだった。
♢♢♢
──皇帝陛下と共に、私は自室を後にする。
彼の言うとおり、私は彼の後ろを離れず、ついていく。
この光景を、もしも他の妃たちが目にしたら一体どうなるのだろうかと内心恐る恐るといった気持ちで。
十中八九、大事になるだろう。
けれど、目の前の皇帝陛下は、どういうわけか平然としていた。
まるで、心配するなと言うように。
──彼は、今、一体どんなことを考えているのだろう。
そう思っていると、
「──あっ」
私は、大変なことを思い出して、思わず立ち止まってしまうのだった。
「どうした、娘?」
「大変申し訳ございません、皇帝陛下……失念しておりました」
「? 何をだ」
「実は時を巻き戻したせいで、以前、回避した『今日』の分の死はまだ回避できていない、ということに現在なっているのです……」
そうだ。色々あって、完全に忘れていた。
先程二回立て続けに死んでしまったことにより、せっかく以前に防ぐことが出来た『今日』の死が、復活してしまっていたのだった。
私の『祝福』は、私の死を無かったことにする。
けれど、巻き戻すタイミングによっては『死を回避した』ということさえ無かったことにしてしまうのである。
確か、時間的にもうそろそろだ。
もうすぐ私に、今日の分の死に繋がる不幸が訪れるはず。
それを聞いて、皇帝陛下は、驚いたように振り返る。
「何だと!? なぜ、それを先に言わない!?」
「申し訳ございません! うっかりしておりました!」
「おい、貴様ァ! それは、うっかりで済ませられる次元ではないだろうがァッ!!」
皇帝陛下が、怒鳴る。
そして、「早く言え! どこでどのように死ぬ!?」と、慌てて聞いてくる。
「今だと、場所は、後宮の廊下! 確か、この辺りだったはずです! 突然、毒蛇に襲われました!!」
私も大声を上げた。
その時だった。
ぼとり、と目の前で何かが、廊下の天井から落ちてくる。
それは、廊下に敷かれた絨毯の上を、ぐねぐねと、のたうつようにして、動くのだった。
それは、黒く細長いもの。
その正体は――紛れもなく一匹の大きな蛇であった。
……ああ、現れてしまった。
私は、間に合わなかったと嘆くことになる。
突然現れたこの猛毒の蛇に噛まれて、私は確か十回以上もやり直すことになったのだった。
この毒蛇は、とても素早い。
そして、逃げようとすれば、必ず襲ってくるのだ。
そのせいで、何度も噛まれてしまった。
この蛇の毒は、体を麻痺させるものだ。
そして、動けないまま、わずか三十分程度で、命を落とすこととなってしまう。
ならば、この場所をこの時間に通らなければ、良いと思うかもしれない。
けれど、その後、少しして、また別の場所に現れるのである。
しかも、決まって私の前に──
現実的な解決方法は、何とか頑張ってこの蛇を捕らえることだった。
それにより、私は運よく無傷で蛇を捕まえるまで何度も死ぬ羽目になったのだった。
──ああ、これは、駄目だな。
私は、また死ぬことになる。
そう、予感がした。
だから、私は「大変申し訳ありません、皇帝陛下」と口にする。
そして、彼の前に歩み出ることに決めた。
おそらく、今回もまたあの蛇を無傷で捕らえることは出来ないだろう。
けれど、あと三、四回繰り返せば、何とかなるはずだ。
今までの死で少しはコツを掴んでいる。
私自身の死は決して無駄にするつもりはない。
……でも、もしかしたら、噛まれた後皇帝陛下に医療室まで運んでもらえれば、助かるかもしれないし、そうなったら嬉しいなあ、と思いながら、一歩踏み出そうとしたその時だった。
皇帝陛下は、「待て」と腕を伸ばして、私の前を遮る。
そして、言った。
――この程度なら、任せておけ。
と。
「え、皇帝陛下……?」
私は、思わず驚きの声を上げてしまう。
彼は、舌を出しながらこちらを睨む毒蛇に向かって、一歩足を踏み出すようにして――
――だん! と、思いっきり、片足を廊下の床に向かって、力強く踏み下ろしたのだった。
それにより、毒蛇がびくりと、驚いたようにして一瞬動きを止める。
そして、間髪いれずに、彼は自分の片手の指を口に咥えた。
その瞬間、彼の口元から甲高い笛のような音が鳴り響く。
それはまるで、鳥が威嚇するような、そんな鳴き声に似た音であった。
その音に、蛇が大きく反応を示す。
そして、
──突然、蛇は尻尾を巻いて逃げ出したのであった。
「えっ」
私は、混乱する。
一体、何が起きたというのか。
いつも攻撃的だったあの毒蛇が、こんなにもあっさりと……。
そう、困惑している間にも彼は行動を続ける。
逃げ出した蛇に向かって、彼はそのまま──飛び掛かったのだった。
「──アァーッ!!」
「皇帝陛下っ!?」
蛇の逃げ足は素早かった。
けれど、皇帝陛下も全力疾走だった。
彼は奇声のような声を上げて、蛇の頭をがっちりと、捕まえる。
「ああーっッ!!!」
「皇帝陛下!!??」
彼は、その後、蛇の身動きが取れないように、すぐさまその体をしっかりと固結びの状態にする。
「アアァァーァァッッ!!!!」
「こ、皇帝陛下ーっ!!!」
そして止めとばかりに、彼は近くに飾られていた壺の中に、その蛇を入れて、ぐるんとその壺を逆さにし、完全に蓋をしてしまうのだった。
「──あ゛あ゛あ゛あ゛アアアアァッッーッ!!!」
彼は、雄たけびのような声を最後に上げる。
あっという間の出来事だった。
わけが分からない。
思わず、呆気に取られてしまう。
彼は、私が状況を飲み込めないうちに、私の死を完璧に防いでみせたのであった――




