ちゃんとしているかもしれない後日談 2
皇帝陛下は、「とりあえずは、」と、言葉を紡ぐ。
「私が目撃した貴様の二つの死を防ぐ。貴様一人では、骨が折れる事態かもしれんが、私がいれば容易に片付くだろう。……というか、一つ目は自死だったな? なら、絶対に自ら死ぬのは止めろよ。頼むからな? 信じているぞ……?」
そう、彼は言うのだった。
驚くべきことに、皇帝陛下は自分を手助けしてくれるのだという。
彼はもう、私を死なせないのだという。
それは、頼もしくもとても嬉しい申し出であった。
……けれど、果たして上手くいくのだろうか。
妃たちが、私に危害を加えているのは、おそらく妃として私が気に食わないか、邪魔だからだ。
妃の数は、五十人。
その中から、皇帝陛下は『最愛』を選ぶ。
それが、この後宮にて行われる妃選びの仕組みであり、つまり──
「貴様の言いたいことは分かる。妃たちの争いの中で、いきなり当事者が現れては余計に混乱を助長するだけではないか。そういうことだろう?」
彼も、それを理解していた。
そうだ。そうなのだ。
争いの火種は、いまだ沢山ある。
そしてその中でも一番の火種は、皇帝陛下が、全ての妃と行動を共にせずして、突然一人の妃を『最愛』に決めたことになるだろう。
しかも、その者は、あろうことか五十番目の妃なのだから。
順番をすっ飛ばし、そして最も格の低い妃を伴侶とした。
これで、納得する妃など、きっと誰もいない。
「それについては、こちらで何とかする。とにもかくにも、貴様が気にすることではない。貴様は自分の死を防ぐことだけを考えていろ」
そのように、思考していると、彼はそう言ったのだった。
どうやら、具体的な案があるらしい。
ならば、彼に任せるしかないだろう。
そう思っていると、彼は「よし、これなら、今度こそ宰相をハゲさせられそうだな」と呟くのだった。
え、ハゲさせる……? 一体どういうことなのだろうか。
少し気になったが、皇帝陛下に任せると決めた以上、私には聞いていない振りをすることしか出来なかった。
「──それで、一応参考程度に聞いておくが、貴様は、今回経験した死を回避するたびに、どれだけの回数と日数を巻き戻すつもりだった……?」
彼は、急にそのようなことを聞いてきた。
彼は、「別に怒るつもりはない。正直に話せ」と言ってくる。
「ええと、その、最低でも三、四回は巻き戻るつもりでした……。日数は、一日を五回巻き戻っても駄目なら、その後一週間くらいは遡ってみようかな、と……」
そう今まで思っていたことを言葉にすると、皇帝陛下は大きく脱力し、安堵するかのように息を吐いたのだった。
「危なかったな……また二十五番目の妃を全力で捕まえねばならんかったと思うと……確実にブチ切れていた」
「捕まえる……? えっ、ブチ切れ……?」
皇帝陛下が、またよく分からないことを口走った。
本当一体、どういうことなのだろうか……?
二十五番目の妃が何か彼に仕出かしたのだろうか。聞いておきたいような、聞いておきたくないような……。
「まあ、それはこっちの話だ。忘れろ。とにもかくにも、私は今から、貴様の死を防ぐために動くつもりだ」
「ええと、一体、何をなさるおつもりなのでしょう……?」
「まあ、そうだな。明日まで時間がある。今日はとりあえず、我が国の宰相の元に向かう。貴様もついてこい」
皇帝陛下は「顔は見たことがあるだろう」と私に聞いてくるのだった。
確かにある。
宰相様は、二年ほど前に、後宮入りさせるための妃を選出するために、私の実家に訪れたことがあった。
まさか、こんな田舎に自国の宰相である人物が来るとは思わず、来訪の知らせがあった時から家族総出で慌てて歓迎の準備を始めたのだ。
かなりの老齢のように見えたけれど、背筋はぴんとしていたし、優しそうな人だった。
けれど、会って突然、「おもしれー女」と言われた時は、本当に「???」とびっくりしてしまった思い出がある。
「奴に、貴様を『最愛』に選んだことを伝えにいく。そうすれば、この現状を嫌でも理解するだろうし、まあ、なんとか上手いことやってくれるはずだ。奴の手腕は確かなものだからな」
そう、言うのだった。
しかし、そこに一つ疑問が生じる。
「なぜ私も一緒、なのでしょうか……?」
「目を離すと、いつ死ぬか分からんからな」
彼は「気がついたら、ころっと死んでいるかもしれんだろう? だから、何があろうと貴様からは目を離さん」と口にするのだった。
「そんな、飼育中のカブトムシみたいなこと……」
「あるだろうが。貴様の寿命は、常にセミの成虫以下しかなかったというのに、よくもまあそんなことを言えたものだな」
そう言われて、反論出来なかった。
確かに、私は一週間以上、生きた試しがない。
「ついでに言うと、後宮入りしてからは、カゲロウの成虫並みだったな」
「そうでございました……。今まで本当に申し訳ございません……」
毎日死んでいたので、もう何も言えなかった。
すると、彼は「まあ、別にいい」と口を開く。
「そのような『呪い』を持っている以上、仕方のないことだと理解しているつもりだ。幸いなことに私の懐は、これでも海のように広い。絶対に許しはせんが、我慢はする。次からは気をつけろ」
皇帝陛下は、恐ろしく寛大であった。
私は頭が下がる思いとなる。
そして、その後彼は椅子から立ち上がると、私の目の前まで歩み寄って、手を差し出してくる。
「ええと、これは……?」
私は困惑することになる。
何しろ、彼は「さあ、今すぐ自分の手を握れ」とばかりに、その手を差し出してきたのだから。
もしかして握手だろうか。
そう思っていると、
「手を繋ぐ。貴様が逃げぬようにな」
彼は、そう言うのだった。
「こ、皇帝陛下……っ!?」
私が、驚きに目を見開くと、彼は「なんだ」と応じる。
「恥ずかしいのか? なら、私の袖でも掴んでおけ。とにかく、私の側から離れるな」
彼は「本当に頼むからな」と、割と真剣に念押ししてくるのだった。
「一応言っておくが、悪く思うなよ。過去に平然と私に対して嘘を吐いた以上、貴様に断る権利はないぞ?」
「それは、確かにそうなのですが……」
というか、あの時はいきなり、あのようなことを聞かれるとは思っていなかったのだ。
最初、顔見せが終わった後に「ちょっと何あんただけおもしれー女ムーブしてんのよォッ!」と、なぜか突然、他の妃たちに詰め寄られて、最終的に時を巻き戻さないといけなくなったのだ。
その後、皇帝陛下からあのような『祝福』と『呪い』の質問をされて、「あれ? 一度目はされなかったのに……?」と思いながら、仕方なくいつも使っている嘘を吐いたのである。
「ですが、あの時の気持ちは……」
「分かっている。もう、貴様の命は貰った。頼むから、生きろ」
彼はそう言って、「それで」と、私の瞳を覗き込むようにして真っ直ぐ視線を向けるのだった。
「早くしろ。そろそろ強引に貴様の手を取るぞ」
「分かっております。ですが……」
恥ずかしいという気持ちは確かにある。
しかし、それ以上に――
「……なるほど。どうやら貴様は他者を信用することができないみたいだな」
私は頷く。
そうだ。
私にとって他者というものは、子供の頃から常に警戒の対象であった。
故意にしろ。
無意識にしろ。
彼らは、高い確率で私に死という最大の不幸を齎すのだから。
皇帝陛下は、それを察してくれたらしい。
彼は、とても鋭い人物であった。
そして、そんな彼は私を見て、言う。
「案ずるな、娘。貴様の『呪い』に対して、私には確かな耐性がある。貴様の『祝福』においても、そうだったろう? ゆえに貴様の思うようなことにはならん」
――リィーリム皇国現皇帝エルクウェッド・リィーリムの名において、それを保証する。
彼は、次にそう告げたのだった。
「私が貴様に危害を加えるとしたら、それは貴様が死んだ時だけだ。おそらく怒りの衝動に逆らえず、一度は勢い余って貴様の頭をパーで叩くかもしれんが、その程度だ。死にはせん」
だから、安心しろと彼は私に言う。
それは果たして、安心しても良いものなのだろうか……?
しかし、そう正直に言われると、何だかおかしな気持ちになって、笑ってしまいそうになった自分がいる。
──そして、気が付けば私は、彼の手を取っていたのだった。