『皇帝』視点 28
ついにエルクウェッドは、自身の『祝福』を少女に告げることが出来た。成し遂げたのだ。
彼女は、それを聞いて驚愕するかのように大きく目を見開く。
そしてエルクウェッド内心ちょっと涙ぐみながらも、宿敵である少女を睨みつけ、間髪入れずして恨み言をぶち撒けるのであった。
「──何度巻き戻せば気が済む!? こちらは、頭がおかしくなりそうだったぞ!!」
本当にそうだった。
本気でいつか自分の頭が何かこう、パーンとなってしまうかもしれないと彼は常に危惧していたのだ。
それに加えて、
「──貴様には分かるか? やっと手間のかかる仕事を終わらせたと思った瞬間、振り出しに戻された時の気持ちが。しかも、それが場合によっては何度も連続して起こるのだぞ!?」
地獄だった。悪夢だった。それこそ文字通りの意味で、だ。
たとえ、どれだけ頑張って仕事を終わらせても、いつの間にか、また最初から。
それが、何度も何度も何度も何度も当たり前のように繰り返される。
いつ始まるのかも、いつ終わるのかも分からない。
そしてそのループを止める術は、自分にはないのである。
これを、生き地獄と形容せずして何と言おうか。
エルクウェッドは、「いや、今思うと本当に何でここまで正気をきちんと保ってこれたんだ……? 冷静になって考えてみても、怒りとか趣味とかで耐えられるレベルではないだろう、これ……」と今更なことを思いながら、相手の出方を待つ。
──さあ、どう反応する?
自分を認識した上で、開き直るか。
それとも、完全にしらばっくれるか。
おそらく、こちらに対して一歩も引かない態度を取るだろう。
彼は、彼女との顔見せの際のやり取りを思い出して、そう予想立てるのだった。
そして、相手の反応は──
「――大変申し訳ございませんでした……!」
少女は、すぐさま平伏すようにして、真摯な態度で深々と頭を下げる。
そう、それは紛うことなき誠心誠意を込めた――平謝りであった。
「なっ……!?」
馬鹿な。
相手は、おそらく自分に匹敵するほどの超合金メンタルを装備しているはず。
眼前の相手に詰め寄られたからといって、その程度で怖気付くわけがない。
一体どういうつもりだ。罠か。
エルクウェッドは激しく困惑しながら、警戒する。
そして、彼女はその後、慌てた様子で語り始めるのだった。
自身の身の上話を。
──自分の有する『祝福』は【病死以外の死因で死亡した場合、その一日前まで時間が巻き戻る】という極めて強力なものであること。そして、『呪い』は【死に繋がる不幸を招き寄せる】という、『祝福』とほぼ同等の強力なものであるため、たとえ少女自身であったとしても、ループを止めることが出来ないということを。
それを聞いて、エルクウェッドは、ひどく仰天しながらも納得することになる。
なるほど。あれほど強力な力なのだ。
当然それ相応の代償を支払っていると思っていた。
しかし、それがまさか自身の死だったとは……。
道理で、顔見せの際に、嘘を吐いたわけだ。
そのような『祝福』と『呪い』なぞ、誰も信じるわけがないだろうし、そもそもの話、他者に証明する術がない。
何せ時が巻き戻っても、自身以外にその事実を認識できる者など、今までいなかったのだろうから。
「――ですので、皇帝陛下。こればかりは自分の意思ではどうすることも出来ないのでございます……」
「なるほど、どうあっても死ぬと言うのだな、貴様は……」
「大変申し訳ございません……」
彼女は、そう謝罪してくるのだった。
しかし、一つここでエルクウェッドの中で大きな疑問が発生する。
確かに、少女の『呪い』は強力だろう。そう簡単には、未然に防ぐことは出来ないのかもしれない。
けれど、
──あの裏技による長期ループは一体何だったんだ……?
自身の死を引き金に『祝福』が発動すると、先ほど彼女は言った。
ならば、そんなに連続してホイホイ死ぬようなことなど、起きるはずがない。
死ぬと一日前に時間が巻き戻るのだ。
つまり、また死ぬような不幸に遭遇するのは、その一日後になる。
もしくは、仮にそんなことが起きたとしても、すぐに死ぬようなことはないはず。たとえば今回のように、だ。そうでなければ、辻褄が合わない。
エルクウェッドが、そう思っていた時だった。
彼女は、おもむろに衣服の中から、小刀を取り出す。
それを見て、彼は「ほう」と、愉快そうな笑みをわずかに浮かべた。
――やはり、そうきたか。
このような場面で刃物を取り出す理由など、一つしかない。
何しろ自身の最大の弱みである『祝福』と『呪い』の両方を他者に知られたのだ。
ゆえに、エルクウェッドとしては、少女は今から、自分を亡き者にしようと考えているように見えるのだった。
よって彼は、「ふん、みっともなく足掻くか。やはり、そうでなくては」と思いながら、少女を見下す。
しかし、
少女は、鞘から引き抜いたそれを、エルクウェッドに向けるではなく――その切先を自分の喉へと、しっかりと向けたのだった。
――は?
彼は、呆気に取られる。
そして、そんな彼に対して少女は首を横に振り、何事もないような口調で言った。
この刃物は、自刃用なのだと――
――その瞬間、背筋が一気に怖気立った。
「早まるな!」
彼は即座に動いていた。
全力の速度で自分の腕を振り払い、少女の手から小刀を叩き落とす。
彼女の手から離れた小刀は、床を滑って彼女自身から遠ざかっていく。
彼は、今愕然とした表情を浮かべていた。
一瞬にして、激しい焦りを覚えたため、心臓の鼓動が恐ろしくうるさい。
無意識のうちに冷や汗を流す。
彼は、ただただ困惑するしかなかった。
──は……? は……? こいつ、何をやっているんだ。本当に何をやっているんだ。
と。
それはそうだろう。
何しろ、彼女は巻き戻ろうとした。もう巻き戻るのは御免だ。ばりキツイし、シャレにならへんでホンマ。
……いや違う。それも多分にあるが、今はそうではない。
──何しろ少女は、先ほど自分の手でためらいなく喉を掻き切ろうとしていたのだから。
有り得ない。
到底、信じられなかった。
そして、同時にエルクウェッドは理解する。嫌でも理解してしまう。
今まで、何度も行われてきた長期ループの正体が。
長期ループの最長記録は、三十日。
その数が意味するのは──
少女は、未練がましく遠ざかった小刀を見つめていた。
正直気づきたくはなかった。しかし、つまり、そういうことなのだ。
おそらく、いや、ほぼ確実にエルクウェッドが目撃した一度目の惨状は、彼女自身が引き起こしたものだった。
壺を割ったのは、顔を蒼白にしていた四人の妃のうちの誰かだ。
そして、その罪をこの少女に擦り付けた。
それがきっかけとなり……彼女は――
……信じられないことに、目の前の彼女は、あまりにも時を巻き戻すことに慣れていた。否、命を落とすことに慣れきってしまっていたのである。
だから、こうも躊躇なく自分の喉に刃物を向けることが可能なのだ。
彼女にとって、命を落とすということは、もはや日常的にこなす当然の行為の一つでしかない。食事をし、湯浴みをし、就寝する。それらと、ほぼ同義なのだと。
――何せ彼女は、五歳からずっとそれを続けてきたのだから。
顔見せの際、彼女は嘘をついた。そしてその際、「嘘をついていたら命を差し出すつもりだ」と、平然とした様子で言っていた。しかし、それについてだけは、本当に嘘偽りではなかったのだ。
彼女は、実行する。間違いなく。――それこそ一万回だろうと。
そして、エルクウェッドが止めなければ、今まさにそのようなことを行おうとしていた。
彼はその事実を知り、戦慄することになる。
そしてその後、額に手を当てて、大きく溜息を吐いたのだった。
「――そうか。貴様はそういう奴なのだな。今、理解した」
……自分はどうやら、今まで彼女に関して驚くほどに大きな思い違いをしていたらしい。
今までのあまりにも地獄めいた経験から、かなり喧嘩腰な思考をしてしまっていたようだ。
自分の宿敵だから、相手も敵意を向けてくるだろう、と。
しかし、今考えてみれば、相手がこちらに敵意を抱く理由など何もなかった。
こちらは被害者であり相手は加害者。しかも無自覚というような関係にあるのだから。
そして、同時に彼はある一つの事実を強く強く、再認識することになる。
──ああ、やはり。この少女は依然として自分の宿敵なのだと。
彼女の『呪い』は非常に、厄介極まりないものだ。
しかし、それ以上に、彼女自身こそが最も自分にとっての障害となるのだと、今この時、確信した。
ゆえに彼は、覚悟を決める。
腹を括ったと言い換えてもいい。
そして次に彼は、少女にこう告げるのだった。
――貴様を私の『最愛』にする。
と。




