『皇帝』視点 27
「──あ゛あ゛あ゛あ゛アァッ!!!」
それは、まるで雄叫びのようだった。
エルクウェッドは無意識のうちに声を上げながら、必死になって足を動かす。
前へ前へと。
なりふりなど構ってはいられなかった。
現在、幸運なことに後宮の廊下には誰もいない。
だが、たとえ廊下に誰がいようと彼は、今のように取り乱しながら全力疾走していたことだろう。
何しろ、自身の長年の宿敵がようやく判明したのだ。
平静を装うことなど当然ながら出来るはずもない。
「──あの娘、何喰わぬ顔で嘘吐きおって、ふざけるなよォ!!」
走っている最中、エルクウェッドは怒りに任せてそう毒突いた。
顔見せの際に、彼女に対して「え、本当? 万死に値するぞ?」と、念押ししたのに。
なのに、その後、真面目な態度でしれっと、五十番目の妃の少女は偽りの告白をしたのである。
神経が図太すぎる。
自国の皇帝相手に平然とハッタリかますとか、どんな猛者だ。
一体何をどう経験をしてきたら、そこまでの胆力を得られるというのか。
厳しい訓練を受けて鍛え上げられた精鋭の兵士以上の鋼のメンタルだぞ、それは。
もはや、彼としては、彼女が本当にただの貴族の娘なのかどうかさえ怪しく思えてきてしまうのだった。
彼は、「アアァーァッ!!」と叫んでダッシュし続ける。
その叫びは、歓喜か。
はたまた憤慨か。
もしかしたら、その両方なのかもしれない。
彼は叫びながら、「本当に本当に本当に本当に、チクショウめエエッ!!」と、ブチ切れるのだった。
♢♢♢
エルクウェッドは、ぴたりと足を止めた。
五十番目の妃の部屋に辿り着いたのだ。
しかし、彼はそのまま扉をノックしようとはしない。
まずは、身だしなみを整えなければならなかった。
そのためエルクウェッドは、さっさっと乱れた髪を直し、襟をきちんと正す。
服装の乱れは、心の乱れ。
仇敵を前にして、そのような隙を晒すなど言語道断であった。
それに、ここは敵陣の本拠地でもある。
ゆえに万全を期す構えでなければならない。
彼は、何度も深呼吸を行う。
無論、手のひらに「人」の文字を書いた後、それをごくんと飲み込むのも忘れない。
──よし、これで万全な状態だ。
そして意を決して彼は扉をノックしたのだった。
その後、少しして扉が開く。
そこには──
自分の宿敵であるあの少女がいた。
彼女はエルクウェッドを驚いた様子で見上げていたのだ。
どうやら、この日はまだ自室にいたらしい。
エルクウェッドは「本当は『呪い』のせいでもう少し探し回ると思っていたが……まあいい」と思いながら、少女に「邪魔するぞ」と告げて、室内にやや強引に押し入る。
そして、自分でしっかりと扉を閉める。
これで、相手は逃げることが出来ない。
同時に自分の退路を断ったも同義であったが、知ったことではなかった。今日の気分は背水の陣だ。矢が振ろうが槍が降ろうが、退くつもりは毛頭無い。
エルクウェッドは、じっと相手の様子をうかがう。
どのような一手を相手が打ってくるのか。
それを見極めるためだ。
彼女は、恐る恐るといった様子で口を開いた。
「こ、皇帝陛下。申し訳ありませんが、わ、私に一体何の御用でしょうか……?」
彼女は、非常に困惑した様子でそう言葉にした。
……ああ、なるほど。やはり、そうきたか。
半ば、予想通りだ。
彼女は別にしらを切っているわけではない。
本当に、分かっていないのだ。
自分が、なぜここに来たのかを。
ゆえに、エルクウェッドは、怒鳴るようにして、彼女に言う。
──まさか自分が先ほど、何をしたのか忘れたわけではあるまいな、という意味を込めて。
「何の用だと! 貴様!! あのように私の前で死んでおいて、何の用だと!? 馬鹿も休み休み言え!!」
そして、驚く少女に対し、そのまま湧き上がる怒りに任せて、彼は告げたのだった。
……今まで彼女に告げたくて告げたくてたまらなくて、けれど決して叶わなかったことを。
「──私の祝福はッ! 【どのような他者からの祝福や呪いであっても、その影響を受けにくくなる】というものだ!!」
──いい加減、こちらのことを認知して欲しい。気付いて無かったと思うけど、ぶっちゃけ、めちゃくちゃ巻き込んでるからな、貴様ァ──
彼は今まで、相手に全く認識されていなかった。
自分は、相手をきちんと認識出来ているのに。
理不尽だった。
けれど、
この日この時この瞬間。
エルクウェッドは初めて、時を巻き戻す『祝福』の持ち主――五十番目の妃であるソーニャに、自身の存在を認識させることが出来たのだった。