『皇帝』視点 18
どうやら、ちょうど五十番目の妃の顔見せの時まで巻き戻ったらしい。
エルクウェッドは、先ほどまで一番目の妃と行動を共にしている最中であった。
そのため、「また、あの者の相手を一から行わなければならんのか……」と思いながら、以前と同じように「顔を上げろ」と告げる。
そして、彼の前で平伏していた少女は「お気遣い痛み入ります、皇帝陛下」と言って、立ち上がるのであった。
その時、不意にエルクウェッドは、小さな違和感を覚えることになる。
しかし、それが何であったのかを彼は追及することなく、そのままいつもループに巻き込まれた時と同じようにして、流れ作業のごとく、言葉を続けてしまった。
「まあ、よく来た。それと、一応確認しておく。貴様の名は、ソーニャで相違ないな?」
「はい。間違いありません。ソーニャ・フォグランと申します」
少女も前回の時と同じ言葉を一言一句返す。
その時にはもう、彼の中にあった違和感は消えていた。
どうやら、自分の勘違いであったらしい。
そう彼は結論付けて、以前と同じように面談めいた問いかけを投げかけていくのであった。
「──それで、私に言いたいことはあるか?」
この後、少女は「ない」と答える。
それで、この顔見せは終了となるのが、前回の流れであった。
……巻き戻ったのが、この妃までで良かった。他の妃は、皆、正直言って精神的な消耗が大きい。
彼は密かに、そのようなことを考えていた。
その時だった。
少女は、少し考えた素振りを見せた後、
「実はございます。不遜ながらも申し訳あげますと、皇帝陛下には、幼い頃からずっと憧れの心を抱いておりました──」
──真面目な雰囲気ながらも、笑みを浮かべて、そう言ったのだった。
それゆえにエルクウェッドは、「……は?」と、その瞬間、驚愕し、呆気にとられることになる。
「貴様……今、何と言った?」
そして思わず、そう言葉をこぼしてしまった。
その反応をとってしまったのは、彼にとっては到底無理からぬことであった。
なぜならば、少女の言動が、前回と丸っきり違ったからである。
エルクウェッドは、今までに数えきれないほどループに巻き込まれてきた。
そして、同じ期間のループ中、その際の他者の言動がすべて同じものであったかと言うと、実はそうではない。
基本的にわずかなずれがあったのだ。
風が吹けば、街の桶屋が儲かったり、蝶の羽ばたきによって嵐が引き起こされたりといった慣用句がこの世にはいくつもあるが、ループ中のずれはおそらくそういった類のものではないかと彼は内心考えていた。
故に彼は、今までの経験を思い返してみて、驚愕したのだ。
──これほどの大きなずれは珍しい。初めてではないか。
と。
何しろ、少女は前回と正反対の言動をとったのである。
前は、皇妃の座に興味がなかった。
なのに、今は他の妃たちと同様のことを口にした。
エルクウェッドは、今になって先ほど覚えた違和感の正体が、そのずれの大きさによるものであったと気付く。
……何だ、何が起きている……?
彼は、そう戸惑いながら、「いかがいたしたのでしょうか、皇帝陛下……?」と、こちらを見上げてくる少女に「何でもない、気にするな」と言う。
そして、少女の自己アピールを聞く。
その後、彼は最後に質問した。
「……娘、一つ聞く」
「何でございましょうか?」
「──貴様は一体どのような『祝福』を所持している?」
彼は、目の前の少女が、今十六歳であることを何度も頭の中で反芻しながら、そう問いただすのだった。
ちなみに、妃たちの後宮入りが、この年になったのは、結局宰相が「やはり、万が一陛下が七歳下を好みとしていた場合も考慮しよう」ということであり、本来ならばエルクウェッドが皇帝となった直後からでも妃たちを後宮入りさせることが出来たのである。
彼は、目の前の少女をじっと見つめる。
──もしや、この少女こそが自分が今まで探して求めてきた相手ではないか?
と、そのような想いを秘めた眼差しで。
「私の『祝福』、でございますか……?」
「そうだ。不都合が無いのであれば、だが」
役人から渡された妃たちの個人情報には、『祝福』と『呪い』のことについて記載されている者といない者がおり、この少女は後者に属していた。
──その二つの力は、人によっては重大な弱みと成り得るため、秘匿する者が多い。
ゆえに基本的に、その二つの力は本人の自己申告でしか他者が知る術はないのだが、半分以上の妃たちは少しでも皇帝からの信頼を勝ち取ろうと考えていたのか、惜しげもなく公表していたのだった。
そして、
「無理に聞くつもりはない。だが、少しばかり気になった。それだけだ」
彼女に、何かしらの事情があった場合、当然彼女は拒否することになるだろう。
だが、しかし。
彼女は次に「ええと、」と口を開く。
「私の『祝福』は、【他人より少しばかり運がよくなる】というものでございます」
そう、特に何事もなく言うのであった。
「……それは本当か?」
「はい」
「ちなみに、『呪い』は何だ?」
「【他人より少しばかり運が悪くなる】というものです」
少女は、そう答えた。
しかし気が付けば、エルクウェッドは、思わず念を押すように、声を低くして言っていた。
「──娘、言っておくが、この私を前にして嘘は吐くなよ。無論それが万死に値すると知っているな?」
少女は、それを聞いて「万死?」といったような、きょとんとした顔になる。
そして、すぐさまそれを見て「しまった」と、彼は顔を顰めることになるのであった。
「……いや、すまなかったな。今の言葉は忘れてくれ。熱くなってしまったようだ」
いつの間にか、肩に力が入ってしまっていたらしい。
ここまで高圧的な言葉を使うつもりはなかった。
無意識に、長年の仇敵を見るような必死めいた目を向けてしまったのだ。
彼は、自分の発言を恥じて謝罪する。
「いえ、こちらこそ皇帝陛下のお気に障るような発言してしまったようですので……大変申し訳ございませんでした」
少女は、至極真面目な態度でそう謝った後、皇帝に告げる。
「ですが――もしも私の言葉が嘘偽りであったならば、この命を差し出す所存でございます」
彼女のそれは、「そうだった場合、間違いなくそうする」のだという、強い意思を込めた発言であった。
「……そうか」
その言葉を聞いて、エルクウェッドは、「すまなかった」と再度謝罪する。
「後宮入りしたばかりだというのに、気を悪くさせてしまったな。とにかく、今日は用意させた部屋でゆっくり休むといい」
彼は、そう言った。
そのため、少女も笑みを浮かべて「承知いたしました、皇帝陛下。それでは寛大なお言葉に甘えて、これにて失礼いたします」と言って、玉座の間を後にする。
彼女が完全に去った後、エルクウェッドは、玉座に深々と座る。
そして、大きくため息を吐く。
どっと、疲れた。辛い。
もう、自室に帰って寝たい……。
彼は、そう落ち込むのであった。
期待したのだ。
これほど希望を抱いたのは、生まれて初めてだった。
……それなのに。
違った。
これほど辛い気分になったのは初めてである。
宰相が偶然にも選出して後宮入りさせたため、自分の『呪い』が発動しなかったのではないか。
最初そのようなことを思ったのだが……しかし、そんなわけがなかった。
おそらく、先程の大きなずれも、少女の『祝福』か『呪い』が今回タイミング良く作用した結果であろう。
自分の思い違いでしかなかった。
彼はそう考える。
――やはり、物事というのは自分の望むように上手く運んではくれないものだ。
エルクウェッドは、「はあ、ブチ切れそう……」と、悲し気な声音で呟いたのであった。