『皇帝』視点 14
エルクウェッドは、二十二歳となった。
そして、その年は、リィーリム皇国において実に栄えある年となる。
──新皇帝の誕生。
戴冠式が執り行われたのだ。
ゆえに国内は、地方部都市部関係なく、どこもかしこもお祭り騒ぎのような様相を見せることとなる。
それは、もはや当然のことであった。
何しろ、国民は皆、心の底から待ち望んでいたからだ。
エルクウェッド・リィーリムが自国の皇帝として即位することを。
──『賢帝』が、君臨することを。
♢♢♢
戴冠式当日、エルクウェッドは、感慨深げな気持ちで、ゆっくりと深呼吸を行っていた。
現在彼は、その身に歴代の皇帝が身に着けた優美な儀礼装束をまとっていたのだった。
もうすぐで、式典が始まる。
宮殿の最奥──皇位継承の間にて、彼は多くの家臣たちに見守られながら、父である前皇帝より皇冠を受け取ることで、晴れて正式な皇帝となるのである。
彼は、心を落ち着かせながら、その時を待つ。
……ついにこの日がきた。
そう思いながら。
今まで、彼はさまざまな経験をしてきた。
辛いことがあった。
苦しいことも多々あった。
しかし、それらのすべてを乗り越えて、彼は今日、皇帝となるのである。
「……殿下、本当に本当におめでとうございます」
傍に控えていた家臣の一人である中年の役人が、涙をこぼしながら、ぽつりとそう言った。
どうやら、彼は今から行われる戴冠式のことを考えているうちに感極まってしまったらしい。
それを聞いて、エルクウェッドは小さく笑う。
「おい、式典はまだ始まっていないぞ? 何を泣いている」
彼は、「そんな顔で戴冠式に出るつもりか?」と冗談交じりの口調で言った。
「……申し訳ございません……ですが、殿下がついにこの国の皇帝になられるのだと思うと、とてもとても嬉しく思いまして……」
「仕方のない奴だな、貴様は。私が即位したとしても、変わるのは肩書だけだぞ? 私自身は、今までとは何も変わらない。そうだろう?」
「はい、確かに。ですが──」
家臣の彼は涙を拭い、言った。
「──私共は、この瞬間をずっと心よりお待ちしておりました」
エルクウェッドは「そうか」と応える。
「自分の家臣にそう思われている私は、間違いなく幸せ者だな」
彼はそう言って、目を閉じる。
家臣は「こちらこそ光栄の至りです、殿下……」と涙声で答えた。
「……我々は、殿下に幸せになっていただきたいと、常日頃思っております。殿下は、いつもこの国のためにご尽力してくださいましたから……」
彼は言った。
今までずっと、自分たちはその姿を間近で見てきたのだと。
「……殿下は、常に頑張っておられました。なのに、今まで一度も我々に対して我が儘なことを言うこともなく、今日まで来られたのです。ならば、たまには、自分勝手なことを言っても罰は当たらないと、そう思う次第なのでございます」
「我が儘、か。私はもう子供では無いぞ?」
「ええ、もちろん。ですが、我々は殿下が子供であった頃からずっと見守って参りました」
「……ああ。そうだったな」
今、自分の傍にいる家臣たちは、エルクウェッドの幼少時から仕えてきた者たちばかり。
彼らにとっては、エルクウェッドは長年仕えてきた主であり、そして我が子同然のようなものでもあった。
彼は、しばし目を瞑ったまま考える。
確かに、自分は今まで、我が儘のようなことを言ったことは一度もなかった。
それは信頼している者に対しても、そう。
しかし、彼は決して他者に対して我が儘を言いたくなかったわけではない。
実は彼にも、昔から心より望むことがあったのだ。
だが、それはさすがに叶わない夢であると、諦めていた。
どう考えても他人に多大な迷惑がかかるからだ。
そのような自分勝手が過ぎる望みに、他者を巻き込むことなど到底出来ない。
そう考えていると、どうやらそのことが顔に出てしまっていたらしい。
中年の家臣の彼は、「何卒、何なりとお申しつけください」と言うのだった。
「――我々に出来ることならば、何でもいたしましょう。それが、殿下の望みであるというのならば」
「――お願いいたします、殿下」
「――どうか、我々にお教えください。何卒……」
気がつけば、泣いていた中年の家臣以外の他の家臣たちも、エルクウェッドの側に寄って、懇願してくるのであった。
彼が皇太子の身分でいられるのは、あとわずか。
故に彼らは、その最後の時間を用いてエルクウェッドのために何かを行いたいと思っていたのである。
そして、それは、彼の我が儘を聞くこと。
皇帝となった彼は、今まで以上に我が儘を言えなくなるだろう。
国の頂点に立つ者に、身勝手な行為など絶対に許されないからだ。
エルクウェッドは、「貴様ら……」と家臣たちの真摯な言葉をすべて余すことなく受け止める。
「――分かった」
そして、目を開けて、ついに今まで密かに願っていたことを彼らに告げた。
「――実は、割と高い頻度で突然、激しい怒りが込み上げることがあってな。それを今までずっと人前では我慢してきたのだが――少しだけ、その我慢を止めることを許してくれるだろうか?」
今まで、ずっと彼はループに巻き込まれた際、人知れずブチ切れていた。
それは、自室であったり、執務室であったり。
彼は、自分以外に誰もいない、他人の迷惑にならないところでブチ切れてきたのだ。
今まで人前でブチ切れた経験は、一度だけ。
しかし、その時は酒に酔っていたと誤魔化していたため、本当の意味で人前でブチ切れたことはまだない。
ゆえに、
――たまには人目を気にせずブチ切れていい?
彼は、そう彼らに願ったのだった。
家臣たちは、驚いたような表情をした後、互いに顔を見合わせる。
そして、
「え、いや、それはちょっと……」
「露骨に機嫌が悪いと、何分話しかけ辛いので……」
「明確な理由有って怒るのなら、まあ、というところですが、無いのなら、困りますね……対応に」
「あ、そうだ! 何か食べたいものとかあります? 後でたくさんご用意いたしますよ」
「他のにしましょう。他のに」
やはり、駄目だった。
戸惑う家臣たちを見てエルクウェッドは、内心「まあ、そうだよなあ」と思いながら、「りんごジュース、たらふく飲みたい」と代案を告げて、その後、戴冠式に臨んだのであった。